346.「あまりに唐突で異常な暴露」
去りゆくオブライエンを追おうと立ち上がりかけたロジェール。彼を引き止めたのはヨハンだった。
「まあまあ、ロジェールさん。悪いようにはしないでしょう。彼の義手を見たでしょう?」
「いや、しかし勝手に……」
「いい発見があるかもしれませんよ。なぁに、谷底に落ちたときははじめから作り直すとまで言ったあなただ。好奇心と寛容さなら、素晴らしいまでに持ち合わせているじゃありませんか」
なんとも無理矢理な説得だったが、ロジェールはため息をついて木箱に腰を落ち着けた。ヨハンが折れないと悟ったのだろう。
それにしても、だ。
このままオブライエンに気球を改造させていいのだろうか。もし上手くいったら、それこそ同行せざるを得ない。
そんな懸念を籠めてヨハンを見つめたのだが、彼は平気な様子で薄笑いを浮かべている。なるようにしかならない、とでも考えていそうだ。
オブライエンが外に出たからだろう、ヨハンは真面目な口調で切り出した。「さて……ひとつ内密の話があります」
「……なんでしょうか」
「数日前に小屋で語っていただいた嘘について、です」
しん、と部屋が静まり返る。わたしもシンクレールも、きっと同じことを考えているだろう。どうしてそんなことを言わなければならないのか、と。すでに気球に乗る算段は――図らずもオブライエンによって――出来上がりつつある。なのに波風を立てようとするのはどうしてなのか。
思考をめぐらせても答えは出そうになかった。彼のことだから、無意味に切り出したわけではないと思うけど……。仕方なく、成り行きを見守ることにした。
「嘘なんて――」
言いかけたロジェールを、ヨハンが遮る。「ここに住むようになった経緯についてです。あれは丸ごと嘘でしょう?」
ロジェールは口を結び、額に手を当てた。考え込むように。
「おや、いかがしましたか?」
「……あなたがどうしてそんなことを言うのか……それを考えただけです。ぼくは真実しか喋っていないのに」
ロジェールは真剣な口調でこぼしたが、『真実しか』という部分が真っ赤な嘘だ。わたしはキュラスで彼のたどった経緯を聞いたのだから。ヨハンとシンクレールには話していないけど……。
そういえば、ヨハンはヨハンで別の情報を掴んでいるかもしれない。なにせ、モニカに付きっ切りだったのだから。まさか彼がただただ添い寝に付き合うなんて思えない。
ふとモニカの言葉を思い出し、余計にその確信を強めた。そういえば彼女は、ロジェールからこちらの情報を聞いていたのだ。わたしたちが山中をさまよっている間に小屋を訪れて。
ヨハンは唐突に胸に手を当て、一礼した。
「私たちも、嘘を懺悔しましょう。――先ほどのお嬢さんの言葉は真っ赤な嘘です」
ぎょっとしてヨハンを見る。真面目な様子を装いつつも、ヨハンの口元には薄笑いがこびりついていた。なんでわたしの嘘をわざわざ暴露するのか……意味が分からない。
「どういうことです」
ロジェールは眉間に皺を寄せてこちらを見る。
「あ、それは……ええと」
言葉に迷ったわたしを、即座にヨハンが遮った。
「それは私から説明しますよ。事実をすべてお伝えします。だから、ロジェールさんにも正直になっていただきたいですなぁ」
そしてヨハンは続ける。
「キュラスへの橋が落ちたことは事実で、そのために気球を求めているのも偽りありません。ただ、前提が違います。橋を落としたのは誰だと思います? ロジェールさん」
ヨハンの目は、例の不気味な眼差しに変わっていた。なにひとつ見逃さぬよう張り詰めた眼差しに。
「そんなもの……老朽化とかで自然に……」
「老朽化? キュラスの橋はそんなに傷んでいたのですか?」
「え、ええ。ぼくが昔にキュラスを去ったときから――」
「おや、面白い表現だ。ロジェールさん。あなたはつい数か月前のことを『昔』だなんて言うんですねぇ」
ロジェールの顔が引きつる。
「どこでその話を?」
ヨハンはその問いかけに、すぐには答えなかった。ロジェールの瞳を覗き込み、じっくりと時間を置いて唇を開く。
「キュラスで聞いたんですよ。『救世隊』から」
どくり、と心臓が跳ねる。いったいヨハンはどこまでぶちまけるつもりなのだろう。まさか、テレジアとわたしたちの関係まで披露してしまうとは思わないけど……。
ロジェールは目を見開き、思わず、といった口調でたずねた。
「あなたがたは一度キュラスに入ったんですか」
「ええ、間違いありません。細かい部分は割愛しますが、キュラスで暗躍した結果、皆さんの愛する『教祖』様によって橋を落とされたわけです。まだ目的は達成していないというのに、困ったものですよ」
ロジェールは絶句してヨハンを見つめている。それはわたしとシンクレールも同じだ。
なにが『困ったものです』だ。洗いざらいすべて言ってしまうのではないか、この骸骨は。それはさすがに困る。
「ヨハン、ちょっと待って――」
「お嬢さんはお行儀よくしていてください。嘘は肌に悪いですよ?」
馬鹿にして……。けど、このまま好きにさせるわけには――。
言葉を続けようと息を吸ったが、ヨハンに先を越された。
「ロジェールさん。私たちの目的はひとつです。キュラスを牛耳る『教祖』を討ち取ること」
鈍い金属音が響き渡る。ロジェールが立ち上がって後退し、工具の山に尻もちを突いたのだ。
かくいうわたしも、面食らって声が出なかった。疑問が頭の中で渦を巻く。どうして彼は、テレジアの幼馴染であるロジェール相手にそれを明かしたのだ。さっぱり理解出来ない。ついに狂ったのか?
しかしヨハンは、落ち着き払った態度でロジェールを見つめていた。
「はじめから」
やっとのことでロジェールが発した声に、ヨハンは頷きを返す。
「そうです。はじめから私たちの目的はテレジアさんの討伐でした。高山蜂の巣を手に入れようだなんてのは出任せです」
「どうして――」
ロジェールの声は震えていた。
「どうして『教祖』を討とうとしているのか、ですか? その理由はロジェールさんも推測出来るでしょう? 彼女がキュラスでなにをやっているか……知ってるでしょうに」
ロジェールは口をつぐみ、目を逸らした。その反応は、どんな言葉よりも説得力を持っている。彼は魔物のことも知っているのだ、きっと。元々人間であること。そして、連中によって一度キュラスが滅ぼされたことも。
「壊滅したキュラスに魔物を住まわせるなんて、あなたには納得出来なかったんでしょうなぁ。幼馴染の口から言われても、到底受け入れられなかった。いえ、幼馴染だからこそ、かもしれませんねぇ。……まあ、感情の機微までは私にも分かりませんが」
叩きつけるような事実に力を奪われたのか、ロジェールはがっくりと肩を落とした。もはや、ありきたりな嘘で誤魔化そうなんて雰囲気はない。
「それをぼくに言ってどうするんだ……。もうぼくは、キュラスとは関係ない」
しかしヨハンは、首を横に振って否定した。
「本当に無関係でいたいのなら、この場所に住むこと自体が妙ですなぁ。キュラスを滅ぼした魔物たちが巣にしていたこの場所に」
は?
なにを言ってるんだ、ヨハンは。
「ちょっと、どういうこと?」
「まあまあ、お嬢さん。落ち着いてください。その様子だと知らなかったようですね。……ちょうどいい。ロジェールさんに語ってもらいましょうか。ご本人の口から説明するほうが間違いないですからなぁ。話してくれますね? ロジェールさん」
ロジェールは苦しげに歯噛みして、目を泳がせた。
痺れを切らした、というよりも満を持して、といった具合にヨハンは言葉を加える。ロジェールの目を覗き込んで。
「私はね、ロジェールさん。あなたの助けが出来ると思ってるんですよ。キュラス流に言うなら『罪を雪ぐ機会』でしょうか。そのチャンスをあげましょう」
ぞっとするほど優しい声だった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ロジェール』→キュラス付近の山岳地帯にひとりで住む青年。空を飛ぶことに憧れを抱き、気球を完成させた。テレジアの幼馴染であり、元々はキュラスの住民。詳しくは『298.「夢の浮力で」』にて
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて
・『救世隊』→キュラスの宗教団体の幹部のこと。街の夜間防衛を担う存在
・『高山蜂』→標高の高い地域に生息する蜂。針には毒がある。崖に巣を作る。巣は甘く、食料として高値で取引されている。詳しくは『300.「幸せな甘さ」』『303.「夜の山道」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。一度魔物に滅ぼされている




