324.「同情と慈愛」
厄介払い。マドレーヌとモニカを部屋から出したのは、明らかにそれだった。なのにテレジアは、表情はおろか、口調さえ少しも変わらない。これが彼女の素なのだろうか。あるいは、あまりに長く演技を続けたせいで、かぶった仮面が外れなくなっているだけかもしれない。
「音吸い絹ですか……随分と念入りですねぇ」
心なしか、ヨハンの声に余裕がないように思えた。普段の飄々とした姿に影が差している。やはり彼も、勇者一行が相手ともなれば気が張るのだろう。
テレジアは朗らかな笑みを浮かべたまま、ヨハンを見つめた。
「懺悔の時間に使いますから、慣れているのです。彼らの告白は、わたくしだけが聴くべきですので」
懺悔がどういうものかは知らないが、大言壮語にしか聞こえない。
「神の耳には届けなくていいのね。ご大層な信仰だわ」
露骨に煽ると、テレジアはやはり困ったようにわずかばかり表情を崩した。いかにも優しげな、教育者然とした態度である。どんなに揺さぶっても理性は消えない。そう思わせる笑み。
それから彼女は、すっ、と目を細め、口を開いた。諭すような声が漏れる。
「神は、わたくしを通路にして人々の声を聴きます。わたくしが彼らの言葉を、神への懺悔として捧げるのです」
「……自分が特別な人間だと思ってるのね」
するとテレジアは、ゆったりと首を横に振った。
「いいえ。わたくしはなにも特別ではありません。神の言葉を編むことは、土を耕したり牛の面倒を見るのとなにも変わらない、普通のことです。ただ、誰かがその役目を引き受けなければならないのですよ。それがこのキュラスでは、たまたまわたくしだったというだけのことです」
そこまで喋ると、テレジアは「ふ」と息を吐いた。いかにも自然に言葉を切った仕草である。
たまたま神の通路としての役を負う、か。随分と自信たっぷりな台詞だが、嫌味やプライドを感じないのは彼女の語り口と表情が影響している。さもなんでもないことのように、それでいて飛び切り柔らかく喋るのだ、彼女は。
ヨハンは身じろぎひとつせずテレジアを見つめている。指先の動きひとつ、気配の揺らぎひとつ見逃すまいと集中しているのだろう。なら、わたしはわたしの仕事をすべきだ。観察や考察は一旦彼に任せて、テレジアへと切り込んで彼女という人を暴かねば。
が、先に仕掛けてきたのはテレジアだった。
「貴女のことは存じております。騎士団のクロエさんですね? 聞いていた通り、真っ直ぐな方で安心しました」
無意識に身体が強張った。やはりテレジアはわたしを知っていたか。
「いつ分かったのかしら?」
「昨日の晩、と申し上げて通じるでしょうか」
昨晩というと、拡大鏡で彼女を覗いたタイミングだろう。やはりテレジアは、橋の上からわたしたちに気が付いたのだ。あんなに離れた距離から、こちらが何者か把握してしまうなんて。推測していたことだったけれど、改めて彼女の口から語られるとその異常さを意識せずにはいられない。
「そして」一拍置いて、彼女はヨハンに笑みを向けた。「お久しぶりですね、メフィストさん。お元気そうでなにより」
ヨハンは長く息を吐いて、ニヤリと口角を持ち上げた。「今は別の名乗りをしています。ヨハン、と。以後、お見知りおきを」
「そうだったのですね。ヨハン――良い名前です」
良い名前……なのだろうか。けれども、皮肉で言っているようには感じない。
「そりゃどうも」
ヨハンは呟き、少しの間、目を伏せた。
ヨハンの本名なんてどうだっていい。問題は別にある。……テレジアは先ほど『聞いていた通り』と口にした。そして騎士団に所属していることまで知っているとなると、導き出せる答えはひとつである。
わたしのことを『真っ直ぐ』だなんて評価するほど仲の良かった人間はほとんどいない。たったひとりと言ってもいいくらいだ。
「ニコルが色々と喋ったのね」
「ええ。彼は随分と貴女を心配しておりました」
ぎり、と奥歯が嫌な音を立てる。けれども簡単に力を抜くことは出来なかった。わたしについてあれこれと語るニコルを想像して、胸に黒々とした感情が渦を巻く。わたしを裏切って、何度も絶望を味わわせた張本人。決して許すべきではない人類の敵。そして――わたしが結ばれるはずだった幼馴染。
