315.「黒と夕景 ~まどろみの先で~」
『救世隊』――つまり、敵方の幹部から晩餐の誘いだなんて。罠としか思えない。
「……で、あなたはなんて答えたの?」
「一旦考えるとだけ答えておきましたよ。お嬢さん次第でしょうからねぇ」
返事を保留してくれたのはありがたい。勝手に物事を決められても困る。しかしながら、そう易々と判断を下せる類のことではなかった。
「……行かなかったらシンクレールはどうなるの?」
ヨハンのことだ。その場合のことくらい聞いているだろう。
すると彼は、苦々しい表情で呟いた。
「その場合は……自分のものにすると言っていました。それがなにを指しているのかまでは分かりませんが、シンクレールさんの無事を保証するわけではないでしょうなぁ」
自分のものにする、か。不愉快な言葉だ。
罠に決まってるし、きっと戦闘は免れない。けど――。
「行くわ……あなたがついてこないなら、たったひとりでも」
きっとヨハンは猛反対するだろうし、軽率だと罵るだろう。だとしても黙って様子を見るなんて出来ない。
直後、ヨハンは気の抜けた笑顔を浮かべた。
「そうくると思いましたよ。では、同行しましょう。お嬢さんひとりだと危なっかしくて仕方ないですからねぇ。それに、お嬢さんまで捕らわれたら面倒です」
やっぱりお見通しか。
「悪かったわね、無謀で」
「なに、今にはじまったことではないですから」
確かに前から無茶なことばかりしてるけど。今の彼にそう言われると裏を感じて仕方がない。しかしながら、彼も一緒に来てくれるというだけで心強いのは確かだ。
「それにしても、晩餐までかなり時間があるんじゃないの?」
今はまだ昼前だ。どうせ呼びつけるなら昼食でも良さそうなものだが。
「『救世隊』は夜型らしいですよ。昼間眠って、夜に活動するんだとか」
夜間防衛は彼らが――そしてテレジアが――担っているというわけだろう。それなら昼夜逆転生活も頷ける。夜に最大限の力を発揮出来るような生活リズムを作らなければ、魔物と毎晩戦うなんてやっていけない。
「それまでわたしたちはどうする? どうせ『救世隊』とぶつかるのなら、いっそ街に入ったほうがいいかしら」
シンクレールをダシに使ったんだ。こちらが誘いに乗ることくらい確信しているだろう。なにせ、わたしたちは彼のためにキュラスへと乗り込んだのだから。
それはつまり、晩餐までの間は手を出してこないというふうにも捉えられる。ここまでわたしたちが無事に歩みを進めることが出来たことを鑑みても、街で自由に動ける可能性は充分にあるだろう。もし連中が対話のためにこちらを泳がせていたのなら、だけど。
「それも手ではあるでしょうけど……お嬢さん、眠くはないんですか?」
「一日や二日眠らなくても大丈夫よ」
正直に言うと眠いけど、そんなことにかまっていられない。少しでも情報を集めて有利に立ち回れるようにしなければならないのだ。施設や教会に関して詳しい情報を持っていないのは不安である。
「お嬢さんは元気ですなぁ」と、ヨハンは大あくびをした。「私は少し寝ます」
「どこで」
「ここで、です。別に襲われたりはしないでしょうよ。そのつもりなら晩餐の話も出しませんし、そもそも橋を渡ってる途中で攻撃してくるでしょうから」
それはそうだけど、彼も人のことをいえないくらい呑気だ。
ヨハンはごろんと仰向けになると、両手を頭の後ろで枕にして目を閉じた。
「ちょっと、本当に寝ないでよ」
「どうせ無茶をするんです。多少大胆になったところで結果は変わりませんよ」
「そうじゃないわ。あなたをひとりにして街に行けるわけないじゃない」
ヨハンがニヤニヤと口を歪めて目を開ける。「私を心配してくれているんですぅ?」
断じて違う。
「勘違いしないで。あなたをひとりにすると、なにを仕出かすか分からないからよ。何度も言ってるけど、あなたを信用してないから」
少しでも隙を見せたらそこにつけこんで、とんでもない罠を張る。それも、とてつもなく残酷で巧妙な罠を。もうあんな目に遭うのはごめんだ。
「なら、ここにいることですな。見張り役がいたほうが安心して寝れます」
彼は気分良さそうに返すと、瞼を閉じた。規則的な呼吸が風の音に混じる。
わたしはどうすればいいというのだろう。ヨハンを無視して街にも行けないし、この調子だと叩き起こしても無駄だろう。だからといって彼の見張りをするのは癪だ。そしてなにより――。
「ずるい」
わたしだって眠い。草原を渡る風を頬に感じていると、どんどん眠気が高まっていく。
「なら、お嬢さんも寝るといいです。お疲れでしょうし。なんなら、交代で見張りをしますか?」
「馬鹿にしないで」
「そうですか。では、おやすみなさい」
本当にこの男はどこまで卑怯なのだろう。寝てる間に、その不健康な顔に土を塗りたくってやろうか。
もやもやと思い悩んでいるうちに、ヨハンの呼吸はすっかり寝息へと変わった。いつでもどこでも眠れると言ってたっけ、こいつは。入眠の早さも尋常ではない。
こうなったら考えても無駄だ。彼を置いて街へ行く気にもならない。
なだらかな下り坂の先――わたしたちが渡ってきた橋をぼんやりと見つめた。手入れの行き届いた頑丈な橋。けれども大型の馬車はさすがに通行出来ない。ここで暮らすということは、ほとんど外界との交流を絶った生き方になるのだろう。それゆえ、狭い価値観が絶対的な強さを持ってしまう。良くも悪くも、一度認められたものはその強度を増していくに違いない。それこそ、テレジアの宗教のように。
ロジェールのことをふと思い出し、ため息が漏れた。彼はテレジアと幼馴染だと言っていたっけ。彼女を遠く感じるようになったからキュラスを出た、とも。
幼馴染か。なんだか因果な話だ。ニコルは今頃わたしの死を知って、どんな思いを抱いているだろう。
きっと――なんとも思っていないはずだ。だって、彼は……。
膝の間に顔をうずめ、何度か首を横に振った。泣くな、泣いたら全部終わりだ。
わたしを殺すようヨハンに命じたのは魔王だとしても、ニコルはそれを放っておいたのである。つまり彼は、わたしの命になんら価値を認めていないのだろう。生きていようとも死んでいようとも、自分の行動を脅かす存在ではないと。
悔しい。
ニコルにとっての脅威になれていない自分も、彼を信じて進んできた自分も、全部全部悔しい。
だからこそ、全力で進まなければ。邪悪な計画を討ち滅ぼし、魔王を討伐し、そしてニコルを――。
ぐずぐず悩んだって仕方ないのに、こうも空白の時間が生まれるとどうしても色々考えてしまう。
目をつむると、瞼の裏で光がちかちかと踊った。草の香りと風の息吹。途方もない大自然のただなかで、なんだか途轍もなく孤独だ。ニコルとのことは、わたしひとりで抱え込まなければならないんだろう。あまりにも個人的で、そして大それた関係性。馬鹿馬鹿しくなるくらいくよくよ悩んで、何度も泣いて、怒りに身を震わせて、そして進まなければならない。
きっと、そうだ。
目を開けると、薄汚れた黒が見えた。厚い布……ちょうど、コートに似ている。
ふと、自分が横になって眠ってしまったことに気が付いた。頭がぼんやりと、そして重たい。身を起こすと、するり、と身体から黒い布が滑り落ちる。ああ、やっぱりコートだ。
「おはようございます、お嬢さん。良い夕暮れですよ」
シャツ一枚で座り込んだヨハンが遠くを指さして笑った。いつから眠ってしまったんだ、とか、このコートは、とか、シャツ一枚で寒くないの、とか。色々と言うべきことはあったはず。けれどすべて、吹き飛ばされてしまった。
彼の指さした先――真っ赤に熟れて沈む夕陽が、草原と谷、そして遥か遠い山並みまでも壮絶な橙色に染め上げていた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』にて
・『ロジェール』→キュラス付近の山岳地帯にひとりで住む青年。空を飛ぶことに憧れを抱き、気球を完成させた。テレジアの幼馴染であり、元々はキュラスの住民。詳しくは『298.「夢の浮力で」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。




