335.「山頂の夜咄 ~教祖の長い旅~」
風が凪いだ。それまでは狂ったように吹き荒んでいたのに……。まるでなにかの前触れのようだった。
テレジアが短く息を吸う音が、はっきりと耳に届いた。
「彼――ニコルさんは旅の道中、この場所に数日間滞在しました。理由はシンクレールさんと同じです」
シンクレールと同じ理由……。すると、ニコルも高山蜂に襲われ、その毒を治癒してもらったのだろうか。この信心深い山頂の街で。
「わたくしは、特別なことをしたつもりはありません。傷を癒すことも、毒を取り除くことも、自然なことだと思っていたのです。むしろ、マドレーヌさんやモニカさんのほうが特別な存在だと考えておりました」
彼女は自分自身の実力に無自覚だったのだろう。魔具使いのモニカや、おそらくは魔術師のマドレーヌのほうが、能力が高いと思い込んでしまうくらいには。
ニコルが訪れるよりも前から、キュラスの夜間防衛は噂として語られていた。つまり、夜をしのぐだけの直接的な迎撃能力が重宝される傾向にあったのかもしれない。テレジアはそれこそ、教義のシンボルとして人心の中心にあっただけ……。
「違います。『教祖』様の奇跡は、多くの人々を救ってきました。ほかの誰にも真似出来ない力です……!」
マドレーヌが勢い込んで言う。モニカは口こそ挟まなかったものの、こくこくと頷いた。
なんとなくだが、想像は出来る。彼女の持つ治癒魔術は、やはり常軌を逸しているのだろう。魔術師であろうマドレーヌが『奇跡』と表現する程度には。
しかし、人の住む最後の土地――フロントラインと称されるこの街では武力こそが重視されるに違いない。いくら治癒能力が高くとも、それだけでは話にならないのだ。前線を支える存在がどうしても必要になる。
テレジアは儚げな微笑を浮かべ、首を横に振った。
「貴女がたがいなければ、今のキュラスはありません」
「でもアタシはたくさんの――」
言いかけて、マドレーヌは唇を噛んだ。その表情には、どうしてか涙をこらえているような気配がある。テレジア相手に声を荒げたことの、自責の念だろうか。だとしたら途方もない尊崇だ。
テレジアの表情に、ふっ、と寂しげな影が落ちた。雲で星が隠れたからだろうか。
「……続けましょう。ニコルさんはわたくしの生まれ持ったものを、とんでもない才能だと言いました。曇りのない眼で……。そして、わたくしを旅に誘ってくださったのです。何度か断ったのですが……」
テレジアに詰め寄るニコルの姿が目に浮かぶ。こうと決めたらなかなか折れないだろうな、ニコルは。それこそ一直線に、何度でも誘うだろう。テレジアとしては、キュラスのことが心配で離れるわけにはいかなかったに違いない。
「ですが、皆さんがわたくしの背を押してくれたのです。魔物が罪の象徴なら、その最たるものである魔王を討つのは正しいおこないだと。……わたくしも、そう思っておりました」
またしても、彼女の顔に憂鬱な影がさす。微笑は崩していないはずなのに、どうしてこうも切なげなんだろう。それに、彼女が口にした言葉――『思っていた』、というのが妙に引っかかる。それじゃまるで、今は違う考えがあるみたいじゃないか。
背に、じっとりと嫌な汗を感じた。テレジアが魔王に与する存在なのか否か――それを思うと緊張せずにはいられない。
「それからわたくしは、長い旅に出ました。キュラスを出て、人の存在しない地へと足を向けたのです。……様々な体験をしました。おぞましい異形も目にしましたし、キュラス以上に過酷な土地も踏んでまいりました。夜と、自然。この二つが旅の障害だったことは言うまでもありません。ですが……すべてを踏み越えて進んだのです」
ぐすり、と鼻を啜る音がした。見ると、信者の何人かは涙をこぼしている。星灯りを反射して、雫が光った。
彼らはテレジアのたどった道に感銘を受けているのだろうか。それとも、その苦労を尊く思っているのか。あるいは、まったく違う別の理由から流れる涙なのか……。
いずれにせよ、わたしたちは冷静に聴かなければならない。なぜなら――。
ここにほとんどの住民が集まっているということは、ある事実を意味しているように思える。彼女がこれから語る内容……そのすべてを信者がすでに知っているという事実を。でなければ、住民を呼ぶ意味がない。彼らのなかに困惑が広がってしまったら、せっかくの圧力も台無しなのだから。