テレジアの表情が柔らかく崩れ、寄り添うような慈愛が強くなった。
「辛い目に遭ったことは知っております。深く傷付いているのに決して歩みを止めなかったことも……」
彼女の言葉はあまりに真摯で、その意味するところは明確だった。どういう方法かは知らないが、わたしが『最果て』に飛ばされたあとのことまで彼女は把握している様子である。ヨハンに裏切られ、命を落としたことまですべて。
昨晩わたしの姿を見たとき、テレジアはなにを考えただろう。死に追いやった張本人であるヨハンとともに行動していることを含めて。彼女がなにを思ったかは興味があったが、今確認すべきなのはそれではない。
「全部知っているみたいね。なら、ニコルにも報告したんでしょ? わたしが生きてるって」
いずれ気付かれるだろうけど、ニコルに知られるのは遅ければ遅いほどいい。今の段階で把握されてしまったら――それも、キュラスにいることを――こちらの計画も看破されるだろう。なんの用事もなしに、勇者一行の根城へ足を向けるはずがないのだから。ニコルに知られているとなれば、今後の動きに支障が出る。
テレジアは笑みを強くし、ゆるやかに首を振って否定した。
「いいえ。彼にはなにも伝えておりません」
ちらとヨハンを見ると、彼はじっとテレジアを凝視しているばかりだった。彼女の言葉が嘘だとも、真実だとも判断出来ない。もしかするとヨハンも見抜けていないのかも……。
「どうしてニコルに言わないの」
「貴女とこうしてお話ししたかったからです。正直に胸のうちを打ち明けることで、人と人とは理解し合えますから。……信じていただけないかもしれませんが。しかし、わたくしは神に仕える身です。嘘などなにもないと誓いましょう」
彼女の声にも仕草にも、そしてその表情にも、偽りは見出せなかった。けれど、わたしの観察など当てにならない。平気な顔でいくらでも嘘をつく奴は確かにいるのだから。
「ニコルに報告してない、って証明出来ないでしょ? なら、信用するわけにはいかないわ」
「ええ、証明することは出来ません。ただ、そうしない理由をご説明することは出来ます」
ニコルに報告しない理由? そんなものがあるとしたら――。
否が応にも、心に甘い光が差し込んでくる。もしかすると彼女は、ニコルの計画に加担する気がないのかもしれない。魔王を討つことは出来なかったが、王都は守り抜く、と。そのためにニコルの仲間のふりをして水面下で戦力を整えているとしたら……。
なんて甘い空想だろう。駄目だ。そんなものに足を取られていたら、きっとまた破滅的な状況が訪れる。もう裏切りや絶望はうんざりだ。
もしもニコルがすでにこちらの生存を把握しており、テレジアともコンタクトを取っているとしたらどうだろう。きっとまた手のひらの上で操るべく策をめぐらすに違いない。待っているのは今度こそ本当の死であり、王都の壊滅だ。
テレジアは長いまばたきをしてから、やはり諭すように言った。
「わたくしは貴女と分かり合えると信じています。ニコルさんから聞いた通り、本当に真っ直ぐで真剣な方ですから。……貴女とはぜひ、良き関係を結びたいと思っています。裏切りや嘘の介在しない、真に信頼し合えるような関係を」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』にて
・『メフィスト』→ニコルおよび魔王に協力する存在。ヨハンの本名。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』
・『音吸い絹』→音を遮断する布状の魔術。密談に適している。詳しくは『216.「音吸い絹」』にて
・『拡大鏡』→空間の一部を拡大する魔術。ヨハンが使用。詳しくは『306.「拡大鏡」』にて
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。




