331.「来る者と去る者 ~芋掘り体験~」
ギラギラと照り付ける日差しのなかで、芋掘りをしていた。周囲にはわたしと同じように腰をかがめて、せっせと真剣に芋を掘る人々。そのなかでひときわ大きな身体で右へ左へと忙しなく芋を収穫する男……。
どうしてこんなことになっているのやら。理由は分かっているけれど、どうにも不思議な気分である。
懺悔室を去ってシンクレールの部屋へと向かおうとした矢先、ハルツに会ったのだ。彼は見せたいものがあると言って強引に腕を引き、広大な芋畑の収穫風景を自慢したのである。牧歌的で素晴らしい光景には違いなかったけど、『旅人さんもぜひ、一緒に収穫の喜びを!』だなんて……。断らないわたしもわたしだけど。
シンクレールのことが頭にあったけれど、正直、どう動くのが正解なのか分からなくなりつつある。テレジアは予想以上に尻尾を見せないどころか、疑っているこちらが体力を消耗してしまうほどの人物だし、住民は誰ひとり悪意など持っていない様子である。マドレーヌの敵意は理由が理由だし、ヨハンに対するモニカの懐き具合もわけが分からない。
キュラスの空気は飛び切り清潔で、なにひとつ破綻していないように見える。夜間の異常を除けば、ひとつたりとも憂いがない。
シンクレールに手出しされるとも思えなかったので、こうして住民と関わりつつ、それとなくテレジアのことを探っているのだが……疑うべき要素はなにひとつ出てこなかった。ただ芋掘りを手伝っているだけになりつつある。
それにしても――。
「空芋なんて、はじめて見たわ」
そんなわたしに、ハルツは破顔して見せた。「そうか? ここじゃ珍しくないぞ」
王都ではどれだけ珍しいか語ってやろうかとも思ったのだが、やめておいた。都の価値観を説明したところで意味なんてない。
空芋はその名の通り、皮の部分が空色に染まった芋である。図鑑ではもったりとした汁気が強調されていたが、収穫したてのそれもずっしりとした質感を持っていた。楕円形の素っ気ないフォルムなのだが、栄養はぎっしり。そんなふうに書かれていたのを覚えている。ここに住む住民の壮健な生きかたを見るに、間違ってはいないだろう。
キュラスが空芋の産地だったなんて、まったく知らなかった。確かに、ここと王都は距離が離れすぎているのでろくに交易もない。目的なく山頂を訪れる人も少ないだろうし、なにより、フロントラインという言葉には恐れが含まれている。魔物との戦闘――その最前線。物騒な場所に気安く立ち入るような人間は多くない。これまでキュラスと空芋の関係を語った書物がなかったのも頷ける。
「これだけ採ったら、しばらくは食べていけそうね」
「そうだなぁ、俺にはよく分からんけどなぁ」
ハルツは曖昧に言う。この人は目の前のことしか見えていないのだろう。それは決して悪い意味ではなく、目前の物事に全力を傾けているという、生きかたの種類だ。否定すべきではないけれど、キュラスほど牧歌的で寛容な場所でないと生き辛いだろうな、とは思う。
「毎日こうして自然を相手にするのって――」
言いかけたところを、ハルツに引き取られた。「おう! 気分がいいぞ! 美味しい空気に、正しい生きかた。俺は幸せ者だ。『教祖』様がいなけりゃ、今頃ひとりぼっちだからな」
そして豪快に鼻を啜るハルツ。激情的な人だ。
「みんな『教祖』様が好きなのさ。あれほど素晴らしいお方はいないからな! あ、でも――」
言いかけて、ハルツは明らかに困惑して見せた。まずいことを口走ってしまった、とでも言うように。
「でも、なに?」
一歩詰め寄ると、やはり彼は困り顔で、けれどもおずおずと口を開いた。
「俺は嘘をつけねぇから言うけど、内緒にしてくれよ?」
「分かったわ。大丈夫、約束は守るから」
なにか重要なことが聴けるかもしれない。これまで耳障りのいい言葉しか流れてこなかったから。示し合わせたかのような一糸乱れぬおだやかさの連携に、ようやく綻びが見つけられるかもしれない。
「ひとりだけ、ここを離れた奴がいたんだ。『教祖』様のそばを離れるなんて……。今どこにいるのか知らねぇけどよぉ、早く戻ってくればいいんだ。たぶん、意地を張ってるだけなんだろうよ。元々――きゅう、きゅ、きゅー」
