328.「神の恵みに感謝を」
パタパタと騒々しい靴音を鳴らし、テレジアの後ろからモニカが現れた。彼女は一目散にヨハンへ駆け寄り、彼が避ける間もなく膝にちょこんと座り込む。
「ちょ、離れてください!」
「ドクロの泥棒さん、おなか減ってない?」
「減ってますが……それどころでは――」
「じゃあ、みんなでごはん食べようよ!」
はしゃぐモニカと、ぐったりと困惑する骸骨男。どこまでもアンバランスである。テレジアは苦笑を浮かべ、マドレーヌはこめかみを震わせて怒りを抑えている様子だった。
「モニカさん。ここは病室ですよ。すぐに食堂へ行きましょう? ね?」
テレジアはやんわりと彼女の手を引き、ヨハンの膝から下ろした。そして彼へ会釈をして見せる。どこまでも聖母じみていた。
「旅人さんも、ぜひいらしてください。昨晩はお食事を出しそびれましたから」
テレジアの誘いは、別段断る理由なんてなかった。食事に毒が盛られていると警戒することは出来たけれど、そんなことをするぐらいならとっくにわたしたちを襲撃している。彼女の立場からしてみれば、すでにわたしとヨハン――そしてシンクレールは手のひらの上にあるようなものなのだから。
かくしてわたしたちは施設まで足を伸ばし、一階にある食堂らしき広間へと通されたのである。道中、すでに食事を済ませたのか、ぞろぞろと施設を出ていく教徒が見えたのが印象的だった。彼らはああして早朝から働き、陽が落ちるまで作物や家畜の世話をしているのだろう。徹底した労働ぶりである。
食堂にはテレジアとマドレーヌ、そしてなぜかヨハンの隣に陣取ったモニカと、あとははじめて目にする男がいた。すっかり髪の白くなった、目付きの厳しい老人である。彼はひと言も口を開かず、むっつりと食卓に着いたのだ。
おや、と思ったのは彼の魔力である。魔術を行使出来るほどに整っていた。
「ゼーシェルさん、こちらは旅のお方です。クロエさんとヨハンさん」
テレジアがそう紹介しても、老人――ゼーシェルは不機嫌そうに「ふん」と鼻を鳴らしただけである。驚いたのは、あれだけテレジアを崇拝している様子のマドレーヌがなにも言わないことだった。彼の性格に慣れきってしまっているのだろうけど、マドレーヌはわずかばかり眉間に皴を寄せただけで黙っていたのである。
少し探りを入れるべきだろう。「おはようございます、ゼーシェルさん。わたしはクロエと申します。もしかしてあなたも『救世隊』の一員なのかしら?」
あくまでも無邪気にたずねて見せると、見事に無視された。偏屈老人め……。
テレジアはちょっぴり困り顔になって、取り繕うように口を開く。
「ゼーシェルさんは『救世隊』ではありません。わたくしたちを支える優秀な魔具職人なのですよ」
ごくり、と息を呑んでしまった。そうか。彼がこの施設の永久魔力灯をすべて整えた職人だったのか。専門家は偏屈な人間が多いと思っていたが、彼ほど型にはまった人間はなかなかいないだろう。
どうしても聞いておきたいことがあった。
「モニカの武器もゼーシェルさんが造ったの?」
「そうだよ! じぃが造ってくれたの!」
想像通り、モニカは間髪入れずに答える。マドレーヌは『なんでもかんでも喋るなんて』とでも言いたげに肩を落とした。そんな彼女とは対照的に、テレジアはただただ微笑んでいる。きっと彼女は、わたしの質問の意図も理解していることだろう。敵の戦力を探っている、と。
昨晩の態度から、こちらの警戒心が決して消えていないことはテレジアも把握したことだろう。そして、あくまでも良い関係を結びたいと主張する彼女のことだ。職人の腕のほどを知られたところで別段気にしていないに違いない。そもそも、ゼーシェルが職人であると告げたのはまさに彼女なのだ。自ら手の内を明かすことで、こちらの警戒を解こうとしているのかもしれない。
ともあれ、期待通りの返事でほっとした。
無意識に布袋へと伸ばしかけた手をとどめる。きっとゼーシェルなら『親爺』のサーベルだって修復してくれる……はず。技術的な問題に関してはさすがに分からないけれど。
「それでは皆さん、いただきましょう。神の恵みに感謝を」
テレジアの言葉に続いて、マドレーヌとモニカの声が重なる。「「神の恵みに感謝を」」
ゼーシェルはというと、テレジアが口を開いた直後、匙に手を伸ばしていた。そしてマドレーヌとモニカの声が響く頃にはスープの最初のひと口を呑み込んでいた。
協調性の欠片もない。そんな彼を理解しているのか、誰もなにも言わなかった。
食卓には手のひらに乗るサイズの丸パンが三つ。根菜が沈んだ、色味の薄いスープ。ゆで卵が三つ。細切りにされたニンジンのサラダ。そしてコップ一杯の牛乳。
素材本来の豊かさを感じる味付けだった。塩は最低限。砂糖も同じ。ドレッシングなんてもってのほか。そんなポリシーなのだろう。家畜は老いさらばえるまで屠殺しないのかもしれない。テレジアたちの敬虔さを見ていると、なんだかそんな気がした。
それにしても……。
ゼーシェルはもじゃもじゃと大袈裟に伸びた髭をスープやらパン屑やらでだいぶ汚している。この老人、本当に大丈夫だろうか……もしや、職人として辣腕を振るっていたのは過去のことで、ここ最近は隠居生活をしているのでは……?
