323.「教祖テレジア ~聖女、あるいはペテン師~」
黒のローブの肩と胸に刺繍された純白の十字。月光のような、色素の薄い金髪。目尻には柔らかな皺が刻まれているが、決して老いているわけではない。ロジェールと幼馴染らしいから、三十手前といったところか。二十歳前後と言われても不思議に思わないほど肌に張りがある。
ニコニコとおだやかに微笑むテレジアは、なにも知らない人間が見たら純粋さと優美さに心を打たれるに違いない。それくらい、混じり気のない姿なのである。もちろん、わたしたちには通用しないけど。
「マドレーヌさん、モニカさん。ここまでご案内ありがとうございます」
言って、テレジアは静かに頭を下げた。柳のように自然なお辞儀である。
「『教祖』様……! よしてください! アタシたちは当然のことをしたまでで……!」
恐縮がるマドレーヌとは対照的に、モニカは誇らしげに胸を張って「えへへ」と相好を崩した。
テレジアの指が宙を泳ぐ。空間を撫でるような手つき。と、彼女は人さし指を自身の唇に当てた。そしてちらりと、シンクレールに視線を送る。
「身体に障るといけませんから、場所を変えましょう」
病人想いの聖母的な発言。純粋な慈愛。誰が聞いても、その言葉を否定することは出来ないだろう。そして彼女の人格を疑うことだって不可能だ。もし優雅さや優しさが物理的に存在するのなら、それは彼女の周囲をヴェールのように覆っていることだろう。
なるほど。そうやって他人を手玉に取ってきたのか。感心してしまうほど鮮やかな外面だ。その裏でニコルの思惑に手を貸しているのだからなおさらお見事である。
「ここで話をしたら、都合が悪いのかしら」
ぴん、と空気が張り詰めるのが手に取るように分かった。テレジアは一切態度を崩していないが、マドレーヌの気配が変わったのである。教会に入ってから不安定に揺らいでいた魔力が、今の言葉でピタリと安定した。いつでも魔術を放てるほど整ったかたちで。
そんなマドレーヌをたしなめるように、テレジアは首を横に振った。
「病には静かな休息が一番の薬です。ご理解ください」
テレジアの声は少しも変わらない。気分を害した様子もなければ、困惑した雰囲気もなかった。
しっとりとした沈黙が流れる。マドレーヌはじっとわたしを睨み、モニカは困ったようにきょろきょろしていた。
「では、場所を変えましょう」
痺れを切らした、というわけではないだろうけど、ヨハンがテレジアの提案に乗った。彼なりに思考をめぐらせて判断したのだろう。わたしとしても、この場所でこれ以上テレジアを刺激するのは得策ではないと思いはじめたところだった。どれだけ揺さぶっても、今の彼女は態度を崩さないに違いない。それはマドレーヌとモニカがいるからかもしれないし、元々の性格かもしれない。なんにせよ、シンクレールに手出しされかねない距離で無意味に挑発するのは危険だ。反応を見るだけなら一度危ない橋を渡るだけでいい。
マドレーヌが扉を開けると、テレジアが手で促した。悪意など欠片も感じさせない誘導。だからこそ奇妙でならない。
あえて一歩も動かずにテレジアを見据えていると、はじめて彼女の表情が変わった。柔らかで流麗な変化。テレジアは眉尻を下げ、器用な微笑をして見せた。困った人たち、とでも言いたげな顔。それでいて慈愛は消えていない。いや、より一層深まったような具合だった。まるで、やんちゃで頑固な子供に振り回される姉のような雰囲気なのだ。
これが演技なら、テレジアは稀代のペテン師だろう。騙せない人間はいないくらい完璧な仕草だ。
やがて彼女はぺこりと頭を下げて扉を出ていった。
「ほら、行こう!」
なぜか部屋に残っていたモニカが、ヨハンのコートをぐいぐいと引く。ヨハンは懐かれすぎではないだろうか。そして、モニカはどうしてこんな奴に惹かれているのだろう。子供って不思議だ。
廊下ではテレジアとマドレーヌが待っていた。彼女たちはこちらの姿を確認すると、ゆったりと歩を進める。そしてふたつ隣の部屋へ入っていった。