もしテレジアが敵であるなら、それはつまり、ニコルと魔王に味方しているということになる。これだけの人数がテレジアの事情を知って、それでも協力しようとしてるだなんて最悪のケースだ。考えたくはない。教会で敬虔な祈りを捧げていた彼らが、暗に魔王の軍門に下っているだなんて……ひどい話だ。
シンクレールもヨハンも、今のところはじっと耳を傾けている。とはいえシンクレールは露骨に、そしてヨハンは巧妙に隠しながらも、どこか不安そうな様子だった。
こちらはたった三人。相手は大量の信者に加え、魔術師と魔具使い、そしてトップクラスの治癒魔術師まで揃っている。考えてみると、絶望的どころの騒ぎではない。
テレジアは厳粛な口調を崩さずに続けた。
「旅で出会ったのは、なにも魔物ばかりではありません。メフィストさん――」呼びかけて、テレジアはヨハンへ笑みを向けた。「貴方と近しい存在……『黒の血族』、でしたね。彼らとも会いました。刃を交えることもあれば、手を結ぶことがあったのも事実です。特に、貴方のお兄様とは――」
「その話は結構。聞くべきとは思いません。気分だって決してよくならないですよ」
ヨハンの声は冷静ではあったが、どこか不安定さを感じさせた。確か彼の兄――ジーザスといったっけ――は勇者一行で唯一『黒の血族』の血が流れる存在だと語ってくれたはず。ヨハンが、最後に討つべきだと強く主張していたのが印象に残っている。
「あら……ごめんなさい。立ち入ったことを話してしまいましたね」
テレジアは目を伏せ、やはりというかなんというか、困惑した姉のような雰囲気を出した。
「家族のことですから。それなりにデリケートなんですよ。……失礼、どうぞ続けてください」
ヨハンが促すと、テレジアは気を取り直すかのように深呼吸をひとつした。優雅に、自然に。
「『血族』のことは、先ほど話した通りです。ほかにも半馬人や獣人、それに小人とも関わりました。様々なかたちではありましたが、誰もが必死に、それぞれの生を謳歌していたのです」
ふと、嫌な予感が胸をよぎった。もしやテレジアは『黒の血族』や他種族と交わるうちに、魔物も人も平等だなんていう馬鹿げた思想を抱いたのだろうか。
考えれば考えるほど、その可能性は濃くなっていき、気付くと声になって漏れ出ていた。自分でもびっくりしてしまうほど余裕のない声色で。「あなたは……魔物さえ認めようとしてるの? 殺すべきじゃない、って」
するとテレジアは曖昧な笑みを浮かべて「どうか最後まで聞いてください」と返した。
歯切れが悪い。嫌な予感は弱まるどころか、どす黒く濁っていくようだった。
「話を進めましょう。……正直に告白しますと、旅の途中、わたくしは何度か揺らぎました。つまり、『黒の血族』を討つべきなのかどうか、と。もちろん魔物は倒し続けておりましたが、『血族』のなかにはわたくしたちと同じように、平和を慈しむ者がいたのも事実です」
「だから連中と手を組んだ、ってオチなのかしら?」
我慢が出来ず、言葉がこぼれる。もはやテレジアと良好な関係を結べるだなんて思えなかった。
しかし彼女はきっぱりと、そしてなぜだか自責の籠った口調で言い放った。
「いいえ。道中、わたくしたちは決して折れませんでした。だから、殺し続けたのです。魔物も、そして、平和を望む『黒の血族』をも」
分厚い雲が、周囲に影を落とした。
◆改稿
・2018/09/13 表記揺れ修正。
◆参照
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』にて
・『シーザス』→勇者一行のひとりであり、ヨハンの兄。『夜会卿』に仕えている。『黒の血族』と人間のハーフ
・『メフィスト』→ニコルおよび魔王に協力していた存在。ヨハンの本名。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』
・『高山蜂』→標高の高い地域に生息する蜂。針には毒がある。崖に巣を作る。巣は甘く、食料として高値で取引されている。詳しくは『300.「幸せな甘さ」』『303.「夜の山道」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて
・『治癒魔術』→読んで字のごとく、治癒の魔術。それほど高い効果はない。他者を癒すことは出来るが、術者自身にかけることは出来ない。詳しくは『131.「ネクスト・ターゲット」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷




