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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第一章 第三話「軛を越えて~①ふたつの派閥とひとつの眼~」
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44.「カメリアの廃屋にて」

 いつしか景色は畑がちらほら増え、家並みもぽつぽつと見えた。頭上に広がる厚い雲は、濃い灰色に変わっている。じき黄昏時だろう。


 それはささやかな町だった。どちらかといえば村と言ってもよさそうなくらいだ。カメリア。それが町の名前らしい。町名を示す街道沿いの立て看板を過ぎると廃屋が間隔を空けて建っていた。思うに、昔は今よりもずっと栄えていたのだろう。


 実際に人が住んでいそうな家屋は町の中心部に集まっており、今は町と呼んで然るべき規模とは思えなかった。消えゆく町、そんな印象を受けてしまう。


 中心部に入る頃、わたしたちは馬から降りた。何人かの町民と擦れ違ったが、皆にこやかにお辞儀をしてくれた。小さいが温かな町。そんな印象を覚えた。


 町には食料品店一軒と役場があるきりだった。役場では中心地付近の比較的綺麗な廃屋を、旅人に向けて安価で貸し出しているらしい。ヨハンが言うには、旅人は野営を避けてカメリアで一泊するので、利用者は定期的にいるらしい。町ひとつの食料品店は当然のごとく繁盛する。


 なのに食料品店も役場も、質素な外観をしていた。


「ふたつの商いの稼ぎで町全体を回しているんですよ」とヨハンはぽつりと呟いた。ダフニーとは真逆である。あちらは、富める者はそれを強調し、貧しい者は相応の生活をせざるを得ない。


 ここには当然魔術師はおらず、自警団も存在しない。唯一、タソガレ盗賊団の最小限の警備のみ受けている。ヨハンはそう語った。


 必要最小限、か。縄張りの末端まで手が回らないのだろうか。あるいは、この町から吸い上げるだけの富が少ないので、従って必要最小限度に留めているのみなのか。真相は分からない。


 町役場は初老の男性がひとりで切り盛りしているようだった。わたしたちが宿泊希望と告げると「ちょいと待っていてね」と残してトコトコと奥へ消えていった。それからしばらくして、紙束を紐でまとめただけの簡素な帳簿をぺらぺらめくり、町から一番近くの廃屋を選んでくれた。好意はありがたかったが、中心地から外れた場所に替えてもらった。当然、ふたりの魔力を考慮してのことである。


 非常に恥ずかしいことだが、宿代はヨハンに立て替えてもらった。「貸しひとつですからねぇ」とニヤニヤ笑いつつ支払う彼の横でたっぷりと屈辱を味わったわけだ。ノックスも無表情でなぜか「貸しひとつ」と呟いた。


 それから役場の男は廃屋までわざわざ案内してくれた。井戸水は新鮮だから飲むもよし浴びるもよし、ランプ用のマッチはここ、夕飯なら食料品店でサンドイッチを渡す段取りになっているから後で来てくれ、といった具合に気が利いている。どうも親切過ぎるのではないか、と、こちらが心配してしまうくらいだ。


 廃屋は三人で泊まるには部屋数が多かった。リビング、客間、寝室、子供部屋、書斎。どの部屋も比較的綺麗だった。


「いい家ですねぇ。長居したくなってしまいますなぁ……。私は夕食をもらってきますが、お嬢さんがたはいかがします?」


「わたしは少し横になりたい」


「一日手綱を握っていれば疲れて当然ですからねぇ、騎士様といえども。……さて、坊ちゃんは私と一緒に買い出しに行きますか?」


「行く」


 わたしはノックスに「気をつけて」と残して寝室へ向かった。そしてベッドに身を投げ出す。


 肉体的には疲れていなかった。ただ、夜に備えて寝ておかなければならない。魔物はこちらの事情などおかまいなしに毎晩やって来るのだから。




 目を覚ますと、辺りは真っ暗だった。魔物の気配がないことが不思議なくらいに。


 ぼんやりとした感覚で窓辺に立ち、目を擦る。夜はそれほど深くはなっていないようだ。寝起きの錯覚で、真夜中のように思えただけだろう。


 リビングでは、ランプの灯が揺れていた。ヨハンはソファの背にべったりと身体を預けて眠っていた。その隣ではノックスが身を横たえている。身体を丸めて眠った彼の表情は、起きているときよりも感情豊かに見えた。


 寝室から毛布を引っ張ってきて、ノックスに掛けた。


 ソファの前のテーブルには、四角い編み籠がひとつ。中にはサンドイッチが三切れ入っていた。急に空腹を感じ、わたしは魔物の出ないうちにそれらをぱくぱくと口に運んだ。ハムエッグ、ポテトサラダ、キュウリ、それぞれひとつずつ種類が異なっていた。キュウリだけがみっしりと詰まったサンドイッチには思わず苦笑してしまった。ヨハンの嫌がらせでなければ、食料品店のマスターは挑戦的な人なのだろう。ともあれ、全て素朴な美味しさだった。安心する味。


 ヨハンは大いびきで寝ていた。わたしの分の食事も平らげてしまうくらいの男だと思ったが、案外律儀なのかもしれない。サンドイッチごときに裏があると勘繰(かんぐ)るのはさすがに滑稽だ。


 寝室に引き返し、もう一枚毛布を持ってきてヨハンにそっと掛けておいた。相変わらずの高いびきに、ほっと胸を撫で下ろす。気付かれると面倒極まりない。


 外は曇り空だった。ぼってりとした厚い雲が空一面に広がっている。深く息を吸い、長く吐いた。そして神経を尖らせる。まだ魔物の気配はなかった。


 サーベルを抜いて、何度か振ってみる。やはり、重過ぎる。両手で持って丁度いいくらいだ。わたしの戦闘スタイルとは噛み合わない。


 刀身をまじまじと眺めると、黒くこびりついた物が錆なのかなんなのか、いよいよもって分からなくなる。刃の部分には付着していないが、斬撃に影響が出るのは明らかだ。『親爺』の仕事を信用したい気はあったが、どうも粗末な一品である。


 サーベルを納め、庭と街道を隔てる木の柵に腰かけた。


 不意に板が軋む音がして振り返る。


「どうもパッとしない夜ですなぁ。これじゃ魔物も気分が乗らないでしょうね」


 ぶつぶつ言いながら玄関を閉めるヨハン。顔一面に眠気が広がっている。見ているだけで気が抜けそうだ。


「魔物の気分って、なにそれ」


「いやぁ、案外我々と似た奴もいるんじゃないかと、ときどきそんなふうに思うんですよ」


 呟いて、ヨハンはわたしと同様に柵に座った。


「なに言ってるのよ。寝惚(ねぼ)けてるんじゃないの? もうひと眠りしたらいかが?」


「いやはや、手厳しい。けれど案外優しいんですねぇ。そーーーーっと、毛布を掛けるお嬢さんを見ていたら笑いそうになりましたよ」


 わたしは無言でサーベルを抜いた。


「おっと、冗談冗談。納めてください」


 納刀し、ぼんやりと町並みを眺める。


 暫しの沈黙のあと、ヨハンはぽつりと呟いた。「しかし、優しいのも大概にしたほうがいい」


「……どういうこと?」


 聞き返しながらも、半分以上は分かっていた。ノックスの無表情が脳裏に浮かぶ。


「坊ちゃんに関して、あなたもわたしも首を突っ込む立場にはないですよ。彼の面倒をずっと見ていくならまだしも、ハルキゲニアまでの数日だけじゃないですか」


「……それでも、ノックスはわたしたちがなにをしたかを知るべきだった」


「ええ、そうでしょう。しかし、それについてどう考えるかは坊ちゃんの自由です。そこにまで介入するのは――」言葉を切って、ヨハンはため息をついた。「卑怯です」


 わたしは思わずヨハンから顔を背けた。どの口が卑怯なんて言うのだ、あんたこそ卑怯の化身みたいなものだろう、説教くさいこと言わないでよ骸骨男。ぐしゃぐしゃと悪態が浮かんだが、言葉にはならなかった。


 ただ一言「なら、どうすればいいわけ」とだけ、零れるように口から出ていた。


「坊ちゃんには坊ちゃんの感じ方があるでしょうし、お嬢さんにはお嬢さんの考え方がある。介入しようと干渉しようと、本来は自由です。ただ、坊ちゃんの身柄を引き受けて、既に出発しているんです。道中でネタばらしをした挙句、今さら意思を確かめるのはどうもフェアではないですね」


 この男の言う通りなんだろう、きっと。


「あんたにお説教されるとは思わなかったわ」


「いつもの戯言ですよ。……さて、私はもうひと眠りします」


 ヨハンはそう呟いて廃屋に戻っていった。


 魔物を討伐するための戦力は減ったわけだが、却ってありがたかった。落ち着いて物事を考えるためには、一晩くらいかかるだろうから。


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