326.「教会の夜」
瞳。仕草。言葉。そのどれにも奇妙なところはなかった。論理的な矛盾もない。つまりテレジアの言葉に疑うべき点などひとつもないことになる。
けれど……。
ヨハンは相変わらずわたしの決断を待っているのか、沈黙を続けている。
真実を探るのなら、いずれにしても時間が必要だ。わたしの期待したような揺らぎをテレジアが見せていない以上、申し出を呑むべきか……。
「……分かったわ。シンクレールの回復を待って、あなたの説明とやらを聞きましょう。けど、ひとつ教えて」
「なんでしょう?」
「あなたは……今もニコルの味方なの?」
ベッドで眠るシンクレールは規則的な寝息をしていた。ぐっすりと夢のなか、といった具合である。顔は青白いものの、危機感を覚えるほどではない。
先ほどの質問はヨハンに止められてしまった。それについてはシンクレールが回復してから聞くべき、と。確かにそうだ。もし彼女が今でもニコルの味方なら、刃を交わすことになるのは明らかである。その場にシンクレールがいないとなれば、勝利はきっと難しい。こちらの戦力不足を鑑みると、やはり聞くべきではない質問だったと反省した。
テレジアは「お邪魔になるかもしれませんから」と残して夜間防衛に向かってしまった。同行しようとしたのだが、断られてしまった。食い下がるとマドレーヌとモニカが口を挟み、結局教会に閉じ込められる羽目になったのである。こっそりあとを追うべく教会を出ようとしたら表の扉がぴったりと、魔術によって施錠されていた。念入りすぎるくらい念入りである。
かくしてわたしとヨハンはシンクレールの様子を見ているのである。テレジアを追えない以上、今出来ることをすべきだった。
シンクレールの身体には、露出している箇所を見る限り傷はなかった。高山蜂に刺されたのなら、それらしい傷跡があってしかるべきである。
しかし――。
勇者一行の治癒魔術師。その肩書きが重くのしかかる。テレジアが本当に治癒魔術をかけたのなら無傷に見えても不思議ではない。傷を消すくらいのことはやってのけるだろう、きっと。
「なんにせよ、生きているようでなによりです」
ぽつり、とヨハンが呟いた。彼は椅子に腰かけて脱力している。気を張っても仕方ない状況とはいえ、敵の本拠地で……。
ヨハンの向かいに腰を下ろし、ため息をついた。
「結局全部わたしが決めちゃったけど、良かったの?」
「シンクレールさんの回復を待つことですか?」
「そう」
するとヨハンは首を横に振り、苦笑した。
「私も同じ考えでしたから、異論はありません。もし別のアイデアがあったとしても、あの状況ではアレコレ相談することは出来ませんからね」
テレジアの音吸い絹のなかで交信魔術なんか出来ない、ということか。確かに、軽率に魔術を使っても簡単に看破されてしまうだろう。
言葉を交わすなら今が最適だ。教会内には永久魔力灯以外の魔力はない。テレジアがなにか仕掛けている、と考えるのはさすがに大袈裟だ。
「それで、ヨハン。あなたはテレジアをどう見てるの?」
「どう、とは?」
「テレジアが言ったこと全部よ。シンクレールを助けた話もそうだし、ニコルに告げ口してないってことも」
口調だけならテレジアは真実しか話していないように思える。しかしながら、わたしの観察眼なんて当てにならない。ヨハンほど疑り深い奴ならなにか気付くことがあったんじゃないのか。
「言葉通り……そう感じましたよ。どこにも偽りはないです。私たちと良い関係を結びたいというのも、シンクレールさんを助け出した顛末も、すべて嘘とは思えませんでした。その上で『教祖』をどう捉えるべきかは……正直なところ、判断がつきません。少なくとも、現時点で彼女から仕掛けてくる様子はないですね」
ヨハンでさえ判断に迷う、か。テレジアの言葉が真実であり、同時に、彼女が勇者一行であるという事実が偽りなく合致して混乱を生んでいるのだ。
「それにしても高山蜂に襲われるとは……シンクレールさんはよほど苦手なんですなぁ、蜂が」
呆れたようにため息をつきつつ、ヨハンはどこか安堵した笑みを浮かべた。彼も心配していたのだろう。仲間として大事だからなのか、戦力として必須だからなのかは分からない。多分、後者だろうけど。
「だから橋にたどり着けなかったのね。咄嗟に氷獄を使ったのかしら」
「でしょうね。自分自身を氷漬けにして、解除される頃には蜂どももいなくなっていると踏んだのでしょう」
「でも、蜂は消えていなかった……ってわけね」
