330.「懺悔室にて」
ぼんやりとシンクレールを眺めた。彼の寝息は規則的で、安らかである。テレジアもマドレーヌもいないし、この様子だと彼もしばらくは寝たままだろう。こうして寝姿を見守っているのも間違いではないだろうけど、今はもっと出来ることがあるのではないだろうか。
わたしはまだテレジアという人間を把握しきれていないし、キュラス全体についても同じことが言える。直面する事実がすべて清潔な意味しか持たないのでどうにも気分が落ちてしまったが、それだけがすべてではないはず。テレジアにも、キュラスという土地にも、きっと裏側があるに違いない。
聴こえていないのは分かってるけど、なんとなく、シンクレールに呼び掛けた。「少しひとりにするけど、不安がらないでね」
廊下を出て、昨夜テレジアと話した部屋へ向かった。ドアは開いており、なかを覗き込むと数人の信者と、そして肝心の二人がいた。
長テーブルを挟み、音吸い絹のなかで向き合う二人。テレジアは両手を組み合わせて、同情に堪えないといった視線をマドレーヌに向けている。一方でマドレーヌは周囲の様子など気にしていない様子で、何事か叫んでいるようだった。頭を振り乱し、大口を開け。そして目尻には涙。
シンクレールのことを懺悔しているのだろうか。それとも、なにか別のことを……。いずれにせよ彼女の仕草は真剣そのもので、それを聞くテレジアの表情はまさしく慈母のそれだった。
「お座りになって。順番に呼ばれますから」
不意に、信者に話しかけられた。わたしも懺悔に来たと思われたに違いない。旅人はルールを知らないだろうから、と親切心で声をかけてくれたのだろう。
「ありがとう」
軽く会釈をし、声をかけてくれた婦人の隣に腰かけた。長テーブルを順番に進み、テレジアの向かいに座った段階で懺悔がはじまるというわけか。すでに五人ほど並んでいたが、誰も待ちくたびれた様子はない。ゆったりと時間を過ごすことに慣れているのだろう。こうして懺悔の順番を待っていることさえ、彼らにとっては豊かな時なのかもしれない。
「どちらからいらっしゃったの?」
婦人はニコニコと、柔らかい言葉でたずねた。なんの裏も感じない。
「イフェイオンからよ」
「あら……遠かったでしょう?」
「ええ。でも、こうして無事にたどり着けてよかったわ」
はたして本当に『無事』と言えるかどうか怪しかった。それに、問題は到着してからのほうが大きい。ともあれ、住民相手の世間話であけすけに言うわけにはいかない。
「みんなあなたたちのことを歓迎していますよ。だから、なにか困ったことがあったらすぐに言ってね」
婦人は気さくな笑みを浮かべる。
なら、少し突っ込んで聞いてみよう。
「ではお言葉に甘えて……。ここではみんな、朝早くに起きて働いたり懺悔したりお祈りしたりして過ごすのかしら?」
「そうよ。毎日がその繰り返しだけれど、退屈だなんて思ったことはないわ。優しい人たちに囲まれていると、自然と気持ちが柔らかくなるの。それに、『教祖』様のお近くにいられるだけで幸せだわ」
なんの含みもない、直接的な言葉だった。テレジアは、よほど深くまで信徒の心に入り込んでいるというわけか。まあ、彼女の外面を見れば納得は出来る。なにも知らない人なら、簡単に彼女を好きになってしまえるだろうから。
それにしても――。
「こう言うと失礼かもしれないけれど、毎日懺悔することってあるのかしら?」
すると婦人は、笑みを崩さずに答えた。「それはもう、たくさん。生きていると懺悔すべきことだらけよ」
そんなものだろうか。
そうこうしているうちに、婦人の順番になった。マドレーヌはとっくに部屋を去っていたが、行き先の見当はついている。彼女がシンクレールと二人でいるからといって物騒な事態にはならないだろう。少なくともこれまでの彼女の様子を見る限り、本当にシンクレールを好きになって、心配と愛情でそばにいることは理解した。敵だからすべての動きを警戒しなければならない、と考えるのは少し大袈裟だ。
婦人が懺悔を終えると、テレジアが柔らかい笑みをこちらに向けた。順番だからどうぞ、ということか。
懺悔することなんて特にないが、成り行き上仕方ない。
「ごきげんよう、クロエさん」
音吸い絹によって作られた透明の密室で、テレジアはやはり敵意のない声を出した。
「ごきげんよう、『教祖』様。……働き者なのね。いつ眠ってるのかしら?」
テレジアは昨晩からずっと起きているはずだ。夜間防衛中に眠っていない限り。
「懺悔は皆様にとってもわたくしにとっても大切な習慣ですから、怠るわけにはいきません。わたくしの身体はご心配なさらずに。元々眠りは浅くて済むほうですので」
「そう。……ところで、ここに住んでる人はみんなあなたを信頼してるのね」
するとテレジアは、ゆったりと首を横に振った。
「互いが信頼し合っているのです。隣人を愛するからこそ、争いのない生活を送れます」
正論だ。彼女とニコルの関係を無視すれば、その手を取って感動の言葉を口にしたことだろう。
「争いのない街に現れたわたしたちは、さながら不純物ってことね」
「いえ、そんなことはありません。昨日申し上げた通り、わたくしは貴女がたと良い関係を結びたいと願っておりますし、そうなると信じてもいます」
「随分と自信があるのね。……シンクレールを助けてくれたことは、感謝してるわ」
「当然のことをしたまでです」
こうして向き合っていると、彼女の裏のなさが気にかかってどんどん焦ってしまう。どうしてこんなにも真っ直ぐ、清潔に微笑むことが出来るのだ。わたしが敵であることは知っているはずなのに。
少し冷静になるべきだ。得られるだけの情報を得ればいい。あとの判断は、それこそシンクレールやヨハンと一緒にすべきことだ。ここで悪戯にテレジアを刺激しても、たぶん、少しも揺らがない。却ってこちらが焦るだけのことだ。
「懺悔じゃなくて、世間話をしてもいいかしら?」
「ええ、もちろん」
「ここで暮らすのは、きっと大変でしょうね。みんな働き者だけど作物は限られているし、環境だって厳しいでしょ?」
「厳しくない、と言えば嘘になります。ただ、自然はあるがままのものですから、わたくしたちがそれに合わせていくしかないのです。自然と手を結んで、豊かに共生する。恵みを得る代わりに、奉仕するのです」
「奉仕した翌日に嵐が来ても、ここの人たちはきっと恨んだりしないんでしょうね」
「ええ。あるがままに生きるというのは、自然の表情をも受け入れることですから」
天災さえ自然の表情だなんて言い切ってしまえるなんて。彼女の言葉は、あまりにも正しい。
「なら、魔物の出現も『自然の表情』なのかしら?」
きっと沈黙が訪れるだろう、それでなくとも多少の間が生まれるはず。そう期待したが、テレジアは即答した。
「ええ。魔物も『自然の表情』です」
「へえ。住民は魔物のことを罪の結晶だなんて言ってたけど。それを撃退するために、物理的な武器と正しい心が必要だって」
矛盾を突いた、と思ったのだが、テレジアの態度は一切崩れなかった。
「そう、罪の結晶です。ただ、ひとつだけ違う点があります。魔物は罪の結晶ですが、同時に『自然の表情』でもあるのです。だからこそ、わたくしたちは彼らの存在をそのときどきのやり方で受け入れていくしかありません。それこそが、罪を雪ぐことになりますから」
魔物を、受け入れる。それによって、罪が洗われる。
馬鹿げた価値観だ。今まで何人のもの人が魔物に襲われて命を落としているというのに。
テーブルの下で拳を握ろうとしたが、なんとかこらえた。
「随分と特殊な価値観をお持ちなのね。だから昨晩、魔物を討伐しなかったの?」
不意にテレジアは目を逸らした。いつの間にやら、わたしのあとに懺悔を待っている人々がずらりと並んでいる。
「それに関しては、のちほどシンクレールさんを交えてご説明いたします。少し長くお話ししてしまいましたね。わたくしは歓迎いたしますが、待っているかたでこの部屋が埋まってしまいそうですので、また今度にしましょう」
直後、音吸い絹が解除された。内緒話はこれで終わり、というわけか。さすがに住民に聴かれている状態でアレコレと追及するわけにもいかない。
「おかげさまで素敵な時間が過ごせたわ。どうもありがとう」
テレジアは返事をせず、ただただ微笑んでいるだけだった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』にて
・『音吸い絹』→音を遮断する布状の魔術。密談に適している。詳しくは『216.「音吸い絹」』にて
・『イフェイオン』→窪地の底に広がる豊かな町。王都に近く、特産品の『和音ブドウ』を交易の材としている。『毒食の魔女』によって魔物の被害から逃れているものの、住民一同、彼女を快く思っていない。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。




