351.「機械仕掛けの使者」
どうしよう。なんとか誤魔化せないだろうか。頭のなかでぐるぐると算段してみたものの、閃きは訪れない。なにせ、オブライエンがどこまでのことを知っているのかさえ分からないのだから。
「騙すって、なんのこと?」
おそるおそるたずねると、オブライエンはニコリと微笑んだ。敵意も悪意もない笑みである。
「あなたが何者か、すっかり分かってしまったのですよ」
彼はさらりと言ってのける。
――つまり、わたしが王都にとっての裏切り者であり、ヨハンとシンクレールも同じだと気付いているのだろうか。
生温い風が木々を揺らし、頬を撫でた。遠くで朝鳥が鳴いている。
「吾輩は王都から派遣された秘密の使者なのです。王を襲った罪人を捕えるために、はるばるこの地までやってきました」
オブライエンは両手を広げて歌うように言う。彼の外套が、風を受けてバサバサと靡いた。
思わず立ち上がって一歩引く。王都からの使者ということは、ヨハンの発見と捕縛が目的に違いない。わたしやシンクレールもその対象に入っているとは考えづらかった。死者を追うような馬鹿げた任務なんてありえない。とはいえ……。
オブライエンは、こうして死んだはずの裏切り者を見つけたのだ。王を射抜いた悪魔もセットで。上手く捕えることが出来れば勲章どころの話ではない。
彼は腕を広げたまま相変わらず微笑を浮かべている。その余裕たっぷりの態度は、全身の機械に由来するものだろう。それらを武器として使うことが出来るなら、かなり厄介な敵だ。
すぐにシンクレールとヨハンを起こす必要がある。けれど、彼がそれを許すなんて思えない。ここはわたしひとりで対処しなければ――。
拳をかまえ、オブライエンを睨んだ。
「そう簡単に捕まるなんて思わないほうがいいわ。元騎士がどれだけの力を持ってるか――知らないわけじゃないでしょ?」
風が、髪を乱してすぎ去る。
オブライエンの手が持ち上げられ、そして――。
「アハハ、ごめんなさい。ちょっと意地悪すぎましたね」
愉しげな笑いが風に混じって流れた。オブライエンは口元に手を当て、目を細めて腹を抱えている。
さっぱり意味が分からない。
「失礼、ちょっとした悪戯です。吾輩は秘密の使者なんかじゃありませんよ。単なる旅人です。それも、記憶喪失の」
「じゃあなんでわたしのことを……」
「旅先で聞いただけです。風の噂はすぐに広がりますからね。しかし、驚きました。死者にお目にかかれるとは」
彼の口ぶりだと、すでにほとんどの物事は知っているのだろう。少なくとも、王都で語られているであろう顛末くらいは。
「……そうやって油断させようとしてるんじゃないの?」
からかっただけだから問題ない、と言い切れる状況ではなかった。オブライエンが何者かなんて、究極のところ分からないし、実は先ほど言い放ったように王都の使者である可能性だって消えない。そもそも、わたしがクロエであることを知られてしまった以上、状況は悪い。
オブライエンは首を横に振り、ニコニコとこちらを見つめる。
「吾輩が本当に使者で、あなたがたを捕えるつもりなら、ネタばらしはしないでしょう? ……これに関しても、吾輩のスタンスは昨日と変わりません。つまり――互いの目的を邪魔しない以上、どんな事実があろうとも関係ないです。吾輩とクロエ嬢はキュラスへ行くために協力する。以上! これほど明快なこともありますまい」
昨晩オブライエンにテレジア討伐のことを聴かれたが、彼はありきたりな倫理観も抵抗も示さなかった。とはいえ、それとこれとが同じだとは思えない。
「でも、あなたが敵じゃないと証明することは出来ないでしょ?」
「それはちょっとズルい論法ですね。クロエ嬢は案外無茶なことをおっしゃる。証明は出来ませんが、状況的には白く見えませんか? 本当に敵だとしたら、こんなふうに呑気なお喋りはしませんよ。油断させるつもりなら、知らない振りをすればいいだけです」
確かにそうかもしれないけど……。
論理的に考えれば、こうしてオブライエンが事実を明かして歩み寄るメリットなんてない。しかしながら、それを鵜呑みにして安堵出来る状況ではないのだ。とことんまで疑ってかからないと、結局自分の首を絞めることになる。
「今はそうかもしれないけど、今後あなたはわたしたちを売るかもしれない。そうするだけの理由が出来たら……」
「そんな薄情な真似は好きじゃありませんね。吾輩は誠実な人間でいたいのです」
「誠実な人なら、あんなからかい方はしないんじゃないかしら?」
