33.「狂弾のアリス」
「なにやってやがる!!」
男の拳が白髪の少年に飛ぶのが見えた。矢を放ったのはどうやら彼であるらしい。
「てめえはいつだってそうじゃねえか! 剣を持たせても弓を持たせてもヘマばっかりしやがる!」
少年は黙ってグレゴリーを見つめているようだった。勿論、彼が誤って発射してしまったのなら非はあるだろうが、年端もいかない子供である。痩せ細って筋力もあまりなさそうだ。そんな彼に長時間弓弦を引いたまま待機させるのは酷だろう。誤射があっても責めることは本来できないはずだ。落ち度があるとすれば、少年に弓を引かせた男のほうにこそある。
少年はじっと黙ってグレゴリーを見つめているようだった。あまりに小声なので聞き取れないだけかもしれないが、口元に動きはなかった。
「またいつものだんまりか!? こっちを見るばっかりでなにも返事はしやがらねえ! なのに気味悪い視線だけは向けやがる!」
男の罵声はやまない。
「てめえ、俺がわざわざ拾ってやった恩を忘れたのかよ! ハルキゲニア行きの馬車で連れ去られるてめえを救い出して仲間に入れてやった恩をよお!」
馬車。連れ去られる。その情景が昨日の昼の光景とリンクする。ユートピア行きの馬車。
「その髪の色はハッタリかよ! 珍しい色だからよお、魔術のひとつでも使えるかと思ったがとんだハズレだ!」
酷い誤解だ。魔力は体表や髪の色に依存しない。持つ者は持つ、持たざる者は持たない。それだけのものだ。にもかかわらずグレゴリーは浅薄な考えから、彼には魔術が使えると考えたのだろう。確かに常人よりは魔力はあるように見えたが、おそらく魔術として出力するために必要な訓練や経験を積んではいないだろう。そんな彼に魔術を求めるのは無理解もはなはだしい。
グレゴリーが馬車を襲った理由は、おそらくひとつ。王都でも噂のように語られていたが、世には奴隷商人なるものがいる。馬車に収容されていた人々をそいつに引き渡して金を得ていたのだろう。そのなかで少年は物珍しい髪色というだけで自分のもとに囲い込んで、ゆくゆくは魔術師として組織の戦力にしようと考えていたに違いない。
許せないのは、自分の思惑を一切伏して恩義だけを強調するその言い分だった。
「てめえなんて消えちまえ! どこへでも行っちまえ!」
怒声を聞いて、少年は脱力したように項垂れた。
そうしてとぼとぼと最上階へ繋がる穴へと歩き、そして姿が消えた。
降りたのだろう。魔物が這い回る穴ぐらへと。
彼の傷心は容易に想像できた。どこにも居場所がなくなった彼にとって、魔物の潜む暗がりはどのように見えたのだろうか。わたしは知らず知らずのうちに拳を固く握っていた。
少年が消えてしばし経ってからのことである。崖の上の穴から、またひとり這い出てきた。
「あらあらあら、ボス。あんまりいぢめちゃ可哀想じゃない」
高飛車で、鼻にかかった声。胸の辺りまで伸びた栗色の長髪は外側にはねている。細身の長身にぴったりとした黒いレザーのズボン、にっくきことに赤黒チェックの丈の短いタイトなジャケットは豊満なバストのせいで弾けんばかりに張っていた。光沢の強い黒の鍔付き帽子は、天井部分が末広がりになっている。足元には黒のロングブーツ。腰には白のベルトが二本、交差するように締めてある。正面からは見えないが、身体の後ろになにか隠してあるに違いない。
そして、その女は平常時のハルよりも遥かに強い魔力を帯びていた。
そいつは悠々とグレゴリーに近付いた。
「アリス、あんたには関係ないだろ」
アリスと呼ばれた女はかぶりを振る。
「ノー、充分に関係がある。ボス、あんたは今、無駄に時間を消費しているわけ」
わたしは思わず身構えた。どのタイミングで魔術が来るか分からない。わたしの隣でヨハンがまたしても囁いた。「厄介なのが来ましたね。狂弾のアリス、そう呼ばれています。もっと南の地域で活動しているという噂でしたが、随分北上していたんですねぇ」
「狂弾のアリス?」
「そう、魔砲使いです」
魔砲使いについては、いくらか知識があった。本来魔術師は魔具を使用できないものである。魔具の魔力と当人の魔力が干渉し合って制御が効かなくなるのだ。それをクリアしたのが魔砲である。魔砲自体の形状は様々だが、機構としてはどれも似通っている。魔力の塊を入れるシリンダー、魔力を発射するトリガーと撃鉄、魔力の方向を定める筒。これらは製造過程で魔力が練り込まれているのだが、仕上げとして反魔力のコーティングがなされている。これだけなら単なる武器と性能として変わらないのだが、練り込まれた魔力と使用者の充填した魔力の塊が相互に干渉しながらも、反魔力のコーティングによって減退も増加もせず維持ができる。且つ、発射時には反魔力コーティングの影響で弓矢とは比較にならない速度の弾丸となる。魔術師が唯一使用できる魔具、それが魔砲だ。
王都にも魔砲使いは存在するが、魔砲自体が製造困難な代物として知られているので、数自体少ないはずである。にもかかわらず、あの女――アリスが本当に魔砲を所持しているのなら相当厄介だ。認知度の低い魔具はそれだけ対策にも限りがある。現にわたしは、魔砲の対処法についてはあまり心得がない。
「私は戦いませんからねぇ。これは契約通りです」
わたしは思わず舌打ちしてしまう。「それは構わないけど、なら、魔物が来たら討伐しなさい。盗賊団と一緒に戦うことは契約に入っているでしょう?」
ヨハンのため息が聞こえた。いくらでも落胆するといい。いずれにせよ、この状況を打破しない限り朝は来ないのだ。
アリスはグレゴリーに向かって朗々と言う。
「彼らがどういう算段で動いているか気付いてないの? 彼らは時間を稼いで魔物が登ってくるのを待っているだけなのよ」
読まれている。向こうに魔術師が加勢したとなると話は随分変わってくる。勝率はどのくらい? 逃げることは可能? 生き残れる人数は? どれだけ頭を働かせても良い考えは浮かんでこなかった。
「そうか、奴らの目的が時間稼ぎなら、さっさと弓を撃っちまえばいいのか。ミイナが死んでも、『親爺』は時間をかけて探せばいい」
「いいえ、あたしにもっと良い考えがある」
言って、アリスは身体の後ろ、丁度ベルトの裏側の辺りに手を伸ばした。
「ジン! 撃って!」
「ジン!」
わたしとミイナが叫んだのはほぼ同時だった。
ジンの弓から放たれた矢を、アリスは悠々とかわす。そして手には魔砲――小型の銃なので部類としては魔銃――が握られていた。彼女は天高く銃口を向けた。
破裂音がして、空の高みへと一直線の魔力の弾丸が上がっていった。
わたしたちは次になにが起こるのかをじっと待っていた。誰もがアリスから目を離せなかった。その銃口から一瞬でも目を離せば、撃ち抜かれるのは自分に違いないと思ったからだ。
――やがて空から、無数の魔力が雨の如く降って来た。




