320.「ドクロの泥棒」
モニカの言葉は異様に真っ直ぐで、疑いなど少しも挟む余地がなかった。骸骨顔の泥棒を素敵だなんてどうかしてる。
けど、彼女の気持ちは分からないでもなかった。わたしだって幼い頃は孤児院の絵本で、なぜだか悪党に惹かれたことがある。背伸びした感じで、どこまでも大人な雰囲気が好きだったのだ。今となっては首を傾げてしまうばかりだけど。
ヨハンはというと、なぜかちらちらとこちらに視線を送っている。その顔には引きつった苦笑いが浮かんでいた。彼がこんなに困惑するなんて、かなり意外である。
「モニカ」とマドレーヌはたしなめるように言う。「アナタは『救世隊』なのよ。盗賊を素敵だなんて、冗談じゃないわ」
するとモニカは口を尖らせて言葉を返した。「マドレーヌだって、盗賊の男の子にぞっこんじゃない」
「ああ言えばこう言う……まったくアナタって子は」
敵をこんなふうに見るのは妙だけど、なんだか二人は年の離れた兄妹(姉妹?)みたいに見えた。喧嘩が絶えないのだけれど、絶対に縁を切ったりしないような、そんな関係。ちょっとだけ羨ましい。
「ねぇ、ドクロの泥棒さん。旅のお話をしてよ! とびっきりハラハラするやつがいい!」
ヨハンはわたしへと視線を逸らし、弱々しく口を開いた。「ですって、お嬢さん」
なにが『ですって』だ。モニカはヨハンに話しかけてるだろうに。なにが起因しているのか分からないけど、彼の狼狽ぶりを見て少しばかり愉快な気分になった。まあ、これ以上くだらない問答を続ける気はないけれど。
名残惜しさはあったが、すっぱりと先に進むべく口を開いた。
「……話を戻しましょう。確かにわたしたちは盗賊だけど、ここでは盗みを働くつもりなんてないわ。目的はひとつよ」じっとマドレーヌを見つめると、彼女の瞳に暗い輝きが籠るのが分かった。次に紡がれる言葉を予感して、敵意が漏れているのだろう。だからといって口を閉ざすつもりはない。「――シンクレールを返して頂戴」
「……返さないって言ったらどうするのよ?」
「そのときは――無理にでも連れ出すわ」
わたしとマドレーヌを交互に眺め、モニカは口元を両手で覆った。その目はきらきらと輝いている。……彼女を気にしていても仕方がない。先ほど自白した通り、モニカはハラハラドキドキの展開が好きでたまらないのだろう、きっと。信仰の街、というだけでその退屈さは想像に難くない。刺激に餓えた少女には垂涎の光景なのかも。
「無理に連れ出す?」
マドレーヌは地の底から響くような声で言う。敵意どころか憎悪すら感じたが、なぜか魔力は安定している。教義についてちょっぴり触れたときは分かりやすく変化があったのに、どういうことだろう。
「そうよ。あなたたちが拒否しようとも、絶対に連れて帰るわ」
それだけじゃないけどね。わたしたちの真の目的について、ここで口になんて出来ない。テレジアを討伐するだなんて宣言したらどうなってしまうやら……。興味はあったが、今この場での面倒はごめんだ。
「そうはいかないわよ、メス猫」
だから、メス猫って呼ぶのはやめてほしい。なんともドロドロした響きで、とてもじゃないが受け入れられない。
マドレーヌはローブをごそごそと探ると、やがて拳をわたしへ向けた。その指先から、黒々とした物体と溢れた魔力が窺える。
「これ、返してほしいんじゃなくって?」
言葉とともに開かれた手のひらには、ヨハンがシンクレールに渡した漆黒の小箱が乗っていた。いざというときに交信が出来るよう渡した魔道具。ヨハンを一瞥すると、彼と目が合った。言葉を交わすよりもはっきりと、その意思が伝わってくる。魔術ではなく、雰囲気として。
「タダで返すつもりなんてないんでしょ? シンクレールを諦めることと引き換えだって言うなら、お断りだわ」
いかに便利で強力な魔道具であろうとも、人の命とは釣り合わない。そんな安っぽい交渉なんてまるきり相手にならなかった。
「いらないなら私がもらうもん」
声とともに、モニカの手が素早くそれを奪い取った。
「「あ」」と、わたしとマドレーヌの声が重なる。どうやら彼女も予測していなかったようだ。
