325.「いかにして青年はこの地にたどり着いたのか」
テレジアの口からこぼれた『信頼』という言葉が胸にこびりつく。彼女の声音は誠実で、どこまでも嘘が見出せない。だからこそ、異様にべったりと心に貼り付くのだ。
「……わたしたちがなんのためにここまで来たのか分かってるの?」
そう聞かずにはいられなかった。ニコルとわたしの関係性を知っているのなら、嫌でも想像がつくはずだ。わたしたちが敵でしかないと。テレジアを討ち取るためにキュラスまで遥々足を運んできたのだと。
彼女は決して微笑みを崩さず、わたしとヨハンを交互に見つめた。
「ええ。察しています。……それでも、わたくしと貴女がたは理解し合えると信じております」
『理解し合える』。『良き関係』。『真の信頼』。軽率に口にすると簡単にボロが出てしまうような台詞だ。あまりに美しい言葉は、ときに逆説的な意味を帯びる。それを口にする当人の思惑を如実に反映してしまうのだ。まるで鏡のように。
テレジアの唇から流れ出た数々の言葉は、裏など少しも感じさせない響きを持っていた。彼女のわずかな仕草やほんの少しの表情の変化さえ、その言葉をより堅実なものにしている。どうしてこうも純粋に聴こえてしまうのか、と不審に思ってしまうくらいに。
「ニコルさんにわたしたちの生存を報告していない証明は出来ないが、そうしない理由は説明出来る……先ほどあなたがおっしゃったことです。ぜひ、その説明とやらを聞きたいですな。信頼を得たいのなら、美辞麗句を口にするよりも先にすべきことがあります」
ヨハンは慎重に言う。いつもの彼なら煽りや嫌味で相手を揺さぶるのが常套手段だが、テレジアには通用しないと踏んでいるのだろう。それに、彼女はニコルの仲間である。その意味するところの重さを彼が知らないわけがない。
ここはヨハンに同調しておくのが吉だ。
「わたしも、ぜひ説明を聞きたいわ。理解し合えるかどうかは、それからのことよ」
するとテレジアは、またも優美な困り顔を浮かべた。
「今ご説明するのも結構ですが、そうなると後戻りは出来なくなります。なにしろ、随分と重大な物事ですから。わたくしとしては、それをご説明するより先に教団のこと――いえ、キュラスのことを知っていただきたいのです。それには時間が必要ですが……ひとつ、提案があります」
「提案?」
思わず聞き返した。彼女の声は流暢だったが、言葉だけ取ってみると煮え切らないじれったさがある。そこに裏があると読むべきなのか否か……。いずれにせよ、彼女の言う提案がなんなのか知りたい。
テレジアはちらりと、分かりやすく視線を左に移動させた。シンクレールの休んでいる部屋の方向へと。
「一旦シンクレールさんの回復を待って、万全な状態でお三方にお話しさせていただくのはいかがでしょう。こう言っては失礼かもしれませんが、又聞きでは決して信じられない類の事柄なのです。ですので、ご説明の際にはぜひ彼も、と。……これは貴女がたにとっても悪くない提案かと思います」
沈黙が流れた。静寂の中心で、テレジアは柔らかく目を細めている。
三人同時に話すべきこと、か。こちらを陥れる策略をめぐらしているのだろうか。いや、それならシンクレールを回復させるより、人質として使ったほうがいいに決まってる。わざわざ彼を万全の状態にする意味がどこにあるのだろう。
……考えても、答えは出てくれそうにない。
ついヨハンを見ると、口元を手で覆った彼と目が合った。その表情や目の色に迷いは見られない。それどころか、『決めるのはお嬢さんです』とでも言うような雰囲気がある。こういうときだけ判断を委ねるのはどうかと思う。
目をつむると、瞼の裏に光彩が散った。ちかちかをまたたく光のなかで想うのは、シンクレールの姿である。たとえば今ここで彼女の提案を拒絶したなら、彼はどうなるのだろう。
どちらかを選び取るにせよ、情報が少なすぎる。
「……悪くない申し出だけど、決める材料が少ないわ。だからこそ、ひとつ聞かせて」
「ええ、どうぞ」
「――どうしてシンクレールをキュラスに運び込んだの? 昨晩なにが起こったのか教えて頂戴」