道中で高山蜂に出くわしたときも、彼はひどい動揺ぶりを見せていた。へまをして襲われることだって十分に考えられる。
「なんにせよ、ひと安心ですなぁ」
「貴重な戦力を失わずに済んだから?」
ついつい聞くと、ヨハンは苦笑したまま答えなかった。
「なんにせよ、一旦はキュラスで待機ですな。シンクレールさんの回復を待って『教祖』から話を聞きましょう」
「ええ」
直後、ヨハンの顔付きが変わった。薄気味悪いくらい真剣な表情と眼差し。
「なにが出てこようとも、私たちの行動は変わりません。テレジアと手を結ぶかどうかは置いても、最終的には魔王を討つ。――いいですね?」
「分かってるわよ。なにをいまさら……」
おかしな奴。わたしが目的を諦めるとでも思ってるのだろうか。
ヨハンの顔は普段通りの軽薄な笑みに変わった。
「なにせ、大事な契約ですからねぇ。私も命がけなんですよ、これでも。まあ、お嬢さんの心変わりさえなければなんだってかまいません」
「心変わりなんてしない。魔王は絶対に倒すし、テレジアが敵なら討伐するわ」
「期待してますよ」
「……あなたも戦うのよ」
ヨハンは肩を竦めてへらへらとニヤつく。まったく、責任感を欠片も感じない。ちょっとからかってやろうか。
「それにしても、随分と意外ね」
「なにがです?」
「モニカに怯えるなんて」
するとヨハンは、苦々しく顔を歪め、困り切った様子で額に手を当てた。
「敵に懐かれるなんて嫌ですよ、私は」
「そう? あなたは好意を利用して毒々しい罠を張りめぐらすのが大好きなんじゃなくって?」
「手厳しいですなぁ……。私は寝ますから、なにかあれば起こしてください」
まったく……。
ヨハンは椅子にもたれて目を閉じ、規則的な呼吸を繰り返す。わたしも寝ようかと思ったが、夕方眠ったばかりである。睡眠は足りているし、なにより、ここは敵の本拠地だ。閉ざされた空間とはいえ、惰眠を貪る気にはなれない。
机に肘を突いて考えるのは、テレジアのことばかりである。彼女の思惑がどうしても見えてこない。肝心の部分はすべて先送りにされてしまったのだから。良い関係を結びたいだなんて、どういう風の吹き回しだろう。
ともあれ、シンクレールをこうして休ませていてくれているのは事実だ。彼が目を覚ましたら、彼女の言葉に偽りがないかどうかも確認出来るだろう。
やがて夜が深まり、そこかしこで魔物の気配が濃くなった。じわりじわりと、地表に滲んでくるような気配の現れかたである。……どうも妙だ。通常、魔物の気配は唐突に現れるはずなのに。
神経を尖らせて気配を探り続けた。それらはやはり、滲んでくるとしか表現出来ない。普通じゃない現れかたをしているのだろうか。なんにせよ、教会に閉じ込められている状況では確認しようがない。
魔物は急速に数を増やし、キュラス全体を覆うような強烈な気配へと変わっていった。いくらテレジアでもこれだけの量を一度に相手することなんて困難だろうに。
魔物の気配が消える速度によって、おおよその戦いかたは判別出来る。一体ずつ相手にしているのか、それとも広範囲の攻撃魔術で一気に蹴散らすのか。それ次第で彼女の手数もある程度見えてくる。
しかし――じっと集中していたのだが、いつまで経っても魔物の気配は消えてくれなかった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』にて
・『音吸い絹』→音を遮断する布状の魔術。密談に適している。詳しくは『216.「音吸い絹」』にて
・『ヨハンの交信魔術』→耳打ちの魔術。初出は『31.「作戦外作戦」』
・『治癒魔術』→読んで字のごとく、治癒の魔術。それほど高い効果はない。他者を癒すことは出来るが、術者自身にかけることは出来ない。詳しくは『131.「ネクスト・ターゲット」』にて
・『氷獄』→対象を氷の箱に閉じ込める魔術。閉じ込められた相手は仮死状態になるが、魔術が解ければそれまで通り意識を取り戻す。詳しくは『270.「契約」』にて
・『永久魔力灯』→魔力を施した灯り。光度や色調は籠められた魔力に依存する。魔道具。詳しくは『38.「隠し部屋と親爺」』参照
・『高山蜂』→標高の高い地域に生息する蜂。針には毒がある。崖に巣を作る。巣は甘く、食料として高値で取引されている。詳しくは『300.「幸せな甘さ」』『303.「夜の山道」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。




