49.「そしてわたしはドラマチックに巻き込まれゆく」
「昨晩は随分遅かったようで。夜遊びは感心しませんなぁ」
昼過ぎに起きたわたしに対し、ヨハンはちくちくと小言を投げる。ノックスは椅子に腰かけてぼんやりしていた。
わたしは「色々あるのよ」とだけ答えた。それから食事を摂りつつ、少し考える。今日の夕刻、いよいよ次期ボスを選出する集会が行われる予定だ。それまでには到着しておく必要がある。
ポケットに団員証が入っていることを指で確かめた。昨晩、ウォルターに渡された物だ。それさえあれば集会に参加できる、とのことである。タソガレ盗賊団は規模が大きいので、ひとりひとりの顔なんて覚えていない、それさえ携帯していれば怪しまれることはないだろう、と彼は言った。
「ときに、お嬢さん。この辺りもちょっとキナ臭くなってきましたね。タソガレ盗賊団の姿をよく見ますよ。噂によると、次のボスが選出されるんだとか。いやはや、物騒ですなぁ。……まあ、私は関わる気はありませんがね。好きにドンパチするといいです」
ヨハンはニヤリと笑ってみせた。なにもかもお見通しだぞ、とでも言いたげな様子である。そんな調子の彼に付き合うつもりはなかった。
ただ、ひとつ気になることがある。
「ねえ……昨日の晩、おかしなことはなかった?」
「なんですか突然。なにも変わりはないです。ここの警護は随分手厚いようで、おかげさまでぐっすりですよ」
「ならいいけど……。今晩も遅くなるかもしれないから、ノックスのこと、守ってあげて」
「言われずとも。しかし、お嬢さんは心配性ですねぇ」
ヨハンは鼻で笑う。本当に、杞憂であればいいのだが。
頭には昨日見かけた白衣の男と、彼の提げたアタッシュケース、それと妙に小さ過ぎる魔物の気配がこびりついて離れなかった。なにか起ころうとしているのではないだろうか。それも、とびきり邪悪ななにかが。
壁に掛かった時計は午後一時を指していた。もう出発しなければならない時間だった。森を進むのにどのくらいかかるのかも分からない。
「さて」と呟いてノックスのほうを向く。「わたしは少し用事を済ませなきゃならないから、ヨハンが悪いことしないか見張っておいて」
「なんですかそりゃ」
剽軽に呆れてみせるヨハンを尻目にノックスは「分かった」とだけ答えた。
「坊ちゃんも手厳しいですなぁ」
「それじゃ、行ってくるわ」
「はいはい。さっさと済ませて帰って来てください」
宿を出て、厩舎から馬を引き取る。そして、街道を西南方向に突っ切って真っ直ぐ進んだ。一時間足らずで目的の森は見つかった。
丁度森に入ろうとしているいかにもならず者風の小太りの男がいたので、好機と思い声をかけた。「ねえ、あなたもタソガレでしょ?」
男は目を細め、訝るようにこちらを睨んだ。そうだ、と気付いて団員証を見せる。すると、安心したように口元を緩めた。「なんだ、姉さんも団員かい。しかし、女盗賊ってのは珍しい。どこの地域でシノギしてたんだ?」
「いえ、最近入ったばかりだから、まだ具体的にどうこうっていうのは……」
「へえ、新入りか。大変なときに入っちまったな。まあ、立ち話もなんだから、行こうや」
馬から降りて、手綱を引いた。鬱蒼とした森のなかに、踏み固められて出来たであろう道が延びていた。
小太りの男はやけに気さくに話しかけてきた。「入ったばかり、ってことは右も左も分からねえだろ。質問があればいつでも言ってくれ」
「ありがとう。親切なのね」
「まあ、仲間だからな。それはそうと、あんたは派閥について知ってるかい? それとも、もうどこかについてたりすんのか?」
ズブズブです。そりゃあ、もう。……なんて言えるはずはない。「いいえ、派閥ってなにかしら?」
小首を傾げるわたしに、男は得意気に語った。既に知っている話を延々と聞かされるのは割と苦痛である。
男が話し終えたタイミングで口を開く。「話を聞くと、わたしは無党派ね。どちらの派閥にも入る気はないわ」
男は、パッと顔を輝かせた。「奇遇だねえ。俺も無党派さ」
「ところで、次のボスの有力候補って既に決まっているの?」
男は神妙な顔つきで考え込む。「うーん、どうだろう。『ジャック派』は間違いなくウォルターが出るだろうね。『グレゴリー派』も誰かは知らないが、一番強い奴を出すだろう。なにせ、素手での殴り合いだからな。無党派からは誰も出ないはずさ。ほら、俺たちは根なし草みたいなもんだし。はっきりとした考えがあればとっくに新しい派閥を作ってらぁな」
やっぱり、そんなものか。このまま『グレゴリー派』が候補者を出さなければ一番だが、望み薄だろう。
人々のざわめきが聴こえはじめ、やがて木々の間に鉄柵が幾重にも張り巡らされている箇所に出た。鉄柵の一部に鉄扉が設置されており、鍵はかかっていなかった。集会のためだろう。おそらく普段は厳重に施錠されているに違いない。
門の脇にいた警備担当らしき男に団員証を確認されたが、なにも言われなかった。まずはひと安心だ。
扉は馬も通れるくらいの幅だったので、そのままつれていくことにした。なにかあったときに機動力を失いたくはない。