「滋味の深い、良い食事でした。感謝します」
と、ヨハンは早々に食べ終えて柄にもないことを言っている。モニカから離れたくて仕方ないのだろう。
「ドクロの泥棒さん、ニンジン分けてあげる」
どさっ、と皿に追加の野菜が乗ると、ヨハンは露骨に苦笑いをした。「ありがとう……モニカさん」
「どういたしましてぇ」
眩いくらいの笑顔を浮かべるモニカと、げっそりやつれた様子のヨハン。気を抜くと顔がゆるんでしまいそうだった。
「では、わたくしは教会に戻ります。旅人さんはご自由にお過ごしください」
食事を終えると、テレジアは陰りのない笑顔で言い放った。
「わたしも行くわ」
「ええ、ぜひ」
シンクレールを彼女と二人だけにするわけにはいかない。
「私も――」と立ち上がりかけたヨハンは、やはりというかなんというか、モニカに袖を引かれた。
「ドクロの泥棒さん、私眠い……」
ごしごしと瞼を擦る様子は、演技には見えない。モニカくらいの年齢なら、夜通し起きていたら当然眠たくもなるだろう。
「そうですか、おやすみなさい」と歩き出そうとしたヨハンに、モニカがしがみつく。
「ドクロの泥棒さん、一緒に寝ようよぉ」
沈黙が広間に流れる。テレジアは苦笑と会釈を残して去ってしまった。わたしもあとを追わなければならないのだが……。
ヨハンはじっとこちらを見つめて、くっきりとした声で言った。
「お嬢さん。後生です。私を救い――」
「ヨハンはモニカの面倒を見て頂戴。ね? 大丈夫。あなたならどうとでもなるわ、ドクロの泥棒さん」
背を向けると、モニカが眠たげな声でヨハンを誘導していく声が聴こえた。そして、彼の「うぅ」とか「あぁ」とか「はい」とか、情けない声も。
ちょっぴり気分が晴れた。
敵の本拠地ではあるが、モニカはあの調子だし、ヨハンだってその気になれば造作なくあしらえるだろう。問題はこちらのほうだ。
「あたしもついていくからね」
じっとりとした目付きで隣を歩くマドレーヌ。攻撃してくるような気配はないものの、明らかに敵意で溢れている。もし変なスイッチが入って戦闘になったら、勝てるだろうか。ナイフ一本で魔術師を相手にするなんて、ぞっとするどころの話ではない。
やはり、どう考えてもシンクレールの回復を待ったほうが良さそうだ。幸いにもテレジアはまだ仕掛けてはこないようだし。
食後、ゼーシェルは黙って外に消えてしまった。どこへ行くとも告げず、たったひとりで。彼を追うべきかテレジアを追うべきか迷ったものの、今はシンクレールのほうが大事である。ゆえに、こうして教会に向けて足を運んでいるのだ。
「昨日の晩……シンクレールとなにがあったの?」
マドレーヌは唐突に言う。まだ妙な関係を疑っているのか、この人は。
「なにもないわ」
「嘘おっしゃい」
「嘘じゃないってば」
すると彼女は「はぁ」と露骨なため息を吐き出したきり、黙り込んでしまった。本当になんなんだ、この人は。
そうこうしているうちに、教会の前に到着した。
朝の光に照らされて、ステンドグラスがきらきらと輝いている。なにひとつ負い目のない、真っ直ぐで、清純で、そして荘厳なたたずまい。
本当にテレジアが清廉潔白な人間なら、と、願いのような感情が生まれた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』にて
・『救世隊』→キュラスの宗教団体の幹部のこと。
・『親爺』→アカツキ盗賊団の元頭領。彼が製造した武器がクロエの所有するサーベル。詳しくは『40.「黄昏と暁の狭間で」』にて
・『永久魔力灯』→魔力を施した灯り。光度や色調は籠められた魔力に依存する。魔道具。詳しくは『38.「隠し部屋と親爺」』参照




