3.「恋と正義と」
刃の嵐。
そのただなかで平然と微笑むニコルは人外じみていた。勝ち目が見えない。それでも斬撃をゆるめなかった――。
腹部に重い衝撃が広がり、気が付くと膝を折っていた。そして床に倒れ込む。上手く呼吸が出来ない。
掌底を打ち込まれたのだと悟った。それも、魔力の籠った一撃を。わたしの身体は、波のように打ち寄せる痺れに覆われていた。
「すまないね……少し乱暴した。けれど、こうでもしないとゆっくり話もできないだろう?」
癪な魔術だった。首から上はまるっきり麻痺していない。頭はクリアで、口を開こうとすれば妨げるものはなにもないだろう。
「話すことなんて……ない」
彼はわたしのそばに寄り、しゃがみ込んで髪に触れた。思わず首をそらす。
「いい髪型だ。やっぱりこっちのほうが素敵だよ」
屈辱。しかし、もし幸せな新婚気分が続いていれば、と考えてしまう。わたしはきっと喜びに満ちていたに違いない。その事実に歯噛みした。
「触るな! 裏切り者!」
彼は寂しげな表情を見せた。そんな顔をするな。心中に、じんわりと疼くような痛みが広がる。
「クロエ……君にはこちら側にいてほしい。本気だよ。それをなかなか受け入れられない気持ちも、分かるけど」
「……当たり前よ。わたしは騎士なんだから」
「いや、今は騎士じゃないだろう? 僕が元勇者であるのと同じく、元騎士さ。だから、君自身の意思を確認したいんだ。君と一緒ならどれだけ楽しいだろう……」
「黙れ! お前はわたしを騙したんだ!」
「……ごめん」
気まずくなるとすぐに謝って俯く癖は、幼い頃と変わらない。それを見ると、いつだって彼を許してしまうのだ。無論、今は絶対に許さない。
なにが彼を変えてしまったのだろう。一年と少しの旅路で、彼はなにを見たのか。納得のいく答えは導き出せそうにない。
玉座の魔王を睨んだ。安易で、最も真実らしい答えがそこにいる。そうだ、彼はきっと被害者だ。そして、この国の悪夢は終わっていない。
勇者がこんな状態なら、全てを終わらせるのはわたしの役目だろう。
「……聞いて、ニコル」
彼に囁きかける。
「あなたは魔王に操られているだけ。魔王討伐のために王都を出た日のことを思い出して」
彼は真っ直ぐこちらを見つめて微笑んだ。「僕は僕の意志で彼女につくことにしたんだよ。どうすれば信じてもらえるかな」
「信じてほしいなら、そのまま大人しくしていて」
言って、四肢に力を込める。突き刺すような痺れが広がった。それでも、ゆっくりと立ち上がる。
「わたしがアイツを倒す。その後で、あなたが同じ台詞を言えたら信じてあげる」
右足で床を蹴る――。
と、彼に抱き止められた。
「それを許すことは出来ない。……ジレンマだね」
彼の腕のなかで必死にもがいたが、振り払うことは出来なかった。
「離して!」
「離さない。……ねえ、クロエ。洗脳魔術がどういうものか知っているかい? 確かにそれは存在するけれど、それは過去や人格すら覆い隠してしまうものなんだ。まるで人形だよ。旅の途中で、よくそうなっている人と戦ったんだ。……ところで、今の僕は君の知っている僕のままじゃないのかな」
確かに、表情の変化や口調はわたしの知っているニコルだった。
本当に彼が自分の意志で裏切りを決めたのなら、そこにはどんな理由があるというのだろう。そして、わたしは……。
覚悟を決めて振るった短剣が空を切った。一瞬で飛びのいた彼との距離を詰めて、斬撃を加える。視界に弾ける火花と、鋭い金属音。まだ腕は痺れていたが、お構いなしに力を込めて剣を振るった。
「あああああああああああぁぁぁぁ!」
咆哮で自分を奮い立たせる。たとえ勝てないと分かっていても、斬撃を緩めることはなかった。目尻が熱くなり、頬に涙が流れるのを感じる。
斬撃をゆるめなかった理由は二つ。
ひとつは、新婦であるわたしを裏切ったこと。しかも相手は魔王なのだ。これに悔しさと嫉妬を感じずにいられようか。わたしは淡い恋心を抱いた幼馴染として、嫉妬の剣を振るう。
もうひとつは、この国を裏切ったこと。魔王の側につき、王都を滅ぼそうと考えるこの男は今すぐ息の根を止めねばならない。これは騎士としての正義感だ。
恋心と正義感。いかに不利と承知していながら斬撃をゆるめなかったのは、この二つの理由からだ。
【改稿】
・2017/11/05 口調及び地の文の調整。ルビの追加。
・2017/12/21 口調及び地の文の調整。ルビの追加。