先ほどよりもやや広い、応接間と居間の中間みたいな場所である。地下にあったものよりずっとささやかではあったが、長テーブルに椅子が六脚ほど。質素だが洒落た幾何学模様の絨毯。壁に取り付けられた永久魔力灯は、さきほどの部屋よりも光量が豊かである。懺悔に来た信者がくつろぐのだろう、絵本やら学術書、あるいは小説らしきタイトルの本が棚に詰まっていた。
「どうぞ、おかけになってください」
決して威圧的な言葉ではなかったが、拒絶する気にさせないような口調だった。あまりに流暢な礼儀。そして着慣れた服のように自然な親切心。
正直、げんなりしていた。こんな奴が相手だなんて、嫌な予感しかしない。それに……。
改めてテレジアの魔力を視たが、やはり、欠片も溢れていない。まったく魔力のない人間と言われたって疑わないほどだ。
椅子に座り、必死で思考をめぐらした。テレジアは魔術師と聞いている。凱旋式で見たときも、一般的な魔術師よりも多くの魔力を観察出来た。それなのに今の彼女には、ほんの一滴の魔力さえ見られない。
魔力隠蔽。そう考えて、心臓が痛んだ。これだけ完全に隠し通せるということ自体が彼女の実力を表している。
「マドレーヌさん、モニカさん。ご苦労様。もう下がって結構です」
静かにこぼれたテレジアの言葉を耳にして、一瞬身体が震えた。恐怖のためではない。想像通りの展開だったからである。
マドレーヌはなにか言いたそうに唇をゆるめたが、やがて頷いてモニカの腕を引いた。首を大きく振って「や~だ~!」と叫ぶモニカを引きずって、マドレーヌは扉の先へ消えていく。
『教祖』の前でも変わらないモニカに、なぜか尊敬を感じてしまう。あれくらい真っ直ぐで自由な子なら、ヨハンの邪悪さなんて吹き飛ばしてしまうかもしれない。
「ふふ」
さえずりのような笑いが聴こえて、思わずテレジアへ視線を移す。彼女は口元に手をかざしてニコニコとしていた。
「モニカさんは、いつも意外なことをして皆さんを驚かせてくれます。純粋で、自然な子……。マドレーヌさんは責任感が強くて、飛び切り優しい方なのですよ」
漏れ出た笑いはモニカとマドレーヌに対してのもの……と見るのが自然なのだろう。だけどわたしには、計画通り物事が運んでついつい声を出してしまったように思えてならなかった。
テレジアは、信者に知られずにわたしたちを始末しようと考えている……はず。でなければこうも易々とキュラスに侵入させるわけがない。
「これで貴女がたも、気後れせずにお話し出来ますでしょう? それとも――」
テレジアが両の手を組み合わせた。そして、彼女の瞼が下りる。瞬間、妙なことが起こった。
音吸い絹。それがわたしたち三人を覆っていたのである。奇妙なのはその過程だった。彼女が手を組み合わせてから魔術が展開されるまで、前触れのようなものはなにひとつ感じなかった。まさしく、気が付いたら魔術に覆われていた、という状況である。そしてなによりも異様だったのは、今もテレジアの身に魔力を感じないことである。魔術が展開された一瞬でさえ、魔力は視えなかった。
今なにが起きているのか。呼吸が乱れる。汗が噴き出る。もしこれがなんのトリックもない、純粋な彼女の実力なのだとしたら……。
「そう警戒しないでください」
微笑むテレジアの顔には、一切の陰りがない。マドレーヌとモニカを追い出し、さらには音吸い絹まで展開したというのに、彼女の口調には微塵も乱れた調子がなかった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』にて
・『ロジェール』→キュラス付近の山岳地帯にひとりで住む青年。空を飛ぶことに憧れを抱き、気球を完成させた。テレジアの幼馴染であり、元々はキュラスの住民。詳しくは『298.「夢の浮力で」』にて
・『永久魔力灯』→魔力を施した灯り。光度や色調は籠められた魔力に依存する。魔道具。詳しくは『38.「隠し部屋と親爺」』参照
・『音吸い絹』→音を遮断する布状の魔術。密談に適している。詳しくは『216.「音吸い絹」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。