「誠実で、少々お茶目な人間が理想ですね」
ああ言えばこう言う……。ただ、オブライエンの口調にはこちらを騙して裏をかこうとするような雰囲気はなかった。だからといって信頼までは出来ない。裏切りはいつだって、意外な場面で、意外な人間がするものだから。
メフィスト。頭のなかで、その名がこだまする。
「どうすれば信頼していただけるか分かりませんが、判断はキュラスまで保留なさってはいかがでしょう。少なくともそこまでは運命共同体なわけですから。その先のことは、また改めて話しましょう」
「そう、先のことは先のこと。この段階でくよくよ悩むのは効率的ではありません。それに、方法がないわけではありませんから」
不意に背後からヨハンの声が聴こえ、びくりと身体が震えた。振り返ると、例の不健康な顔が、品のない笑みを浮かべている。いつからそこにいたのか……まったく気付かなかった。
「方法?」
オブライエンが首を傾げた瞬間――直線的な魔力が彼の額を貫いた。
「ヨハン!!」
思わず叫ぶと、彼は苦笑してオブライエンを指さした。「よく見てください」
ヨハンの示すままオブライエンに視線を向けると、彼はきょとんとした顔つきでこちらを眺めていた。そして――。
「ハル嬢、ヨハン氏、おはようございます。吾輩、もしかして寝てましたか?」
オブライエンの言葉を噛みしめるようにヨハンは頷き、ニヤついて見せた。
「ええ、ほんの少しでしたが。いやはや、オブライエンさん、働きすぎも身体に毒ですなぁ。もうじき朝食の時間でしょうから、多少なりとも休んだほうがよろしいと思いますねぇ」
「なぁる、どうりで頭がぼんやりするわけです。鋼の身体と思っていましたが、案外無茶がききませんね。きりのいいところまで進めたら休憩します。――ハル嬢、どうしたのです? 吾輩の顔になにかついていますか?」
オブライエンは、先ほどとは随分様子が変わっている。まるでわたしがクロエであることを忘れ去ってしまったかのように――。
「いえ、なんでもないの」と答え、小屋へと足を向けた。案の定、ヨハンがついてくる。
ドアを閉めると、彼に向き直った。そして声には出さず、口の形だけで示す。『なにをしたの』と。おおかたの想像はついていたが、聞かずにはいられなかった。
すると彼はニヤニヤ笑いを浮かべて自分の頭を指すと、指先を明後日の方角へと向けた。
そして彼はあくびをすると、わたしの横をすり抜けて部屋へと向かっていった。その痩せた背を目で追ってため息を吐き出す。
ヨハンのやり方は多少強引だったものの、あの状況ではベストだったろう。それしかないくらいに。
忘却魔術。それ自体は大して強力なものではない。せいぜい、部分的な短期記憶――それも、確固たる記憶として定着する前の記憶――を消す程度のものだ。
ヨハンは、オブライエンの頭から昨晩シンクレールが発した失言を消し去ったのだろう。それに紐づく一連のやり取りも含めて……。
オブライエンはかなり抜け目ない人だと分かったけど、ヨハンも大概だ。危機に対する嗅覚が尋常ではない。
しかしながら、オブライエンがキュラスに同行するということは、いずれこちらの正体を再度知ることを示しているように思えてならなかった。そのとき、ヨハンはどのような行動を取るのだろう。危機を退けるために、また忘却魔術をかけるのだろうか。
嫌な考えが頭をよぎる。
それを追い出すように首を横に振った。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ハル』→ネロの死霊術によって蘇った少女。メイド人形を演じている。元々はアカツキ盗賊団に所属。生前の名前はアイシャ。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照。現在クロエは、彼女の名を偽名として使っている。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて
・『メフィスト』→ニコルおよび魔王に協力していた存在。ヨハンの本名。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』
・『忘却魔術』→記憶を喪失させる魔術。短期的な記憶に限り、消せると言われている
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。一度魔物に滅ぼされている




