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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第二章 第三話「フロントライン~②機械仕掛けの航路~」
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343.「下山 ~乗り越えるべき障害~」

 あまり認めたくない事実だったが、ヨハンの提案をありがたく思った自分がいた。けれど、決して素直にはなれない。だからこそ返事はせず、黙々と山を下りているのだ。来たときと同じく、街道を()けて。


 あたりはすっかり明るくなっていた。魔物の気配なんてどこにもない。しかし――キュラスでは信者たちがせっせと労働にいそしんでいるのだろう。人間の姿をして……。


「クロエ……大丈夫かい?」


「大丈夫」


 シンクレールは心配そうに声をかけてくれたが、『大丈夫』と答えるしかなかった。なんだか心が重たく、全身が気怠(けだる)い。ただそれだけのことなのだ。本来なら、足を止めるだけの理由にはならないし、ましてや敵の拠点(きょてん)から離れるなんてとんでもない。


 先を行く不健康な背を見つめて思う。どうしてヨハンは山を下りるだなんて言ったんだろう。わたしに(あき)れたのなら自分だけ崖際(がけぎわ)にとどまることも出来たろうし、無理矢理でもわたしをキュラスの前に繋ぎとめることだって出来たはずだ。


 ……そんなに哀れっぽく見えたのだろうか。気にはなるものの、問い(ただ)すだけの気力は()かない。


 街道(わき)の森は、比較的、道が安定していた。キュラスを目指して進んだときのように、人ひとりがやっと通れる崖際なんてない。物理的に問題のない道中(どうちゅう)だからこそ、くよくよと情けない考えばかりが頭に浮かんでしまう。


 こうしてキュラスから離れること自体が、魔王とニコルへの敗北にほかならないのではないか。無論、二人の討伐を(あきら)めたつもりはないのだけれど、確実に遠ざかっている。だったら戻るか、と自分自身に問いかけてみても、足は下山の一途(いっと)をたどるだけだった。


 開けた場所に差しかかったところで、ヨハンが足を止めた。


「さて、休憩がてら食事でも()りましょうか」


 無言で(うなず)いて見せると、彼は近くにあった大岩に腰かけて遠くの山並みに視線を(そそ)いだ。


 布袋(ぬのぶくろ)を開けると、『毒食(どくじき)の魔女』からの餞別(せんべつ)がまだ残っていた。干し肉を取り出し、ゆっくりと噛む。空気は新鮮で、(したた)るような緑が周囲に広がっている。


 ぼんやりと景色を(なが)めつつ食べていると、不意にヨハンが立ち上がってこちらを向いた。


「さて、お嬢さん」言って、彼は一歩近付く。「タキシムを殺したとき、どう感じましたか?」


 (つらぬ)くような言葉だった。息が詰まり、声が引っ込む。


 見かねたのか、シンクレールが苛立(いらだ)った口調で言った。「ヨハン。お前にデリカシーはないのか」


 するとヨハンは、肩を(すく)めて見せる。


「ないですよ、デリカシーなんてものは。生まれてから一度だって持ったことはないですなぁ。ときに、シンクレールさん。あなたはこのままどうするおつもりで?」


「どうするもなにも、山を下りると言ったのはお前だろ」


「ですから、下りたあとにご自身はどうしたいんですか?」


「そんなの――」言葉を切り、シンクレールはわたしを一瞥(いちべつ)した。「クロエについていくだけだ」


 沈黙が下りる。ヨハンは長いまばたきをし、真っ直ぐシンクレールを見据(みす)えた。


「シンクレールさんはそれでいいかもしれません。もとより、お嬢さんとともに行動する気で来たんでしょうから」


 もとはといえばヨハンが裏切ったせいじゃないか、とも思ったが言葉を返すだけの気分にならなかった。


「そこで重要になるのが」彼はこちらに視線を移して続ける。「お嬢さんの意志です。平然としていられる精神状態ではないことは理解しますし、相応(そうおう)のショックがあることもお(さっ)しします。色々と思い(まど)うこともあるでしょうねぇ。なにせ、事実が事実ですから。今までの歩みすべてを否定されたような気にもなるでしょう」