「『救世隊』?」
「そう! その、きゅう、なんとかの一員だったのによぉ」
ハルツは相変わらず『救世隊』が言えないようである。言葉の意味するところと響きが頭のなかで一致しないのかもしれない。
「で、その『救世隊』のひとりは、唯一キュラスから去った人なの?」
「ああ、そうさ。『教祖』様の昔馴染みなんだとよ」
『救世隊』は言えないのに、昔馴染みは言えるのか。基準が分からない。ともあれ、彼の言語能力のことはどうだっていい。
テレジアの昔馴染み――つまり、幼馴染だった人間。そして、唯一キュラスを去った人……。
ふと、頭に気球が思い浮かんだ。熱意を抱えたまま、森でひとり暮らすその姿も。
「……どうしてその人はキュラスを離れたのかしら」
「さあ、分からんなぁ。俺と『教祖』様がここに戻ってすぐだったから、なにか心変わりがあったんだろうよ」
ハルツはツン、と唇を尖らせる。
どういうことだろう。少し詳しく聞いておきたい。
「ちょっと待って。ハルツさんが『教祖』様と一緒に戻ったって――話が見えないわ」
すると彼は、「あー」とか「うー」とか唸ったあと、ゆっくりと続けた。
「よく分かんねえけど、『教祖』様は一時期旅をしてたみたいだな。その帰りに俺と、ばったり会ったんだよ。いや、会いに来たのか? ああ、きっと会いに来たんだな。優しいなあ……。森で寂しく暮らす俺を、『教祖』様はキュラスに招いてくれたんだ」
少し、整理が必要だ。
「ええと……つまり……『教祖』様は旅の終わりにあなたを引き取って、キュラスに戻った。そのあとロジェ――『救世隊』のひとりがキュラスを去った。理由は分からない。……こんな感じ?」
すると、ハルツは目を丸くした。
「あんた……説明上手いなあ! すげえや! さすがだなあ……」
驚くポイントじゃないんだけど……。まあ、いいか。彼の反応で、わたしの整理した通りの流れだったことが分かったし。
「ハルツさん、ありがとう。わたし、ちょっと用事を思い出したから行くね」
「お、おう! 気をつけてな!」
ハルツに背を向けて歩きつつ、呼吸を整えた。今得られた情報から、どこまでの物事を推測出来るだろう。決定的とは言えないだろうけど、はじめて見つけた取っ掛かりだ。
一定の歩調で進みつつ、頭を働かせる。
まず、キュラスを去った『救世隊』のひとり。これは間違いなくロジェールだ。彼が『救世隊』だったことも、テレジアの帰還と同時にキュラスを去ったことも知らなかった。けれど、ヨハンは彼の言葉に嘘があると言っていたはず。なら、ハルツの語ったことを事実と見るべきだろう。
ハルツはテレジアによってキュラスに招かれたと言っていたが、これも真実に違いない。会いに来た、という表現が引っかかったが、激情的な男だ。単なる思い込みだろう。旅の終わり……おおかたキュラスに至る街道沿いの森で彼女と出会い、善意かなにかは知らないが、一緒に来るよう言われた、ということか。
問題はテレジアが戻り、一方でロジェールが去った点にこそあるに違いない。ロジェールが森の小屋で語ったような『幼馴染が遠くへ行ってしまった』という理由ではないだろう。
テレジアに、そのことをぶつけてみるべきだろうか。もし、それが彼女の急所なら――。
はたと、思考が止まった。もし、たったひと言ですべての破綻が訪れるのなら。たとえば、まだシンクレールが目を覚まさないうちから彼女を追い詰めてしまったなら。
彼女が尻尾を見せないあまり、大胆に迫りすぎていやしないだろうか。それこそ、無謀なほどに。
背を走った寒気は、わたしの軽率を咎めるようだった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』にて
・『ロジェール』→キュラス付近の山岳地帯にひとりで住む青年。空を飛ぶことに憧れを抱き、気球を完成させた。テレジアの幼馴染であり、元々はキュラスの住民。詳しくは『298.「夢の浮力で」』にて
・『救世隊』→キュラスの宗教団体の幹部のこと。街の夜間防衛を担う存在。
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




