332.「頂の晩餐 ~もったり~」
教会に戻っても、シンクレールは相変わらず眠っていた。高山蜂の毒はひどく彼を苛んでいるようである。
部屋ではシンクレールのベッドに腕を投げ出して、マドレーヌが眠っていた。よほど彼のそばを離れたくないのだろう。一途なのは悪いことじゃないけど、度がすぎている気もする。
今はシンクレールの回復を待つことしか出来ない状況だ。そうだ、本でも読もう。
マドレーヌを起こさぬように棚を物色して、ちょっと驚いた。そこに並んだ本は、どれも王都では目にしたことのないようなものだったのだ。綴じかたの粗さを見るに、移住者含め、地域の住民が書き綴ったものかもしれない。ラインナップも『キュラス地史』だとか『天候記録』だとか『医学覚書』などなど、生活と地続きのタイトルがほとんどである。
ざっと見ただけでは分からないが、滅ぼされた町や村から回収した本もあるのだろう。するとキュラス内にある書物は、言うなれば遺産だ。消え去った土地。そこで営まれていた生活。人々の吐息。途絶えたはずの歴史の歩みがここに保管されているかと思うと、しみじみとした気分になった。
とりあえず数冊選んで机に戻った。部屋は静かで、マドレーヌとシンクレールの寝息も、さながら静寂に色を添えている程度である。窓がないので少し息が詰まる感じはあったものの、図書館だって同じような環境だ。
さてさて、どんな知識が得られるのやら。
ドアが開く音がして、文字の海から顔を上げた。入り口を見ると、テレジアが立ち尽くしている。
「晩餐にいたしましょう。今夜から懺悔室を寝室として使えるようにしておきました。懺悔は広間でおこないますので、どうかお気になさらず」
ふと時計を見ると、すでに針は八時を指していた。本を読んでいると、あっという間に時間がすぎてしまう。
マドレーヌはというと、相変わらずシンクレールのベッドに突っ伏していた。規則的に上下する肩は、なんとも安らかである。
テレジアを刺激するまい、とは思ったのだが、さすがにそう何度も恩義を受けるのは気が引けた。今後どうなるか分からない関係である。断ろうと口を開きかけたのだが――。
「ヨハンさんは晩餐の席におります。朝食を摂った部屋と同じなのですが……場所はお分かりになりますか?」
そういえば、ヨハンがどうなったのか気になる。確かモニカに添い寝を強要されていたっけ……。
「場所は分かるけど、マドレーヌはこのままで大丈夫? それに、シンクレールはずっと寝たきりで食事は――」
「マドレーヌさんは寝かせてあげてください。シンクレールさんのこともご心配なく。……こう申し上げると失礼かもしれませんが、実は貴女がいない間にマドレーヌさんがお粥を食べさせてあげていましたから」
寝てる間に物を食べさせて、喉に詰まらないだろうか。
こちらの懸念を察したのか、テレジアは言葉を添えた。
「懺悔の合間に様子を見たのですが、何度か目を覚ましたようです。その際に、少しずつ食べさせていましたので」
目を覚ましたタイミングがあったのか。貴重な情報が得られたとはいえ、芋掘りをしている場合ではなかったかもしれない。
「まだ回復しそうにないのね」
「ええ。数日はこの調子でしょう。けれど、ご心配なさらなくて大丈夫です。出来る限りの治癒はしてありますから。あとは、彼が徐々に体力を戻していくだけです」
テレジアの言葉には、相変わらず嘘が感じられなかった。確かに、治癒魔術の理屈から言っても彼女の言葉は正しい。治癒出来るのは傷や毒くらいのもので、そもそも体力の回復を早めるような魔術ではないのだ。あとはシンクレール自身の力で、本来の自分を取り戻していくしかない。
「分かったわ。それじゃあお言葉に甘えて、夕飯をご馳走になるわ」
「ぜひ。食後には施設のお風呂に入ってくださいね」
「え――。湯も出るの?」
テレジアはニッコリと頷く。
驚いた。こんな山頂で湯にありつけるだなんて。ここ数日水も浴びていない身にとっては、願ってもない好意である。
「なにからなにまで、ありがとう」
「お気になさらず」
なんだか胸が痛い。こうして敵かもしれない相手の恩義を受け続けている状況が、どうにも落ち着かないのだ。テレジア本人からの申し出とはいえ気が引ける。
今朝訪れた施設の一室には、すでにヨハンとモニカ、そしてゼーシェルがいた。
