42.「橋の上の盗賊」
ノックスを自分の背後に隠す。
盗賊たちはわたしたちから一メートルほどの距離を置いたところで歩みを止めた。刃を向けつつ、こちらの動きを警戒している。
やがて、目の細い男が一歩前に出た。軽薄そうな薄笑いが顔に貼りついている。他の盗賊の様子を見るに、こいつが一番の司令塔らしい。若い、痩せ型の小男だ。他の連中よりも明らかに筋肉のない姿から察するに、頭を使ってのし上がったタイプだろう。
「悪いね、旅人さん。ちょいと事情があって止まってもらったよ。怪我したくなきゃ、妙な真似はするなよ」
高い声。落ち着いた口調。どっしりとした威厳こそないが、どこか冷酷な印象を受ける。
「なにか用かしら?」
わたしの返答に、男の眉がピクリと動いた。それから、わたしの身体に視線を這わせる。丁度腰のあたりでその目は静止した。「おい、女。武器を置け」
「嫌よ」言って、わたしは柄を握った。いつでも抜ける。連中は弓を持っておらず、常人以上の魔力も感じない。見晴らしはよく、他に隠れている奴もいそうになかった。
ヨハンは大人しく両手を挙げていた。そして、ぼんやりと空を見上げている。
「おいおい、やり合うつもりかい? こっちは十人で、そっちはふたりじゃないか。やめとけって」
「わたしは構わないわよ。怪我して泣くのはそっちだもの」
盗賊連中は今にも飛びかかってきそうなほど顔に怒気が満ちていたが、細目の男は平然としていた。やはり、こいつだけは冷静だ。安い挑発には乗ってこない。それに、盗賊たちが切りかかってこないのを見るに、この男がこの集団の意志決定を掌握しているのは明らかだ。
男は右手を挙げ、振り向いた。「おい、剣を下ろせ」
盗賊たちは一斉に切先を下に向けた。誰ひとり文句を言わない。表情には未だ苛立ちがあるようだったが、それでも従うあたり、従順なのかこの男に地位があるのか、はたまた両方か。
この男にはわたしたちの力量がおおよそ掴めているのかもしれない。少なくとも、自分たちでは勝てないことくらいは把握しているだろう。
「なに、少し脅してみただけだ。気を悪くしないでくれ。あんたがたに興味があってね。いくつか質問してもいいかな?」
男はこちらに顔を戻して、薄く笑った。
「そこを通してくれるなら、構わないわ」
「無事通すかどうかは答え次第だ」
「通してくれなきゃ、力づくでも通るだけ」
男は肩を竦める。どことなくヨハンに似ているな、と思った。軽薄な感じも、状況の察知力も。
「血の気の多いことを言うね。……俺は質問したいだけなんだから、そう敵意を向けなくたっていいじゃないか」
「最初に剣を抜いたのはあなたがたじゃなくって?」
「揚げ足を取るのも、挑発するのも上手いね。まあ、落ち着いてくれ」
確かに、悪い癖だ。売り言葉に買い言葉。冷静になる必要がある。
わたしは息を吐いて、サーベルの柄から手を離した。
「オーケー。それでいい。さて、質問なんだが、あんたらはどこから来てどこへ行くんだい?」
「……ダフニーから来て、この橋の先へ行くつもりよ」
「オーケー。ところで『関所』は楽しめたかい? それとも、迂回したのかな?」
やはりそうきたか。自分たちのボスが奪い取った『関所』の方面から見知らぬ男女が無傷でやってきて、しかも馬まで持っている。そうなれば、なにかしらの異常は感じ取るだろう。
わたしはなんと回答するか迷っていた。迂回するルートについては全く知らないので、細かく探りを入れられたら困る。それに、迂回ルートを馬で進む方法があるのだろうか。あの巨大な崖に挟まれた『関所』の道を除けば、周囲は岩山が延々と伸びていたはずだ。
わたしは言葉に詰まって、ヨハンを見上げた。わたしの視線に気付いたのか、にんまりと笑ってみせる。
「我々は『関所』を越えてきました。堂々と、です」
なにを言ってるんだ、こいつ。思わずわたしは顔をしかめる。
男の眉がまたしても微動した。「へえ。よく無事に通れたね。どんな手品を使ったんだい。あの場所は俺たちタソガレ盗賊団のボスが占拠してるはずだけど」
「ああ、それなんですが、グレゴリーも、その取り巻きも皆アカツキ盗賊団に倒されましたよ。まあ、どちらも魔物に喰われたわけですが」
馬鹿! と思わず怒鳴りそうになった。一体なにを考えて正直に敵の前でべらべらと不利なことを喋るのだ、と。怒り狂った盗賊たちが襲いかかってくるに違いない、と思ってわたしは咄嗟に剣の柄を握り直した。
細目の男はぽかんと口を開けたまま、なんの指令も下さなかった。後ろの盗賊たちも互いに顔を見合わせている。どうも様子が変だ。
「俺たちが雇った魔術師――『狂弾のアリス』は?」
「それも魔物のご馳走になりましたよ」
