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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」
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339.「対岸で笑む」

 下草(したくさ)(ささや)きが辺りに広がる。わたしは布袋(ぬのぶくろ)に手を突っ込んだまま、テレジアから目が離せずにいた。


 キュラスを離れること。彼女の要求があまりに意外だったのだ。今まさに関係が破綻(はたん)したというのに、テレジアはわたしたちを襲わないというのだろうか。マドレーヌとモニカも、こちらを静観している。


 冷静に物事を見るべきだ、と内心で言い聞かせる。ヨハンは先ほど、魔物が元々人だなんて知らなかったと答えた。そして、今も知らない、と。その意味を考えろ。


 気圧(けお)されていた意識が、段々と本来のかたちを取り戻していく。真実は、()たしてテレジアの語った通りなのだろうか。わたしもシンクレールも、信者が魔物と化すのをこの目で見た。そして、彼女にはビクターのような技術なんてないはず。


 それでもなお、この光景を実現させる方法がないわけではない。それこそ、魔物のすべてを牛耳(ぎゅうじ)る力があれば不可能ではないだろう。想像の範疇(はんちゅう)を離れないが、たとえば、魔物から気配を取り去るすべがあったとしたらどうだろう。それさえあれば、あとは姿かたちを(いつわ)るだけで人間そっくりの存在が完成する。


 テレジアの瞳を(のぞ)き続けたが、そこに奇妙な色はなかった。それまでとなにひとつ変わらない、おだやかな目付き。(たた)えている雰囲気は清浄で柔らかく――。


 だからこそ、信用ならない。


 テレジアは先ほど、魔王の側に立っていることを(みずか)ら明かしたではないか。すると彼女が、魔王の力を借りていることは容易(ようい)に想像出来る。それはあまりに強固で否定しがたく、『魔物は人である』なんて馬鹿げた言説(げんせつ)よりもずっと現実味があった。


 深く、長く、息を吐いて、吸う。


 なるほど。だからさっきヨハンは『今も知らない』なんて言ったのか。魔物の話が真実なら、彼がそれを知らないわけがないではないか。


 すべきことは決まった。あとは状況の判断だけが必要だ。


 今、テレジアは戦意を見せていない。話に聞く限り、彼女は治癒(ちゆ)魔術師であり、攻撃に関する技術は持っていない……はず。箱型の防御魔術や音吸い絹(カルム・シルク)は使えるようだが、どこまで戦闘に流用出来るだろう。


 やはり、(おも)に戦うのはモニカとマドレーヌに違いない。


 そうなる前に、こちらが取るべき行動はひとつだ。


 ナイフを抜き去り、切っ先をテレジアへと向けた。


「『教祖』テレジア。あなたはニコルの仲間であり、魔王の側の人間だと自白(じはく)したわね?」


 テレジアは、ふっ、と目を細めた。その仕草(しぐさ)はいかにも寂しく、(はかな)げだった。


 (だま)されるものか。そうやって他人を(まど)わしてきた結果が、この教団なのだ。その微笑。寛容(かんよう)な言葉。柔らかな雰囲気。清潔な姿。完璧だ――ニコルの仲間についたことを除けば。


「――(やいば)を下ろしなさい!」


 切羽(せっぱ)詰まったマドレーヌの声と、こちらへ(せま)る足音が響く。


 ――遅い。所詮(しょせん)は辺境の戦士だ。あらゆる行動が遅く、叫んだときにはすでに手遅れになっている。


 わたしはすでにテレジア目がけてナイフを突き立てていた。彼女は咄嗟(とっさ)に後退して(なん)(のが)れたが、魔術で対抗して来るような気配はなかった。


「や、やめてください……」


 言って、あろうことかテレジアは自分の目の前に防御魔術を展開した。急ごしらえに相応(ふさわ)しい薄さの防御魔術を。そんなものでは、ナイフひとつ止めるので精一杯だ。


 渾身(こんしん)の力で刃を突き立てると、防御魔術は砕け散った。


 短い叫びを上げ、テレジアが橋へと後退していく。


「『教祖』様!」


下手(へた)真似(まね)はしないほうがいいですよ。あなたがたがどうこう出来るほど、私たちは未熟ではありません。もし歯向(はむ)かうなら、命が消える覚悟が必要でしょうなぁ」


 マドレーヌを(おど)すヨハンの声が、背後で聴こえた。相変わらず口の回る奴……。


「マドレーヌさん! モニカさん! 逆らわず、大人しくしていてください! ご自分の命よりも大切なものはありませんから……!」


 テレジアが必死に(あえ)ぐ。この()におよんで自分以外の心配をするのか、この偽善者(ぎぜんしゃ)は。どこまでも、聖人としての姿を(たも)っておきたいらしい。魔王と手を組んで人間を(おびや)かしているくせに、なにを今さら……。


「ひとの心配をしている余裕があるのかしら?」


 一歩踏み出して突き出したナイフは、またしても急ごしらえの防御魔術に(はば)まれた。が、もう一度突いてやると簡単に砕け散る。


 やはり、彼女は治癒だけ卓越(たくえつ)した魔術師なのだ。それは猛者(もさ)に使ってこそ真価(しんか)発揮(はっき)出来る。彼女ひとりでは、あまりにも非力な能力だ。このまま一気に追い詰めれば――ニコルの戦力を()ぐことが出来る。それも、彼にとっての動脈であろう重要な戦力を。