進むごとにざわめきが大きくなっていく。暫く進むと、急に視界が開けた。
そこは擂り鉢状にへこんだ場所だった。およそ百メートル四方の窪地に人がひしめいている。
「馬はここに置いたほうがいい」
小太りの男は付近の木々を指さした。見ると、既に何頭かの馬が木に繋がれて大人しくしている。それに倣い、手綱を結んだ。
窪地を見下ろすと、中心に柵が設けられているのが分かった。そこが決闘のための場所なのだろう。いささかチープ過ぎる。
人波の方向へ向かいつつ、男に訊ねた。「どのくらい集まる予定なのかしら?」
「さあ……多分、三百くらいかねえ」
三百人。今はまだ陽が明るいが夕刻にはもっと集まるということだ。今はせいぜい百人程度。それぞれの町の警護役は抜くとしても、一介の盗賊団にしては確かに大規模である。ミイナたちには悪いけど、アカツキ盗賊団が随分ちっぽけに見えてしまう。この集団のタクトを振るという気分はどんなものだろうか。少なくとも、グレゴリーは上機嫌で好き勝手やっていたに違いない。
その窪地は中心の十メートル四方程度の平地を残して、あとは急坂になっている。いつだったか本で読んだ『円形闘技場』というものは、こんな感じだったのだろうか。
中心の柵の近くに、ウォルターが立っていた。昨日と同様の赤シャツに白ズボンだ。こだわりがあるのだろうが、どう見ても決闘向きとは思えない。彼のそばにはフォーマルな格好の大男が屹立している。側近なのだろう。
小太りの男はウォルターの方向を指さして囁いた。「あの赤シャツがウォルターですよ」
「決闘向きの身体じゃないわね」
「まあ、その通りさ。だが、頭が切れる。それに、人望も厚い。普通に考えれば勝ち目なしだが、無策に突っ込む奴じゃない。きっとなにか仕出かすぞ」
わたしは苦笑した。
やがて辺りは薄暗くなる。厚く垂れこめた雲のせいで、夕刻であっても随分暗く感じた。
あちこちで松明が立てられる。いよいよ妙な雰囲気になってきた。盗賊団の次期頭領を決める場、というよりは未開の民族の怪しげな儀式みたいだ。
辺りを見回すと、随分と人数が増えていた。窪地の坂に腰かけているのは見物を決め込んでいる連中だろう。
「わたしたちも、もう少し前で見ましょう」と言い残して窪地を下りていくと、小太りの男は慌ててついてきた。
「あんまり近いと巻き込まれるぞ。柵の近くに陣取ってるのはふたつの派閥の連中なんだから」
小声で注意を促す彼に「じゃあ、あなたは坂で見ていて」と告げた。
好意なのか心配からなのかは知らないが、男は律儀についてきた。そして、明らかにふたつの派閥がぴりぴりとした空気を醸し出す最前列からは数歩下がった場所で成り行きを見守った。
ウォルターが前日に語った内容によれば、立候補者は決められた時間内に柵の内側に入ればいいらしい。ただし、一度柵に入ったら途中で出ることは出来ない。候補者として闘う義務が発生する。それで、午後五時ぴったりに団員のひとりがドラを打ち鳴らす。その瞬間に候補者が確定し、同時に決闘も開始というわけだ。どちらかが死ぬか気を失うまで決着にはならない。馬鹿なルールだ。
「今何時かしら?」
「四時五十七分。残り三分足らずで決闘開始だな」
背伸びをして柵の中に目をやる。ウォルターは既に柵の中でストレッチをしていた。
しばらく目を凝らしていると、もうひとり、冗談みたいな巨躯の男が指の骨をぼきぼきと鳴らしながら柵を乗り越えた。どこからどうみても粗暴な、グレゴリー的な男である。
「うわあ、さすがのウォルターもあれにはどうしようもないだろうなあ」
小太りの男は囁く。残り一分と少しだろう。
わたしは小太りの男に「もう少し前で見たい」と囁いて人波を押し分けて進んだ。
後ろから「おい待て!」と追いすがる彼の叫びが聴こえる。
彼のほうを振り向きつつ前進する。そして、丁度腰の高さに衝撃を感じた。そのまま受け身を取らず、ごろごろと転ぶ。
じんわりと痛む頭をさすりつつ、柵越しに叫ぶ小太りの男が見えた。泣きそうな顔をしている。
審判らしき厳めしい顔つきをした男は大きなため息をついて「武器を外せ」と言った。わたしの腰にはサーベルが結ばれたままだ。
「え、嘘、え、ちょ、待って!」
「黙れ! いいから武器を外せ!」
審判は慈悲なく言い放つ。周囲からは囃し立てるような口笛が鳴った。俯いて、なるべく時間をかけてサーベルを外そうとする。
「おい! 早くしろ! もう時間だぞ!」
「だって、急に言われてもほどけないんだもの!」
審判は苛々した様子で、もたもたとサーベルと腰のベルトを結んだ紐をほどくわたしの姿を凝視していた。
周囲からは物騒なヤジや卑猥な期待が次々に飛ぶ。さすがにいい気分にはならない。
ようやくサーベルを外すと、小太りの男に手渡した。男は「あんた、ルールなんていいから逃げろ……」と小声で呟いた。
この状況に怯えるか弱い乙女の如く震えながら、彼に背を向けた。タソガレにも、案外気の優しい奴がいるもんだ。
そしてドラが鳴った。




