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4.「剣を振るえ」

「ごめん」


 耳元でニコルの声がした。その刹那(せつな)、手足の感覚が消えた。当然のごとく、またしても前のめりに倒れ込む。受け身すら取れず、したたかに全身を打ったはずだが痛みはなかった。


「なに……これ」


 こんな魔術は知らない。聞いたこともない。


「知らないだろうね……これは触覚奪取(しょっかくだっしゅ)の呪術だよ。魔物のなかでも、かなり高等な者にしか扱えない技さ」


 呪術。それ自体は知っていたし、実際に目にしたこともある。人間が魔術を扱うのと同様に、魔物も炎や氷を操ることが出来る(しゅ)もいる。一見すると人間の魔術と全く同じだが、便宜的(べんぎてき)に呪術という区分で呼んでいた。騎士は呪術への対抗策のために、人間に扱える魔術の(たぐい)を記した書物を頭に叩き込み、魔術師との訓練でその弱点や回避策を身体に染み込ませる。そうやってわたしたち人間は、百戦錬磨の騎士団を作り上げたのだ。


 触覚奪取。そんなおぞましい技、王都の人間に扱える者はいなかった。文献にも一切記されていないはずだ。


「クロエ。王都の人々の見識(けんしき)なんてそんなものなんだ。死と隣り合わせの旅に出てはじめて分かることが沢山ある。……今でこそ人は安心して魔王の城まで馬車を走らせるような無謀(むぼう)が出来るけど、魔王討伐の(しら)せが入るまではどうだったかな? 君たちは王都の周囲から離れたことがあるかい? ……君たちが自分の庭の周囲で生温(なまぬる)い警備をしている間、そこからずっと離れた街や村はどうなっていたと思う? 魔物に土地を奪われるばかりで、それを取り戻したことが一度でもあったかな? それどころか、外れの村に援軍を送ったことが一度でも――」


「黙れ!」


 思わず遮った。


「……その気持ちも分かるよ。君はなにも悪くない。無知なだけなんだ。けれど、無知な人間の振りかざす刃は本当に正しいかな?」


「……やめて」


「僕はね、知ってほしいだけなんだ。この世界のことを。そこで息をする全ての存在のことを。魔術で強化した馬車を、昼夜問わず最高速度で走らせても一週間かかる道のりを、僕らは命を燃やしながら一年間旅したんだ」


 勇者。英雄。希望。そんな言葉の裏で、ニコルは地獄のような日々を味わったのかもしれない。それでも、自分の信じる正義を曲げるつもりなんてない。


「それで裏切りが許されると思うの?」


 彼は沈黙したまま答えなかった。唇に手を当てて天井を(あお)ぐ姿も、やはり幼い頃の彼に重なる。考え込むといつだってそうしていた。


 月光が彼を照らし出す。その表情に邪気なんて少しもなかった。


 しばらくして、彼は魔王に呼びかけた。


「ねえ。考えたんだけど、彼女を『最果て』に飛ばそうと思う」


 魔王は玉座から立ち上がり、ゆっくりとこちらまで歩いてきた。そして、ニコルの隣で立ち止まる。魔王の黒いドレス姿がどこまでも腹立たしかった。


「かまわない」


 そう呟いて、魔王はわたしの薬指から指輪を抜き取った。「でも、これはわらわの物」


 見下すような笑み。


「感謝するわ。そんな(けが)れた指輪なんて、()めていたくない」


 そう返したものの、魔王はなんの反応も示さなかった。回収した指輪を自分の薬指に()めてうっとりと眺めている。


 こらえろ、泣くな。自分にそう言い聞かせ続けた。


「決まりだ。……クロエ。これから君は長い旅に出ることになる。必死に立ち回らなければ、僕が手を下すよりずっと残酷な死が待っているだろうね。それらを乗り越えて、また会える日を願っているよ」


「……」


「まあ、返事はなくても構わない。今は、ね。君が僕の味方になるかどうか、そのときに改めて聞くよ。君が生きていれば、きっと返事は違うだろうから」


 ニコルは困ったように笑って「全く、僕はなんだかんだ甘いな。君のこと、結構気に入っているんだよ。だから今は殺さないし、生き残ってほしい。君が騎士団だけで終わるなんて許せないからね。広い世界を知って、再会しよう」と続けた。そして床に片手を突く。


 空気の流れが変わった。向かい風を受けているように、上手く息が出来ない。光の粒が集まってくる。それは互いに繋がり合い、やがて細い線になり、わたしの身体に吸い込まれていく。ちらと見える自分の腕に、薄青い幾何学模様(きかがくもよう)の線がぼんやりと浮き上がっていた。それは次第に濃さと光を増していく。


 ――転移魔術。ただ、わたしが知るそれは物体を数メートル動かす程度のものである。人に応用出来るレベルなんて存在しないと思っていた。しかし肉体の感覚を奪う未知の呪術がある以上、あってもおかしくはない。


「君にハンデは必要ないだろう? 剣は置いていってもらうよ。強い武器をはじめから身に着けているなんてずるいからね」


 彼の言葉通り、短剣には紋様(もんよう)が浮かんでいなかった。すると、丸腰で魔物の群れの中心に転移する可能性もあるだろう。それを恐ろしいと思うよりも、今この瞬間における憎しみのほうが(はる)かに強かった。


 相変わらず四肢(しし)の感覚はない。人は触覚を奪われるだけでまともに身体を動かすことすら出来なくなるのか。


 数刻前(すうこくまえ)まで確かにあった感覚を繰り返し想像する。腕の動かし方を、イメージする。


 魔王は相変わらず指輪を見つめて恍惚(こうこつ)とした表情を浮かべていた。


 ニコルはもう片方の手も床に突いた。「そろそろさよならだ」


『その身が砕けようとも剣を振るえ』。騎士団の標語だ。団員として、それには(こた)えねばならない。そう、『剣を振るえ』だ。


 感覚はなかった。けれどもわたしが放った短剣は、どうやら上手く命中したようである。


 鋭い悲鳴。そして切り飛ばされた指と、きらりと輝く宝石。それが最後の景色だった。

【改稿】

・2017/11/05 口調及び地の文の調整。ルビの追加。

・2017/12/21 口調及び地の文の調整。ルビの追加。

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