魔具職人の老人は朝と同様にむっつりと口を閉ざして、警戒心たっぷりの眼差しを周囲に注いでいる。ヨハンは、なんだか一層不健康な表情をしていた。たぶん、モニカが彼の隣にべったりとくっついているからだろう。添い寝から食事まで一緒だなんて、まるで親子だ。
「お嬢さん……」
ヨハンが、うつろな視線をこちらに投げた。
「なにかしら」
呼んだきり、彼は口を閉ざして恨めしそうな目付きをするだけである。おおかた、今朝見放したことを根に持っているのだろう。そんなヨハンがあまりに意外だったので、笑いそうになってしまった。
「悪かったわ。けど、こっちの事情も理解して頂戴。三人で添い寝するわけにもいかないでしょう?」
ヨハンの口から盛大なため息がもれた。直後、彼の身体がびくり、と震える。
「モニカさん! 脇をつつかないでください!」
ヨハンが子供を叱る姿を見る日が来るなんて思いもしなかった。当の本人であるモニカは「えへへ」と楽しそうに笑っただけだけど。
「ずっとこの調子なんです。つついたり、引っ張ったり」とヨハン。
「だって、好きなんだもん」とモニカはストレートな言葉を挟む。
がっくり肩を落とすヨハンと、ニコニコと楽しげなモニカ。なんだろう……この二人、面白い。
「モニカさん、あんまり困らせてはいけませんよ」と、テレジアは困り顔を浮かべた。彼女としても、こんなことはあまりなかったのだろう。どう対処していいのか分からない、といった雰囲気がありありと感じ取れる。
「はぁい」と返事をすると、モニカはヨハンを見上げた。キラキラとした瞳がなんとも眩しい。ヨハンは頑なに目を逸らしているけれど。
「では、そろそろ召し上がりましょう。――自然の恵みに感謝を」
テレジアが手を組み合わせると、それまではしゃいでいたモニカは急に静まり返り、厳粛に「感謝を」と言った。
郷に入っては郷に従えというが、なんとも複雑な心境である。ともあれ、かたちだけでも手を組み合わせて一礼した。その間に、ゼーシェルはさっさと食べはじめている。
晩餐のメニューは朝食に出てきた山菜類とパン、それに加えて茶色いペースト状のなにかが添えられていた。
「これは?」とヨハンが問うと、モニカが元気よく「芋!」とだけ答えた。
なるほど。収穫した空芋を早速使ったのか。汁気が多いことは知っていたが、調理するとペースト状になってしまうほどの代物なのだろう。
空芋は、もったりと口に残る濃厚さだった。芋らしい風味に加え、甘さが強い。デザートに最適だろう。
食事を進めつつも、気にかかっていることがひとつあった。
「ねえ、『教祖』様」
「なんでしょう」
「今夜、わたしたちにも夜間防衛させてくれないかしら。見学するだけでもいいわ」
直後、ヨハンがこちらを覗き込むのが分かった。その目付きは険しく、先ほどまでのぐったりした様子とはかけ離れている。
彼はテレジアに向き直ると、きっぱりと言い放った。「『教祖』様。今のお嬢さんの言葉ですが、忘れてください。私たちは大人しく教会で寝ます」
なにを言ってるんだヨハンは。
「なに勝手に決めて――」
わたしの言葉を遮ったのはテレジアだった。
「そうしていただけると助かります。旅のお方に負担をかけるわけにはいきません。それに、少し事情があるのです」
「事情?」
「ええ。シンクレールさんが回復した際に、ご説明します。どうかご理解ください」
テレジアは深々と頭を下げた。その仕草自体は清潔そのものだったが、どうにも納得がいかない。
「そういうことです、お嬢さん。シンクレールさんの体調が戻るまでは、あまり立ち入ったことを言うのはやめましょう」
ヨハンはどうしてこんなことを言うのだろう。分からない。それどころか、妙に気が騒ぐ。
――ふと、嫌な予感が胸をよぎった。
テレジアとヨハンが裏で結託しているのではないか、と。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』にて
・『高山蜂』→標高の高い地域に生息する蜂。針には毒がある。崖に巣を作る。巣は甘く、食料として高値で取引されている。詳しくは『300.「幸せな甘さ」』『303.「夜の山道」』にて
・『治癒魔術』→読んで字のごとく、治癒の魔術。それほど高い効果はない。他者を癒すことは出来るが、術者自身にかけることは出来ない。詳しくは『131.「ネクスト・ターゲット」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷




