39.「雪解けのように」
途中からわたしたちは居間に戻り、話し続けた。といっても進んで口を開くのはミイナとジンばかりで、わたしは彼女らに催促されてごくシンプルにアリスとの戦闘について語ったくらいだ。『親爺』は盗賊団の元頭領とは思えないほど柔らかく微笑み、穏やかに相槌を打った。
ミイナはヨハンと同様にわたしを『用心棒』として、昨晩の荒々しい物語に登場させた。それがどこか必死で、哀しく思える。ハルに関する一切は伏せておくつもりなのかもしれない。
いつしか話が尽きて沈黙が下りた。それを見計らったように『親爺』は口を開く。
「ミイナ、ジン。わしはどうもお前らが隠しごとをしているように思えてならん」
さすがの慧眼である。いや、彼女らの親代わりだからか。僅かな癖や心の機微をしっかりと読み取っているのだろう。
感心して『親爺』をまじまじと見た。
「ミイナよ」
『親爺』は威厳ある口調で告げる。「元団長に言うことはないのか」
彼女は困ったように頭を掻いて、それから観念したのか、大きく息を吐き出した。
「分かったよ。全く、親爺は秘密のひとつも持たせてくれねえ」
それからミイナは、ハルの死と、死体が死霊術師に使役されていること、魔具の消滅のことだけを淡々と語った。そして最後にこう加えた。「クロエはアイシャの代わりに、ヨハンが連れてきたんだ。で、折角だからタソガレ討伐に付き合ってもらった」
言い切るとミイナは口を尖らせて黙り込んだ。その態度が不安の裏返しであることは分かった。彼女が『親爺』にハルの行方を報告することに躊躇いを感じていたことは、既にアジトで聞いていた。それが『親爺』の心情を慮っての躊躇であることも。
長い沈黙が流れた。
「客人よ」と『親爺』はわたしに呼びかける。「アイシャは、どんな様子だった?」
「はい。……彼女はそこではハルと呼ばれていました。そしてわたしも、ハルとしての彼女しか知りません。その前提で話します」
一拍置いてから、ネロとハルと過ごした僅かな日々のことを語った。細大漏らさず、実直に。『親爺』もミイナもジンも、伏し目がちに聞いていた。
「ハルは」言葉を切って、『親爺』を真っ直ぐに見つめた。彼もわたしを見返す。「ハルは、幸せに生きています」
しばしの沈黙。それから不意に、皺だらけの老いた顔に一筋の涙が流れた。ミイナとジンは凝然とそれを見守っている。
やがて『親爺』はぽつりと零した。「……それで魔具回収を命じたわしの罪が雪がれるわけではない。しかし、それでも」
よかった。口元は動いたが、声にはならなかった。
『親爺』の様子を見つめていたミイナは、椅子のうえで膝を抱え、そこに顔をうずめた。張りつめた心がほどけて、外へと流れ出すような光景。わたしとジンは、その啜り泣きを聴かないようにする。
長い冬の終わり、窓越しに雪解けの雫が落ちるのを見るような感覚になった。外には生まれたばかりの春の陽射しが薄く射し込んでいる。そんな情景。
時間を置いて『親爺』に問いかけた。「失礼ながら、質問します。なぜ魔具の回収を命じたのですか?」
「あれは」と、言いかけて『親爺』は目を瞑った。「あれは……欠陥品じゃった。クロエと言ったな。お主も不完全な魔具には稼働限界があることを知っておるだろう。わしが昔、死霊術師に贈った盾もその期限が迫っておった。放っておけばいつ魔力が暴発するかも分からぬくらい、危険な時期にあったのじゃ。しかし、死霊術師は返還を頑なに拒否した」
「なぜです?」
「……息子の病を治すためじゃ。あの盾には複合的な魔術が施してあっての、ひとつは魔物避けの退魔術、もうひとつは治癒術だが、これは些細な力じゃ。最後にひとつ、魔力の増幅じゃ」
思わず目を見張る。魔力増幅。王都の人間の多くはそれが施された魔具について知っている。御伽噺として頻繁に語られていた。もしそれが本当に実在するとしたら、世界は魔術師だらけになってしまう。
わたしの様子に気付いたのか、『親爺』は訂正した。「魔力の増幅といっても、自己暗示程度のものじゃ。設置型の退魔専用魔具に少しばかり細工を施した物と思ってほしい。その細工自体も、死霊術師の夫婦に請われて加えたものじゃ。しかし、それがアダになった。魔力増幅がどのように作用しているか、それは分かるかね?」
わたしはかぶりを振った。それについてはなんの知識も持っていない。「分かりません。けれど、想像することはできます。たとえば、大気中の微弱な魔力を吸い上げて対象に注ぎ込むとか」
『親爺』は頷いて続けた。「聡明じゃな。その通り。その魔具が暴走したとなれば、どうなるか分かるかね?」
「……たとえば、魔術師の身中に溢れる魔力さえも吸収してしまう……」
『親爺』は目を伏せて呟く。「死霊術師はわしの良き友人じゃった。彼らの衰弱を止められなかったのは、わしの説得力のせいじゃ。そしてそもそも、魔具の欠陥を見抜けなかった愚かさが彼らを、ひいてはアイシャを死に追いやった」
わたしは『親爺』の眼に、ハルと同じ悲哀を見た。傷の連鎖。それは互いにずれを生じさせながらも、一本の鎖として繋がっている。
「僭越ながら……」と切り出した。無神経なことぐらい、百も承知で。「アイシャさんは、今はハルとして生きています。あなたの友人だった死霊術師のひとり息子、ネロと共に。そしてネロはハルの罪を知り、それでも彼女と共に生きることを選択しました。全てはふたりの現在に収斂しているように、わたしには思えます。……すみません、出過ぎたことを言いました」
『親爺』は掌で目を覆い「いや、いい」と言った。
今度はジンもわたしから大きく顔を逸らしている。ミイナは相変わらず膝を抱いていた。
泣き虫め、と内心で呟く。わたしの視界もちょっぴり滲んだ。