「本当に、やめてください――!」


「やめないわ! あなたは人の敵なんだから!」


 テレジアの表情は、あの馴染(なじ)み深い、困った姉のようなものだった。彼女はきっと、絶命の瞬間までその態度を崩さないことだろう。なんだかそう確信出来た。


 テレジアは後退する一方だったが、有効打を与えることは出来ていなかった。さすがは勇者一行のひとり、(もろ)くとも適切なタイミングで防御魔術を展開して傷を(のが)れている。


 気が付くと戦場は橋の上へと移っていた。ちらり、と後ろを向くと、シンクレールとヨハンがわたしを追って進んできている。ヨハンはマドレーヌとモニカに警戒の眼差(まなざ)しを(そそ)いでいたが、二人はテレジアの言葉に従っているのか、決してこちらに手を出さず、橋の手前で困惑した表情を浮かべていた。


 状況は整っている。今テレジアはたったひとりで、こちらは三人。そして橋の上にいる以上、逃げ場なんてないようなものだ。


「いい加減(あきら)めたらどうかしら? 治癒専門のあなたじゃ、わたしには(かな)わない」


「だとしても、わたくしはキュラスを――」


「いつまでも優しい言葉で誤魔化(ごまか)さないで!」


 偽善。そんなもの大嫌いだ。嘘に傷付けられる人の気持ちが、彼女に想像出来るだろうか。決定的な瞬間に裏切りを受けることの苦しみが理解出来るだろうか。


 ナイフと防御魔術が、硬い音を立てて打ち鳴らされる。もうすぐのはずなのに、なかなか傷を与えられない。


「シンクレール! 剣を!」


 振り向いて叫ぶと、彼は戸惑(とまど)いつつも両手をこちらに向けた。


氷衣(グラス・ルジレ)……!」


 彼の言葉とともに、手のひらに冷たい感触が広がった。氷の魔術で作り上げられた大剣。今まで知っているそれと比較するとサイズも小さく、かたちも(いびつ)だった。けれど、充分だ。これでようやくナイフ以上の武器を得たことになる。


 集中力を()()ます。すべてを、一瞬で終わらせてやる。


 振りかざした(やいば)の一撃――それはナイフよりもずっと鋭く、強靭(きょうじん)な攻撃だったはずである。なのに、テレジアが咄嗟(とっさ)に繰り出した防御魔術によって簡単に大剣は砕け散ってしまった。


 シンクレールの練度(れんど)が圧倒的に足りていないのもあったが、それでもナイフよりは随分(ずいぶん)マシな攻撃だったはず。それなのに彼女は、防ぎ切った。


 目の前のテレジアは、それまでのやや焦った雰囲気から、落ち着いたおだやかな表情へと戻っていた。


 これまで力を出し()しんでいた? なんのために?


「クロエさん。よく聞いてください。必死で走れば、ちゃんと反対側までたどり着けます。だからどうか――迷わず走ってください」


 なにを言ってるんだ、と口にしようとした瞬間、思考が止まる。テレジアの全身に魔力が(みなぎ)り、その身が消えた。


 キュラス側を見ると、そこには(はかな)げに微笑(ほほえ)むテレジアが立っていた。彼女の手のひらが、橋を支える(つな)へ向く。


 なにが起きているのか、理解が追いつかなかった。


 彼女が手を向けた瞬間に、橋を支える綱がことごとく切れたのだ。こんな状況なのに茫然(ぼうぜん)とテレジアを見つめていたわたしは、きっととんでもない間抜(まぬ)けだったと思う。


 彼女の唇が薄っすらと開かれ、何事(なにごと)かを口にするのが見えた。


『二度とキュラスに足を踏み入れないでください』


 そんなふうに見えた。


「お嬢さん! なにを突っ立ってるんです!」


 手を引かれ、疾駆(しっく)する。意識が段々と戻り、必死で向かいの崖へと駆けた。足場はみるみるうちに不安定になり――。


 わたしたち三人が崖にたどり着いた直後に、橋が落ちた。


「……してやられましたね。全部、彼女の計算だったんでしょう」


 ヨハンのいかにも(くや)しげな呟きを聞きつつ、対岸から目を離せずにいた。


 マドレーヌとモニカ、そしてテレジア。三人がこちらへ背を向けて、キュラスへと戻っていくのが見えた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐


・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳(ぎゅうじ)る女性。奇跡と(あが)められる治癒(ちゆ)魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』にて


・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。故人。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』『Side Johann.「跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)朝月夜(あさづくよ)」』にて


・『治癒魔術』→読んで字のごとく、治癒の魔術。それほど高い効果はない。他者を癒すことは出来るが、術者自身にかけることは出来ない。詳しくは『131.「ネクスト・ターゲット」』にて


・『音吸い絹(カルム・シルク)』→音を遮断する布状の魔術。密談に適している。詳しくは『216.「音吸い絹」』にて


・『氷衣(グラス・ルジレ)』→氷を成形し、武器や鎧として扱う魔術。詳しくは『269.「後悔よりも強く」』にて


・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。一度魔物に滅ぼされている

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