48.「ウォルター≒ジャック」
路地を何度曲がったか分からない。狭苦しい路地裏の風景が延々と続く。どれも似たような造りになっているので、自分が同じ道をずっとループしているのではないかと錯覚してしまう。おそらくは道順を記憶させないためにあえて迂回しているのだろう。やがて大男は一軒の裏口の前で歩みを止めた。それから六回、間隔を空けて扉をノックした。するとドアが内側にゆっくりと開く。大男は先に入るよう、促した。
小さなランプの灯りが、急勾配な階段をぼんやり照らしていた。ドアの横にはおそらく盗賊であろう男がおり、上へ登るよう手で示した。わたしは頷いて一段一段登っていく。一足ごとに随分と大きな軋みを立てるのも、侵入者を警戒してのことだろう。狭い踊り場で折り返し、更に登ると右手に廊下が延びており、間隔を空けて四つドアが並んでいた。後ろから登ってきた大男に首を傾げて見せると、彼は「手前から二番目だ。二回ノックしてすぐに入れ」と告げた。
言われた通り、ノックを二回して、間を置かずにノブを捻り、扉を押し開けた。
――刃の煌めき。まず目に入ったのはそれだ。
咄嗟にそれを指で挟み、動きを止めた。
一本のナイフ。明らかに狙って投げたものだ。
わたしは部屋の中央で、今しも鋭利な刃物を放ちましたよといったポーズのまま薄笑いを浮かべて立つ細目の男――ウォルターを見つめてニッコリと笑いかける。
「随分ユニークなご挨拶ね、『ジャック派』リーダーのウォルターさん」
「退屈しのぎにダーツをしていてね。あんたも間の悪いところに現れるね、グレゴリー殺しのクロエ姉さん」
言って、ウォルターは部屋の中央に向かい合わせに設置されたソファの片側を手で示した。部屋の四隅にはフォーマルな装いの屈強な男が無表情で立っている。ここまで導いてきた大男ほどの体躯ではないが、充分威圧的だ。
ソファに腰を沈めると、ウォルターが向かい側に座った。彼は光沢のある赤い開襟シャツに、折り目のついた白いズボンを履いていた。グレゴリーとは違った趣味の悪さだ。
「今日は随分と趣味のいいファッションね。橋の上とは大違い」
「お褒めいただき感謝するよ。グレゴリーが健在だった時代は服の指定が厳しくてね。盗賊丸出しの安っぽい服で統一さ」
「あっちのほうが似合ってたわよ」
言って、四隅の大男を順繰りに見る。彼らは無表情だ。自分たちのリーダーが小馬鹿にされたというのに顔色ひとつ変えない。
「安い挑発に反応するような奴はここにはいねえよ。あんたもご存知の通り、明日が正念場だからな」
なるほど。ウォルター仕込みの冷静さ、というわけか。橋の上での彼の様子を思い出す。
「さて」と呟いて彼は足を組んだ。「本題に入ろう。マルメロまでショッピングに来たわけじゃないんだろ?」
「既に聞いているでしょう? あなたの部下から」
「俺は会って話がしたいとしか聞いてない」
「へえ。それだけでこんな簡単に会わせてくれるのね。随分と警戒心が薄いじゃない」
「デートのお誘いは断らない主義でね」
わたしは口を閉ざして、しばし考えた。この男相手に交渉の主導権を握るのは難しいだろう。ヨハンといいウォルターといい、『最果て』には口の上手い奴ばかりいるのか、と思ってうんざりした。
「結論から言うわ。わたしはあなたに協力したい。『ジャック派』が次期ボスになれるようにね。『ジャック派』は縄張りの警護で収益をあげたい、わたしは『関所』から先の土地は荒らされたくない。利害は一致してるんじゃない?」
「今のところは、ね。この先も俺たちが縄張りを広げないと約束はできないな。いつなんどき状況が変わるかは分からない。その意味では、利害は一致しないよな?」
「そうね。なら交渉決裂。今すぐタソガレ全滅に動くわ」
立ち上がり、サーベルの柄に触れても大男たちは身じろぎひとつしなかった。
ウォルターは眉ひとつ動かさず、薄笑いを浮かべたままだ。
「まあ座りなよ、姉さん。ここで見境なく刃を振るうほど、あんたは馬鹿じゃない」
見抜かれている。小手先の脅しなんて通用しないんだ、この男には。確かにウォルターの言う通り、ここで剣を抜くつもりはなかった。『ジャック派』のまとめ役を斬ることでこちらが得る利益はない。寧ろ、本来望む方向から遠ざかってしまう。ここでタソガレ盗賊団に刃を向けること自体、間違っている。報復という名の凶刃はミイナやジン、ひいてはハルとネロにまで及びかねないのだ。
わたしは目を瞑ってソファにかけた。どうも、交渉は不利にしか進まない。こちらの腹は全て読まれ、わたしはウォルターの考えなんてなにひとつ分からない。
「……分かったわ。あなたがお察しの通り、わたしはタソガレ盗賊団を全滅させるつもりはない。あなたが自分の力だけで次期ボスになれることが、わたしには信じられないだけ。確か素手での決闘でしょう? 『グレゴリー派』に勝ち目があるんじゃない?」
「それはあんたの読み通りだ。ここにいる武闘派のメンバーでも、連中を潰せるかどうか分からない。『グレゴリー派』に潜り込ませている奴からの報告では、連中は候補者自体決まっていない様子だ。このまま立候補者が俺だけなら問題ない。無党派の奴らのなかに妙な考えを持っているのがいなければ、だ」
「結局、博打じゃないの」
ウォルターはカラカラと乾いた笑いを立てた。「その通りさ。俺はその博打の確率をなんとか高めたいんだが、どうも上手いアイデアがない。『ジャック派』はひとりまで、『グレゴリー派』もひとりまで、無党派は何人出てくるか知らないが、同じ派閥から複数の候補者を立てるのはナンセンスだ。卑怯者に従う奴がどこにいる?」
「無党派に潜り込ませてる奴くらいいるでしょう? それを立候補者として立てて、有利に決闘を進めればいいじゃない。三人なら三人で、四人なら四人で乱闘になるんでしょう?」
「まあ、そうなるな。無論、他に打つ手なしと決まればそうするが、出来る限り避けたい。無党派に潜り込ませてる連中のなかに、ここに立っているような武闘派はいないからな。『グレゴリー派』が正式に力自慢を出して来たら敵わない」
わたしは思わず顔をしかめた。「『ジャック派』が負ける話にしか聞こえないんだけど」
またもウォルターは小さく笑う。目付きはそのままで、声と口元だけの器用な笑いだ。
「そこで、だ。俺は正式にあんたの協力を仰ぎたいと思ってる。渡りに船だ。ただ、あんたの出した条件は、完全には呑めない」
「でなければ『ジャック派』が敗北するだけよ」
「まあまあ、そう焦るなよ。さっきも言った通り、俺たちは今のところ縄張りを広げるつもりはない。警護を厚くして団員の犠牲者を減らすほうが先決だ。だが、メンバーが拡大し、より手広くビジネスが出来るとしたら、そのチャンスを逃すつもりはないね」
わたしはため息をついた。「だから、それじゃ交渉決裂よ。わたしは譲るつもりなんて一切ないから」
「まあ、そう言うなよ。俺たちはグレゴリーみたいな方法は取らない。侵略じゃなくて、あくまで交渉だ。『関所』の先が必要になった場合、連中が『関所』でやってるようなビジネスや魔具製造のルートに手出しするつもりはない。俺たちはただ、『関所』の先の町にメンバーを派遣したいだけさ。勿論、警護のために。どうだい? 平和的なやり方だと思わないか?」
ウォルターの言葉通りなら、それは確かにわたしが想像するような悲劇には結びつかないだろう。「もしアカツキ盗賊団が断るようであれば?」
「そのときは『関所』の先は一旦保留だ。ただ、引き続き交渉は続ける。あくまで平和的にね。奴らが魔物からの警護を始めるようであれば、俺たちは一切手を引くさ。そこには干渉しない。で、俺たちを必要としている別の土地に働きかけるだけだ。それが『ジャック派』の――いや、ジャックの考えだ」
彼はやや俯いた。組んだ足を直し、深く息をつく。
「どうだい。これでも駄目か?」
ここまでの条件を提示されて断る理由はなかった。
「信用していいのね? 嘘だった場合、わたしはあなたたちを許さない」
「信用していい。――俺たちはジャックの前で嘘はつかないのさ」
「ジャックの前?」
彼は入り口の反対側にかけられた小振りの肖像画を示した。理知的な表情の若者がそこに描かれていた。口元には僅かな笑み。右目は青、左目は碧のオッドアイが鮮やかだ。
「ジャックについて細かく語るつもりはない。けど、俺たちがジャックと、その教えに心酔していることは理解してくれ」
「教え?」
「そうだ」ウォルターは指を三本立てて続けた。「ジャックの教えは三つ。『フェアネス』、『ボーダーレス』、最後に『スマート』だ」
平等に、境界なく、そして賢くあれ。そういうことだろう、おそらく。それだけ聞けば立派だが、盗賊の旗印にしてはどうもしっくりこない。「なんだか盗賊じゃないみたいね」
ウォルターは指をパチンと鳴らして笑った。それまでの口元だけの笑いではない。なんとなく、表情も親しげだった。
「その通り。ジャックはタソガレを盗賊団ではなく、ひとつの組織としてまとめあげようとしていたってわけさ」
その道の途中でグレゴリーのような奴に権力が移ってしまった。ジャックという人がどうして盗賊団から消えたのか、それについては今聞くべきことではないし、既に過ぎたことだ。今は、彼ら『ジャック派』が実権を握り、ジャックの考えに基づいて組織をまとめるのが重要なのである。
「分かった。あなたに協力する」
「オーケー。素晴らしい決断だ。それじゃ、作戦会議といこう」
窓外はすっかり暗闇に包まれていた。
魔物の気配が現れては消えていった。