「返しなさい! モニカ!」
「やだもん!」
モニカは勢いよく椅子から離れると、魔具を掴んでテーブルをぐるりと回り――ヨハンの背後へ回った。
「ヨハン!」
思わず叫ぶのと、ヨハンが身をよじってモニカを見下ろすのはほとんど同時だった。今サーベルがあったなら、きっと抜いていただろう。
攻撃されるかと警戒したが、いつまで経ってもそれは訪れなかった。モニカはヨハンの服を掴み、彼を盾にするかのようにマドレーヌと対峙している。
「これはこれは……」
ヨハンの口調には、やはり覇気がない。表情も引きつったまま凍っている。子供が苦手、というわけではないはずだけど。なにせ、今までノックスと上手くコミュニケーションを取ってきたんだから。腹立たしいくらいに。
「モニカ……馬鹿な真似はおよし」
マドレーヌは怒りを抑えた口調で言う。モニカに下手な行動をさせないためか、それともわたしたちが手段を選ばない盗賊だと思っているからなのか……。いずれにせよ、警戒は頂点に達している様子である。それなのに、なぜか魔力は落ち着いたままだ。
「馬鹿なことなんてしてないもん。私、ドクロの泥棒さんに助けてもらうだけだもん」
その言葉の直後、ぶるりとヨハンの全身が震えた。彼の腰に、モニカがぎゅっとしがみついているのだ。ヨハンはいよいよ懇願するような表情でわたしを見つめる。そんな顔をされても、こっちが困るだけだ。
「モニカ!」とマドレーヌが叫ぶ。
「お嬢さん……!」とヨハンがいかにも追い詰められた声を上げる。
二人の声が、繰り返し広間に響く。
「モニカ!」
「お嬢さんっ!」
「モニカ!!」
「お、お嬢さん!!」
段々と声量が上がり、ボルテージが高まっていく。さながら、不協和音のように。
「モニカ!!!」
「お嬢さん!!!」
「モニカっ!!」
「お嬢さん!!?」
「モニカァ!!!!」
「お嬢さぁん!!!!」
「うるさぁい!!!!!」
自分の声が鼓膜をびりびりと震わす。我ながらびっくりしてしまうほどの大声が出てしまった。
しん、と静寂が辺りを包む。マドレーヌはばつの悪そうに顔を逸らし、モニカはヨハンの後ろで小さくなっていた。ヨハンはと言うと、疲れきったような、絶望しきったような青白い表情でじっとしている。
静かになったのはいいけれど、空気は張り詰めていた。その原因がわたしにあるのだからなんとも居心地が悪い。
「とりあえず落ち着きましょう。怒鳴り合ったってなんにもならないわ。ほら座って、ね?」
マドレーヌはどこかぎこちなく座り「一番の大声で怒鳴ったのはアンタだけどね」と小さく呟いた。
「うん」と同調してモニカはマドレーヌの隣に戻る。
ヨハンはぐったりと椅子に身を沈め、ぼそりと言い放った。「確かに」
そんなところで同調しないでほしい。事実かもしれないけど、さすがに弁解したくもなる。
「だ、だってあなたたちが騒ぐから……」
じいっとこちらを見つめる三人の視線に気圧されて、言葉が尻すぼみになってしまった。まったく、こんな妙な団結力を発揮されるとは……。
「……で、小箱のことだったわね」
話を戻すと、マドレーヌは苦々しく「ええ」と返した。
「そんな道具より、シンクレールのほうが大事よ。だから、悪いけど交渉にはならない」
マドレーヌは瞼を閉じ、深呼吸をひとつした。そして視線をこちらに戻す。彼女の瞳はそれまで同様の険しさが宿っていた。
「なら、実力でなんとかしてみなさいよ」
そこまでシンクレールに執着しているのか。ただの盗賊の仲間相手に、あまりにも過剰だ。恋は盲目と言うが、これほどのものなのだろうか。
しかし――。
マドレーヌの魔力は、依然としてさざ波ひとつ立っていなかった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『救世隊』→キュラスの宗教団体の幹部のこと。
・『漆黒の小箱』→ヨハンの所有物。交信用の魔道具。初出『69.「漆黒の小箱と手紙」』
・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』にて