男は手のひらで目を覆い、身体をくの字に折った。それから、ぶるぶると震える。怒りが沸騰しているのだろうか。
わたしが神経を尖らせて彼らの様子を見守っていると、男は覆った手の人さし指と中指の間を開き、その間から目を覗かせた。その目は最前とは打って変わって大きく見開かれていた。
「嘘じゃねえだろうな」
脅すような、低く曇らせた声。
「本当ですよ。でなければ、こんな無事に通過できるはずがないじゃないですかぁ。わたしたちがどちらの盗賊からも身ぐるみ剥がされなかったのは、我々が『関所』奪還の立役者だからですよ」
自白。厄介事に巻き込まれたいなら、自分ひとりのときにやれ! 歯噛みしつつ内心で叫んだ。
固唾を呑んで、連中の動静に集中する。
男はまたも身を折って震えた。次第にそれは大きくなっていく。
瞬間、わたしはなにがなにやら分からなくなった。盗賊たちは一斉に高笑いを上げたのだ。面白くて仕方がない、といった調子で。
ヨハンの説明には筋が通っていた。タソガレが『関所』を支配していたのなら、わたしたちが無事にここまで辿り着くことができないのは火を見るより明らかなのだから。連中のボス――グレゴリーがノックスに行った容赦ない罵倒を鑑みると尚更だろう。残忍で、功利的な男。そいつがタダで旅人を通すはずがない。
ふと、わたしはノックスが気がかりになった。図らずも、ヨハンが全てぶちまけてしまったのだ。ノックス自身が所属していた組織のボスは死に、魔物の脅威から守ってくれたアリスも同様の末路を辿ったことを。そして、その原因がわたしたちにあることも。
ちらりと振り向くと、ノックスはいつもの無表情で立っていた。その顔に一切の動揺は見られない。なにか声をかけなければと思ったが、今はそれどころではない状況だった。
「死んだのか? グレゴリーも、奴の側近どもも?」
「そうですよ」
「で、あんたらはタソガレ盗賊団を壊滅させようとしてんのか?」
「そんなつもりはないですよ。あくまで我々は一時的に協力しただけですから。どちらの側にも立っていません」
「クァ、ァハハッ! こいつはいい。最高だ! おい! あんたら、通っていいぞ!」
ヨハンは「どうも」と言って馬にまたがった。
わたしは面食らいながらも、ノックスを馬に乗せた。そのときである。
「待て!!」
男の目付きが瞬時に鋭くなった。同時に右手を挙げて指を一本立てる。すると、盗賊たちが一斉に剣の先をわたしに向けた。
「そいつ……グレゴリーの手下じゃねえか。なんでそこにいやがるんだ。『関所』はアカツキの手に落ちたんだろ?」
ノックスの乗った馬の前に出て、サーベルを抜いた。殺気立った雰囲気に満ちている。口を開こうとするわたしを、ヨハンが遮った。
「その子は、グレゴリーが戦闘の途中で捨てたんですよ。で、そこのお人よしなお嬢さんが拾っちまったってわけでさぁ。なに、その子がタソガレ盗賊団について首を突っ込むことはないですよ。それはお嬢さんが許さないでしょう。ねえ?」
「当たり前よ」
わたしの剣幕に圧されることなく、男は再び細目に戻って眉を何度か動かした。頭を働かせているときの癖だろうか。
しばらく沈黙していたが、やがて決心したように頷いた。
「うん、あんたらの言葉は信じるに値しない。根拠がないからね。それに、グレゴリーの側近が残っているなら生かしておけない。だから――」
奴の言葉の途中で剣を構えた。いつ戦闘になってもおかしくない。
「俺たちはその子だけは見ていないことにする。ここを通ったのはノッポの兄さんと帯剣した姉さんだけだ。あんたらは巧妙にその子を隠して、ただのひとりにも気付かれず橋を突破した。――オーケー?」
願ってもない提案である。剣を納め、首肯した。彼らにも思惑があるのだろう。
グレゴリーの死に歓喜する以上、盗賊団内部にも様々な軋轢があるに違いない。知ったことではないが、それで無事に橋を渡れるのなら文句はない。
道を開けた盗賊たちの間をわたしたちは抜けた。
遥か前方に橋の終わりが見える。対岸も草原が続いているようだ。
ヨハンの背を眺めつつ、こいつは一体なにをどこまで知っているのだろう、と疑わずにはいられなかった。と、同時に薄ら寒い気分にもなる。この男に全て任せて進むのが本当に正しいのだろうか。
それでも道は続いている。ヨハンは地図の上でも、先ほどの一件でも、より安全な方法を選び取っている。
進むしかない。そう決意する。引き返せない泥沼に足を踏み入れるその直前までは、この男についていくしかない。
橋を渡り切れば、その先はタソガレ盗賊団の縄張り。ミイナはそう言っていた。この先は、村ひとつを魔物の餌にしても平気な顔をする非道な連中が支配する土地。利益だけがものを言う世界。
唇を固く結ぶ。
やがて蹄は大地を踏んだ。




