37.「暁の怪鳥」
際限なく押し寄せる子鬼の大群を薙ぎ払う。可能な限り後退せず、囲まれないように心がけていても、切り裂ける子鬼の数はたかが知れている。徐々に数を増していくそれらに、いつしか囲まれていた。八方に注意を向けつつも斬撃を緩めない。一撃は軽くともいい。速さだけが唯一の問題だ。そしてわたしは、騎士のなかで最速の斬撃を誇っていた時代もあった。
後方のタソガレどもも戦闘を始めているようで、剣に裂かれる子鬼の甲高い最期の鳴き声が絶えず響いていた。こうなれば、もはや敵も味方もない。
腕に鈍い痛みが走る。それは絶え間なく押し寄せ、わたしに休息を囁くようだった。もうやめておけ、限界だ、と。あるいは、ここを乗り越えたとしてニコルに到達できるのか、憎らしいあいつはきっと子鬼の大群なんて悠々と全滅させてしまうぞ、と。
動きを止めずに意識をこの瞬間に集中させる。振るった刃の軌跡や次の斬撃の角度、真後ろの子鬼を切りつけるタイミング、足元に迫った個体と飛び上がった個体の数、それらだけを考えれば余計な思考を締め出すことが出来る。肉体の疲労も、諦念や気怠さも、意識する価値はない。その分の集中力を子鬼の討伐に注ぎ続ける。
タソガレ盗賊団のメンバーから次々と曇った悲鳴が上がった。
「おい!! 俺を助けろ! アリス! おい!」
グレゴリーの縋りつくような叫びが響く。見なくとも、現在の状況は手に取るように分かった。部下が次々に無力化され、残ったグレゴリーが囲まれているのだろう。飢えた子鬼に容赦などない。金の鎖も、ワニ革のブーツも知ったことではない。全て平等に喰らいつくだけだ。
「悪いねボス! あたしも手一杯なんだよ! どうやら、ここで契約終了みたいだねえ」
アリスにも加勢するだけの余裕がないことくらい、グレゴリーにも理解できただろう。それでも助けを求めざるを得ない状況ということだ。彼を囲んで守ってくれる盗賊団のメンバーは、もはや誰ひとりいない。
どのくらい経過したか分からない。五分かもしれないし、三十分かもしれない。時間を体感できる余力はなかった。空は夜明けの一歩手前で停止しているような、そんな具合だった。
子鬼の悲鳴に混じって、わたしを呼ぶ声が聴こえた。
「クロエ!!」
一瞬、幻聴だと思った。ミイナの声。もはや体力は限界に近かったから、死の目前に気まぐれな神が夢を見せてくれたのかと、そう感じたのだ。
斬撃を止めることなく振り向くと、既に子鬼と戦闘を始めているミイナがいた。おそらく、こちら側の穴ぐらの最上階にはロープが垂らされたままだったのだろう。そこから登り、この窮地に駆けつけてくれたことを思うと喜びで胸が熱くなった。穴ぐらからは、ジンとヨハン、あとは数こそ減ってしまったが盗賊団のメンバーが登ってきた。
ヨハンはナイフで子鬼を振り払いつつわたしの傍までやってきた。
「ご無事でなによりですよ、いやはや、素晴らしい働きだ。それに、機智に富んだ作戦でしたよ」
ヨハンはわたしの後ろに回り込んだ。おそらくは、背中合わせに戦うつもりなのだろう。
「全部あんたのせいでしょうが」
「まあ、やむなしですよ。それに、お嬢さんも私も、団長もジンさんも生きている。盗賊団のメンバーだって全滅はしていない」
「口を動かす余裕があったら戦って」
「はいはい、これが本当の共闘ですかね」
口の減らない男だ。しかし、一度に相手をする数が半分に減ったおかげで随分と楽になった。共闘、それに違いない。背中を預ける相手としては信用ならなかったが、戦力としては充分だ。
ようやく辺りに少し目を向ける余裕も出てきた。ミイナはひとりで囲まれつつ戦っている。彼女の武器ならば、それが一番の戦闘方法だろう。他のメンバーはふたり一組で背中合わせに戦っていた。ターゲットが分散したためか、周囲を囲む子鬼の数も減ったように思える。
夜明けは目前まで迫っていた。空は白んでいる。しかし、子鬼が消える様子はない。通常、魔物は日光を浴びると霧のように消えるとされていた。しかし、騎士団時代は朝陽のなかでも戦い続ける魔物の姿を何度も見ていた。夜行性というだけで、魔物の側に消える意志がなければ永久に戦い続けるのではないだろうかなんて考えたこともある。だが実際、朝になれば魔物は目に見えて弱体化する。そのためかどうかは知らないが、朝陽が昇るとともに消滅する個体が多い。その程度のものだ。ごく稀に、朝焼けのなかでも力を失わない魔物も存在する。
「もうじきです」
ヨハンはわたしの背後で呟いた。
「ええ、もうすぐ朝が来る。そうすればわたしたちの勝ちよ」
「いえ、そういうことではないんですよ。まあ、じきに分かりますから暫く辛抱してください」
ヨハンの意味深な言葉について考えを巡らす。このうえ、まだなにか策を弄しているのだろうか。彼のことだから、次の瞬間になにが起こるかは分からないが。
不意に、嫌な感覚が背を這った。耳鳴りがして、神経が昂る。
瞬間、子鬼の群は脇目も振らずに崖下へ向けて駆けていった。
盗賊団から鬨の声が上がる。朝が到来して子鬼が去っていったと理解したのだろう。無理もない。既に地平線は赤く燃えている。
「ふん、鬱陶しい奴らが消えたね。これでようやく第二ラウンドだ」
アリスの周囲から防御魔術が消える。
おそらく、実際になにが起ころうとしているのか知っていたのはわたしとヨハンだけだったろう。わたしは騎士時代に磨いた魔物の察知能力によって。ヨハンは計画を仕掛けた側として、それぞれ同じ予感を抱いていたに違いない。
「さあ、クロエお嬢ちゃん。構えなよ。殺し合おうじゃないか!」
巨大な羽ばたき。ミイナもジンも、盗賊団も、そして当然わたしとヨハンも同じものを目にしていた。
アリスは尋常でない羽音と不自然な風を感じたからか、ようやく振り返った。
そこには異様に大きな嘴を持った巨大な鳥が、今まさに崖から顔を覗かせたところだった。そいつは嘴を大きく開く。
「――!!」
怪鳥は、声にならない悲鳴を上げたアリスを容赦なく呑み込んだ。
そしてわたしたちはまるで目に入らないとでも言いたげな様子で、暁の空へ高く飛び上がった。怪鳥の姿は風に乗り、みるみる小さくなっていく。
怪鳥ルフ。それがその魔物の名前だったと記憶している。朝焼け、力の弱まった魔物を嘴で捕らえて巣に持ち去り、雛に喰わせると言われている。朝陽が昇ろうと力が弱体化しない魔物の一種だったはずだ。
皆、沈黙して怪鳥の去っていった空を見つめている。暁は静かに、わたしたちを赤く染めあげていった。