いくらでも嘘を言うことが出来るはずだ。それこそ、事実を都合よく捻じ曲げるなんて子供でも出来る。だからこそ、彼女の反応に一ミリでも引っかかりがないかどうか確認したい。もし嘘がちらりとでも感じられるならば、彼女の申し出を拒否するだけの判断材料にはなる。
テレジアはやや長いまばたきをし、それからゆっくりと言葉を紡いだ。
「わたくしは毎晩、キュラスの警備のために外出します。ただ、貴女が考えていらっしゃる通り、昨晩は例外的でした。普段は橋の手前までしか行かないのですが、その日は……貴女がたの魔力を感じましたので、橋の先まで様子を見に行こうと思ったのです」
「で、橋の上からわたしとヨハンを見つけたのね」
「ええ。わたくしは橋の上で貴女がたを見つけました。そしてここまでやってきた目的も、同時に理解したのです。……街道から外れた山奥で拡大鏡を使う理由なんて、あまりないですからね」
橋を渡る前からわたしたちの魔力を察知し、橋の上で曲者の正体を掴んだというわけだ。控えめに言って、異常なほどの察知能力である。
彼女はさらに続けた。
「谷沿いに貴女がたの姿を確認出来ましたが、もうひとかた、山中にいることも察知しました。別行動をしている、と。……先に申し上げておきますと、脅かすつもりなんて少しもありませんでした。ただ、夜の山道がどれだけ危険かはよく知っています。わたくしたちが山中に入ったのも、別行動をしていらっしゃるかたを守る目的だったのです」
信じられない、と叫びたい気持ちはやまやまだった。けれども、今のところ彼女にはなんの揺らぎもない。言葉を伏せている様子もなければ、口調にも迷いがない。
「で、山中のどこでシンクレールを見つけたの?」
「山道に入ってから十五分ほど歩いた先――崖際でシンクレールさんを見つけました。彼はうつ伏せに倒れていたのです」
倒れていた?
すると――。
「魔物に襲われたって言いたいわけ? 彼ほどの魔術師が?」
考えられない。シンクレールは騎士だ。並みの魔物なら簡単に排除出来る。
テレジアは目を伏せて、ゆったりと首を横に振った。
「シンクレールさんの魔力量なら、おっしゃる通り、魔物を遠ざけることくらい造作もないでしょう。……彼は別の理由で倒れていたのです。シンクレールさんの周囲には、高山蜂が群がっていました」
あ、と声が出そうになった。
なるほど。確かにシンクレールは随分と蜂を怖がっていたっけ。魔術を使えば簡単に蹴散らせるとばかり思っていたが、なにをしたのか、彼は高山蜂に襲われて――。
「シンクレールさんは、全身をひどく刺されておりました。危険な状態、と表現して差し支えないほどに。……わたくしどもは蜂を散らせ、彼に応急処置を施してこの教会に運び入れたわけです」
「応急処置?」
「ええ。ご承知かもしれませんが、わたくしの治癒魔術を彼に注いだのです」
そうだ、彼女は勇者一行の治癒魔術師なのだ。その実力のほどは分からないが、常識を超えているであろうことだけは確かだ。
「それで、シンクレールの治癒をここで続けてるってこと?」
「ええ。それが事の顛末です」
テレジアは、ふ、と薄く息を吐いてこちらを真っ直ぐに見つめた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』にて
・『メフィスト』→ニコルおよび魔王に協力する存在。ヨハンの本名。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』
・『拡大鏡』→空間の一部を拡大する魔術。ヨハンが使用。詳しくは『306.「拡大鏡」』にて
・『治癒魔術』→読んで字のごとく、治癒の魔術。それほど高い効果はない。他者を癒すことは出来るが、術者自身にかけることは出来ない。詳しくは『131.「ネクスト・ターゲット」』にて
・『高山蜂』→標高の高い地域に生息する蜂。針には毒がある。崖に巣を作る。巣は甘く、食料として高値で取引されている。詳しくは『300.「幸せな甘さ」』『303.「夜の山道」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。




