43.「無感情の面影」
風に揺られて草原が波を立てていた。空はいつしか曇り、この先の旅路を暗示しているかのように思えた。
手綱を握ったわたしの両腕の間で、ノックスはただただ沈黙していた。それが気にかかってならない。グレゴリーたちの死について、そして死に追いやったわたしたちについて、彼はどう感じているのだろうか。
もどかしい。いくら考えてもノックスの心中は見えてこない。それも当然だ。昨日話をしたばかりの少年についてなにもかも見通せるはずがない。だからといって有耶無耶なままにしておくのも卑怯ではないだろうか。ああ、もどかしい。
ヨハンが右手を挙げて、スピードを緩める。わたしもそれに倣った。
馬を降りたヨハンは、道の先を指さした。「じきに農地が見えてきます。そこから少し走れば町ですから、あと少しですねぇ。坊ちゃんも疲れたでしょう」
ノックスは曖昧に首を振った。
馬を降りたわたしは、ノックスに手を貸して降ろしてやる。橋の手前で休憩したときとなんら変わらない彼の表情や仕草に、なんとなく不安になった。
水筒を渡すと、二口だけ飲む。なにも変わらない。
「ねえ、ノックス」
わたしは思わず声に出していた。「さっき橋の上で聞いたこと、どう思ってる?」
ノックスは小さく首を傾げた。なんのことやら分からない、といった具合に。ヨハンは黙ってこちらを横目で見ている。
「グレゴリーと、盗賊たちと、アリスが……」
言いかけて、言葉に詰まった。なんて言えばいいんだろう。『死』をどう表現するのが正解なのだろう。そして利害の関係上わたしたちが進んでそれに追いやったことを、どう言えば……。
「坊ちゃん」
ヨハンは後を引き取るように呟いた。「『関所』にいたタソガレ盗賊団は、用心棒のアリスも含めて死にました。そして私とクロエは、グレゴリーたちを殺したも同然です」
ノックスはぼんやりとヨハンに顔を向けている。しばし沈黙が流れ、それから一言だけ発した。「そう」
「ノックス。あなたはそのことについて、どう思う?」
わたしが慌てて訊ねると、ヨハンのため息が聴こえた。
「どうも思ってない」
思わず「え」と声が漏れる。一瞬、頭がからっぽになった。それから一気に思考が押し寄せる。
なぜなにも思わないのか。グレゴリーは最低な奴だろうけど、思うところはひとつもなかったのか。他の盗賊は。彼に構ってやった団員もなかにはいたのではないか。なら、アリスは。彼女はノックスを魔物の手から守った張本人ではないか。失意の彼に「大丈夫」と声をかけてくれた唯一の相手ではないか。それを帳消しにするくらい手酷い仕打ちを受けていたのなら、彼らが消えたことに安堵はないのか。あるいは、少しの寂しさだったり。気が晴れる思いだったり。そんな感情はどこに?
ノックスの口調や表情、ほんの少しの仕草にも、なにも表れてはいなかった。虚しさすらも見受けられない。内面に怒りや喜び、苦しみや哀しみがあれば、それをこうも完璧に隠すことはできないはずだ。少なくとも、彼には感情を偽ったり隠したり、そんな様子はひと欠片もなかった。
「そろそろ行きますよ」と言い捨ててヨハンはさっさと馬に戻った。
「変なこと訊いてごめんね」と呟くと、ノックスは不思議そうに首を傾げるばかりだった。
馬上でもわたしはぐるぐると考え続けた。それからなぜか、騎士団のことが頭に浮かんだ。
王立騎士団ナンバー2。嵐のシフォン。魔具訓練校で異例の飛び級を果たした少女。確かわたしと同い年だったが、彼女はわたしが騎士団の末席にようやく座ったときには既にナンバー2の称号を得ていた。無口で無表情。与えられた任務以外には見向きもしない。彼女との共同任務に一度だけ参加したことがあったが、思い出したくない類の記憶としていつまでもわたしのなかに残っている。
あれは確か、三つ首の巨大な魔犬――ケルベロスの討伐任務だった。王都をぐるりと囲う壁の付近で目撃されたというので、緊急招集がかかったのだ。騎士はいくつかのグループに分かれてケルベロスの討伐にあたる、という作戦だったかと思う。わたしはシフォンの班に配属されたのだが、ケルベロスを発見する前にハルピュイア――上半身は人、腕は翼、下半身には鋭い鉤爪を持つ魔物――の大群に遭遇した。はじめ奴らはわたしたちに襲いかかったのだが、接近した個体を全てシフォンが切り裂いてしまうと、中空で様子見をしていた小狡い群は壁を越えて王都へと侵入していった。幸いなことにわたしたちのグループは最も城門に近かったので、まずは逃がしたハルピュイアの討伐を優先すべきだとシフォンに提案したのだ。わたし含め、シフォン以外のメンバー全員が。彼女の答えはシンプルだった。「必達任務はケルベロス討伐。グループリーダーとして別途受けた責務は同行メンバーの守護」
あまりに淡々と告げる彼女に、こう叫んだのを覚えている。「王都の人々はどうなるの! 今、街区は手薄になっているし、ハルピュイアがどれだけ狡猾に獲物を仕留めるか知ってるでしょう!?」
答えはひとつ。「どうでもいい」だった。そのあとのことは思い出せない。頭も心もからっぽになって、身体が芯から冷えていく感じを覚えているだけだ。
先ほどノックスの返答を耳にしたときの感覚は、シフォンのそれと似ているかもしれない。忘れかけていた傷痕が、今も確かに残っているのを見せつけられたみたいだ。
今でも彼女は無表情で、無感情に生きているに違いない。勇者一行の凱旋式で最後に顔を見たときも、わたしのなかの印象は微塵も覆らなかった。
奥歯を噛み締める。
嵐のシフォン。
おそらく、彼女は敵だ。ニコルと共に凱旋した六人のメンバー。そのうちのひとりなのだから。




