344.「先客」
目的地に着く頃には陽が傾いていた。橙色の光が、森の聖域に建てられた質素な小屋に降り注いでいる。小屋の外に散らばった工具やら布類やらを横目に、わたしたちは玄関口へと向かった。
呼吸を整え、ドアをノックする。
果たして彼が小屋にいるのかどうか。こればかりは分からなかった。
しばらく待っていたのだが、なんの返事もない。やはり、気球の補修材料を得るために出かけてしまったのかと諦めかけた直後、なかから物音がした。かすかな靴音が、こちらへと近づいてくる。いかにも慎重な足取りだ。
やがて薄くドアが開かれた。その隙間から顔を覗かせたのはロジェールだった。
良かった。ちゃんと小屋にいてくれた。
彼は心持ち目を見開く。
「こんにちは、ロジェールさん」
先手を打ってにこやかに呼びかけると、彼は「ああ、あなたたちでしたか」と、ほっとするように息を漏らした。
「ちょっと用事があって来たんだけど、入ってもいいかしら?」
すると彼は、ばつの悪そうに口元を歪めた。なにか都合の悪い理由でもあるのだろうか。
「悪いんですけど、今客人が来てまして……時間を空けていただいてもよろしいですか?」
客人、という言葉が引っかかった。誰だろう。まさか、キュラスの人間だとは思えないけど……。
振り向いてヨハンを見ると、彼も首を傾げていた。
ふと、頭に嫌な想像が浮かぶ。たとえば、王都から遥々やってきた騎士が訪れているとしたら、どうだろう。そもそもの話、わたしとシンクレールは死んだことになっているものの、ヨハンはいまだに逃亡の身なのだ。討伐のために騎士が派遣されていてもなんらおかしくない。
「なら、あとでまた来るわ――」
そう言った直後のことである。ロジェールの背後で、影が揺らめいた。彼の肩に、手がかかる。黒の手袋をつけた手が。
「吾輩はかまいません。それよりも、外で待っていただくほうが心苦しいものです」
ロジェールの背後に現れたのは、シルクハットをかぶり、錆色の蝶ネクタイをした大男だった。背丈はヨハンと同じくらいだろう。コートを着ているのでよく分からないが、痩せ型なのは間違いない。切れ長の目をしているが攻撃的な印象はなかった。どことなく、好奇心が旺盛で、それでいて知恵者の顔立ちをしている。出で立ちも紳士然としていた。
彼はロジェールの両の肩に手を置いて、その頭の上から話しかけた。
「さあ、どうぞ。おあがりになってくださいませ」
言って、男はにっこりと目を細める。作り笑いなのは間違いないが、敵意は感じなかった。
男は、困惑するロジェールの肩を愉快そうに揺さぶる。仲が良いのだろうか。それとも、大男に茶目っ気があるだけなのだろうか。
ロジェールは困り顔のまま、おずおずと「では……どうぞ」と呟いた。
「申し訳ないですなぁ」と言いつつ、ヨハンが一番に小屋へと入っていく。
わたしとしては、あまり気が進まなかった。なぜなら――。
ロジェールの背後でニコニコと作り笑いを浮かべる大男。彼の全身に魔力が宿っていた。それも、妙な具合に。
右手と左手。胸のあたりとシルクハットに隠れた頭頂部。足全体。それぞれまとまった魔力があるのだが、魔力量がまばらなのだ。通常、体内の魔力が身体の何箇所かに集中することはあるが、そういった場合には魔力の流れが見て取れる。たとえば手から魔力を放つ直前ともなれば、手から身体の中心にかけて、移動した魔力の残滓が視えるのだ。『毒食の魔女』ほど膨大な魔力なら流れは視づらくもなるものの、例外ではない。
男の身体に宿った魔力は、あまりに断片的だった。魔力が移動した痕跡も視えない。どんな理屈でこんなふうになるのか――。
「さあ、お嬢さんとお兄さんも、どうぞどうぞ」
男はニコニコと呼びかける。立ち尽くしていても不審に思われるだけだ。心を決めて、小屋へと入った。
「同席になりますが、それは――」とロジェールは今さらのように言う。
大男は「どうぞどうぞ。かまいやしません」と朗らかな声を出す。その口調にも、どこか演技じみた響きがあった。
わたしたちが通されたのは、最初に小屋を訪れたとき案内されたのと同じ部屋だった。雑然と工具が置かれ、座る場所といえば木箱くらいしかない部屋。ヨハンとわたし、そしてシンクレール。加えて、ロジェールが部屋に入ると、最後に大男が入り口付近の木箱に腰を下ろした。
「申し遅れましたが、吾輩はオブライエンと申します」言って、大男――オブライエンは座礼した。