 そんなことない、と否定することは出来なかった。それは単なる強がりでしかないのだから。事実、わたしは打ちのめされている。昨晩タキシムの最期を、まさに人間のそれと重ねてしまったのだ。魔物が元々人間であるならば、わたしははじめて、意識して人を殺したことになる。事実を知る前と知ったあとでは、同じ行動でも意味が変わるのだ。


 テレジアは、キュラスにいる人々を『帰る身体を持った存在』と表現した。つまり、人間の姿を取り戻せない魔物は、帰るべき肉体を持たないということになる。……それはどれほど哀れで、苦しいことだろう。


 ヨハンはじっとわたしの目を(のぞ)き込んで言う。


「衝撃的でしょうなぁ。私には共感できませんが、まあ、理解は示しますよ。――しかし、お嬢さんが本当に魔王を討つつもりなら、乗り越えるべき障害です」


 そんなこと分かってる。頭では、分かってる。


「大丈夫……分かってるから」


 やっとの思いで返すと、ヨハンは相好(そうごう)を崩した。乾いた笑いが、その口から漏れる。


「自分に言い聞かせるのは結構ですが、安い自己暗示ではそのうちボロが出るでしょうなぁ。……本当の意味で、乗り越えるべきです。もっとも、すべてを(あきら)めるくらいなら暗示のほうがマシですが」


 こっちの強がりをすべて見抜いて、逃げ道を(ふさ)ごうとしているのだろう。たとえ最低な卑怯者でも、今のヨハンは正しいことを言っている。悔しくて仕方ないくらい、強烈な正論だ。


 シンクレールは拳を握って沈黙していた。ヨハンの言った『魔王を討つつもりなら』という一点が彼の反論を封じているのかもしれない。そこで言葉を返してしまったら、それこそ最終目的を(くも)らせてしまうことになりかねない――そんなふうに感じているのだろうか。


「諦めない……全部、ちゃんと納得して進む……」


 そう返事をするので精一杯だった。ちゃんと納得して、という言葉が我ながら(だい)それたものに思えてならない。けれど、そうでなくちゃ駄目だ。ふわふわと不定形な考えのままに()を進めたら、いつかとんでもない挫折(ざせつ)が待っているに違いないのだから。


 事実を()み込んで、考えをめぐらし、気持ちを整え、そうしてやっと本来の力で戦うことが出来る。


 ヨハンは大岩にゆったりと腰かけ、長い息を吐いた。


「時間は止まってくれません。そう長々と悩んでいられるような立場ではないんですよ、私たちは」


 これも正論だ。テレジアに生存を知られてしまった以上、のんびりとかまえていられるような余裕はない。彼女はニコルに()げ口しないと言っていたが、信用出来る言葉ではなかった。もしかしたら、すでに知られてしまっているかもしれない。


 なら……対策を打たれる前に動く必要がある。


 目を、ぎゅっとつむった。チカチカと光がまたたく。太陽の残光が(まぶた)の裏で色彩を変え、じわじわと小さくなっていった。


 昨晩のタキシムは、確かに人間じみていた。そこに感情が(かよ)っているとは思えないけれど、そうだとしてもおかしくない。


 元は人間だったもの。そんな彼らを今まで通り、討伐していく。連中の漏らす(うめ)きや悲鳴、ほんの少しの仕草(しぐさ)さえ、これまでとは意味が変わってくる。だとしても――。


 だとしても、進むんだ。


「……大丈夫。もう決めた。もう……ちゃんと戦える」


 自分でも驚くほど力強い声だった。変に意地を張ったつもりはない。強がったわけでもない。ただ――悲劇を背負ってでも進むべきだと思っただけだ。


 ヨハンは、はっきりと(うなず)いて見せた。その口元にはうっすらと笑みが浮かんでいる。


「なら、行きましょう」


「ええ」


 言って、わたしは山を登りかけたのだが、ヨハンは逆に下りて行った。


「ちょっと、キュラスへ行くんじゃないの?」


 すると彼は、短い笑いと不敵(ふてき)な笑みを返した。


「もちろん。キュラスへ行くために山を下りるんですよ。おあつらえ向きの材料がありますから」

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐


・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳(ぎゅうじ)る女性。奇跡と(あが)められる治癒(ちゆ)魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』にて


・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『毒食(どくじき)の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照


・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。一度魔物に滅ぼされている

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