聴いたことのない名前だ。奴の魔力を見る限り、どうにも一般人とは思えないし、普通の魔術師とも考えられない。王都の人間かもしれないが、果たしてどうなのだろう。少なくとも、騎士団や近衛兵にはこんな奴いなかったはず。
「ご丁寧にどうも。私はヨハンです。こちらの青年はネロ、お嬢さんは――ハルといいます。以後、よろしく」
ヨハンは流暢な言い回しで、わたしたちを偽名で紹介した。不審に思われないようオブライエンに会釈をして見せたのだが……よりにもよってハルとネロか。なんだか懐かしい気分になってしまう。
『最果て』で最初に出会ったネクロマンサーの少年、ネロ。そして彼の力で蘇った少女、ハル。元気にしているだろうか、二人は。
しかしながら、思い出に浸っていられる状況ではなかった。わたしたちはのんびりと時間を過ごすためにここまでやってきたわけではない。
ただ――。
オブライエンはニコニコとこちらを見つめ「ヨハン氏に、ネロ氏。そしてハル嬢ですか。良い名です」と言った。
この不気味な魔力を持った男を前に、なにもかも話すわけにはいかない。そもそも彼がどうしてロジェールの小屋にいるのかもよく分からないのだ。
先手を打つ必要がある。
「よろしく、オブライエンさん。ところで、あなたはロジェールさんのご友人かしら?」
するとオブライエンは、目を閉じて首を横に振った。
「いえ、吾輩はただの流れ者です。故あってここに訪れただけ。ロジェール氏には色々と良くしていただきました」
なんとも要領を得ない言葉である。首を傾げて見せると、ロジェールがあとを引き取って説明した。「オブライエンさんは森で倒れていたんですよ。それで、ここまで運んだわけです」
オブライエンはクスクスと笑い、ロジェールに頭を下げた。「高山蜂の巣を口にしたら、途端に元気になりました。いやはや、空腹は大敵です」
ヨハンを見ると、彼はなんとも複雑な表情で首を傾げていた。オブライエンとロジェールの言葉が真実かどうか判断してもらいたかったのだが、その様子だと読み切れていないようだ。
と、ヨハンの口が開かれた。
「どうしてこんな山中にいたのですか?」
オブライエンは間を置かずに答える。「キュラスに優秀な職人がいると聞いたものですから、吾輩のことを知っているかどうか聞きに行くところだったのです」
「知っているかどうか? ……どういうことかしら?」
思わず口を挟んでしまった。『知っているかどうか』なんて、妙に意味深な言葉だ。
「ああ、失礼失礼」とオブライエンは爽やかな笑いを漏らした。「吾輩は記憶がないのです。気が付いたらこの山の麓にいたので。覚えていることといえば、自分自身が職人だったということぐらいなもの」
職人?
オブライエンの身体には確かに魔力が宿っているが、職人と呼ぶにはあまりにちぐはぐな魔力だ。なにかを作り出すような整った魔力には――。
「そうそう。あとから驚かれるのも悪いですから、先にお見せしておきましょう」
言って、オブライエンは両手にはめた黒手袋をそれぞれ引っ張った。肘まである手袋らしく、随分と長い。
やがて片手が露わになり、もう片方も露出させた。
「吾輩は、自分自身をメンテナンス出来る程度の職人なのです」
――彼の手は、見るからに精巧な機械で出来ていた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ロジェール』→キュラス付近の山岳地帯にひとりで住む青年。空を飛ぶことに憧れを抱き、気球を完成させた。テレジアの幼馴染であり、元々はキュラスの住民。詳しくは『298.「夢の浮力で」』にて
・『ネロ』→クロエの出会った死霊術師。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照
・『ハル』→ネロの死霊術によって蘇った少女。メイド人形を演じている。元々はアカツキ盗賊団に所属。生前の名前はアイシャ。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『近衛兵』→グレキランスの王城および王を守護する兵隊
・『高山蜂』→標高の高い地域に生息する蜂。針には毒がある。崖に巣を作る。巣は甘く、食料として高値で取引されている。詳しくは『300.「幸せな甘さ」』『303.「夜の山道」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。一度魔物に滅ぼされている
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて




