313.「あまりに素直で不器用な長話」
手を振りながら歩いてくる大男。何者かは分からないが、警戒すべきなのは確かだ。ヨハンへ視線を移すと、ちょうど目が合った。
「旅人、ですか」と小声で囁く彼の眉間に皺が寄る。「ともかく、出方を窺いましょう」
「ええ」
大男がこちらをどう捉えているにせよ、おおもとにはテレジアがいるはずだ。逃げるよりも対峙すべきだろう。もし相手が攻撃してくるなら応戦するまでだ。
大男が歩くたび、どすどすと重たげな音が鳴った。二メートルを優に超える体躯に似合わず、顔付きは柔らかい。今のところ敵意は見えないが、どうなるか……。
「どうも、旅人さん。キュラスへようこそ!」大男はわたしたちの前までくると、妙に人懐っこい笑顔を見せた。そして手を差し出す。
握手しても大丈夫だろうか。うっかり手を取って握り潰されたりしたら――。
そんな警戒をよそに、ヨハンは大男と握手を交わして巧妙な作り笑いをしてみせた。
さすがに杞憂だったか。テレジアが唐突に仕掛けてくるような相手だったら、ここまでの間にいくらでもチャンスはあったのだから。
ヨハンに倣って握手をすると、大男が不器用な力加減で握ったのが分かった。ちょっぴり痛いけど、敵意は感じない。握手に慣れていないのか、元々不器用なのか、どちらかだろう。
「お出迎えありがとう。ところで、どうしてわたしたちが来るって分かったのかしら」
何気ない素振りで聞くと、大男は「あ!」と大声を上げた。びりびりと耳に響くほどの声量である。状況が状況なので仕方なかったが、こちらは睡眠不足だ。ぼんやりした頭にどっしりと拳骨を食らわせられたような具合である。
「どうしたんです?」とヨハンも苦笑いでたずねる。
すると大男はなにか思い出したように、わたしとヨハンの手を取って歩き出した。
「忘れてた! 旅人さんを連れていかなきゃならねぇんだった」
連れていく、という響きに思わずぴくりと反応してしまった。
「どこへ連れていくのか教えて頂戴。誰に頼まれたのかも」
察しはついているが、聞かずにはいられない。大男は手を引いてずんずんと歩いていく。
「旅人さんのお仲間を休ませてるんだ。早く会って安心したいだろ?」
「仲間?」とヨハン。
「ああ、そうさ。細い身体で、眼鏡をかけた兄さんだよ」
思わずヨハンと顔を見合わせる。シンクレールのことに違いない。すると彼はやはり、テレジアに攫われていたということか。それにしても、安心させるために連れていくという論法と、この強引な態度が合致しない。
大男の手を振りほどき、距離を取った。ヨハンも同様に手を外して――どうして彼の力で大男の手から逃れられたのか分からないが――後退した。
この男がテレジアに命じられて動いているのは推測出来たが、こうも稚拙なやり方で攫おうとするのが腑に落ちない。なんにせよ、彼の導くままに進むのは危険だ。
手を振りほどかれた男はこちらを振り返り、目を大きく見開いた。そして息を吸い込み――。
なにか来る、と思って身がまえたが、目の前に展開されたのはあまりに意外な光景だった。
大男は両手で顔を覆い、小さくしゃがみ込んで「ああ! やっちまった! 俺はなんでこうも早とちりしちまうんだろう。……ごめんよ、ごめんよ。強引なことして悪かったよ……」と嗚咽交じりの声を上げる。
いったいこれはなんの真似なのか……。訝しく思ったが、大男はどうやら演技ではなく本気で泣いている様子である。豪快に鼻を啜る音と大音量の嗚咽が響く。
説明もなしに手を引いて連れていこうとしたのを悔いているのだろうか。こんなふうに同情を買うメリットは見当たらないし、この男自体が策士には見えない。
「ハルツは駄目な奴、ハルツは駄目な奴……」
ハルツ、というのは男の名前だろう。そんなふうに自虐されるとさすがに心が痛い。
「突然でびっくりしただけなの。あなたにも悪気はなかったんでしょ? ならいいじゃない」
そう呼びかけても、男はぶんぶんと首を横に振った。
「清く正しく優しい人にならなきゃいけねえのに、俺は駄目だぁ」
「ハルツさん。そんなふうに泣かれるとまるでこちらが悪者みたいじゃないですか。なに、大丈夫ですよ。あなたを責めるような人はどこにもいません」
どの口がそんなことを言うんだ……。まったく、ヨハンが人を励ます言葉を聞くと、どうしてもため息が出そうになる。したたかな計算と長年の虚言に支えられた職人芸。そんな印象しかない。わたしは悪者のつもりなんてないけど、ヨハンは間違いなく悪党である。
「ごめんよお」とハルツは目をごしごしと擦る。容姿に似合わず打たれ弱い性格なのだろう。
「泣きやんだら、ちゃんと説明してくれる?」
聞くと、ハルツは素直に頷いて鼻を啜った。なにもかも豪快な音である。頭にびりびりと響いてくるのだからたまらない。
さすがにこの男相手に警戒する必要はないだろう。それよりも、誰かが通りがかったら面倒なことになる。ただでさえ危うい立場だ。目立つような真似は避けたい。隣で苦笑するヨハンにつられて、こちらもついつい困り笑いを浮かべてしまった。
「旅人さんは優しいなあ……! こんな俺の心配をしてくれるなんて」
「どうかお気にせず……そろそろ落ち着きましたか?」
ヨハンがハルツの肩に手をかける。すると彼は「ごめんよう。もう乱暴しねえからよぉ」と涙声で言った。
なんだろう。激情的な人なのだろうか。それともやっぱり、教義のせいなのか……。信仰心からかテレジアの洗脳からかは分からないが、ハルツは随分と暴力を意識しているようである。それも、過剰なまでに。
清く正しく優しい人に、か。
さきほどのハルツの言葉を振り返って、思わずため息をつきたくなった。確かにその理想は素晴らしい。けれどテレジア本人はどうなんだ。ニコルとともに王都を裏切っているのではないのか。
もし彼女が魔王と繋がりを持っていなければ、どんなにいいだろう。たとえばテレジアが、魔王の城の手前で足を止めたのならどうだろう。魔王を討伐したというニコルの嘘を信じ込んで凱旋したのなら――。
……そんな甘い思い込みは捨てなきゃ駄目だ。足を掬われる。
「どうしたんです?」
骸骨じみた顔が大写しになったので咄嗟に身を引いてしまった。まったく、鋭い奴。
「ううん、なんでもない」
「ならいいですが……さあ、ハルツさん。少しは元気になりましたか?」
ハルツは鼻をひと啜りして大きく頷いた。
「ああ、もう大丈夫だ。優しいなあ、旅人さん。きっと神の国に行けるよ」
「神の国ですか。勿体ないお言葉ですが、ありがたく受け取りましょう」
ヨハンのペテン師然とした台詞には、呆れ笑いも出てこない。神の国が本当にあるとするのなら、彼はそこからもっとも遠いひとりだ。
「落ち着いたんなら事情を説明してくれないかしら? ゆっくりでいいから」
なるべく優しく話しかけると、ハルツはまるで子供のように素直な視線を返して頷いた。
「上手く喋れないかもしれねえけど、それでもいいかなぁ?」
「平気よ。あなたのペースでいいから話して頂戴」
それからハルツはぽつぽつと、いかにも不器用に語り始めた。
「――それでよう、俺はキュラスに来たんだ」
「え、ええ。そうだったの……へえ……」
もう一時間も経ったろうか。相槌を打つのも疲れる。
ハルツはなにを勘違いしたのか、自分の身の上話をはじめたのだ。生まれ故郷の小さな村では体格のせいか仲間外れにされて一人旅をする羽目になっただとか、山で木の実を食べて暮らしたりしただとか……。
話はようやく『教祖』に拾われてキュラスで暮らすようになったところまでたどり着いたのである。
それとなく軌道修正しようとしたのだが、すぐ話が元に戻ってしまう。こちらがリードしようと口を挟んでも無駄だった。
「『教祖』様は優しい人でなあ」
ちらりとヨハンを見ると、彼は無表情に景色の一点を眺めている。視線は少しも動かないし、さっきから相槌も消えていた。
「俺みたいな奴を相手にしてくれるのなんて、あの人くらいだあ」
いつだったかヨハンは、目を開けたまま眠れるなんて馬鹿げたことを言ってなかったっけ……。卑怯者め。わたしだって思う存分眠りたい。
「……昨日の晩だってそうだ。倒れてた男をキュラスまで運んだってさ……」
ああ、眠い。
ん?
「運んだって、誰を?」
「ああ!」とハルツは手を叩いて、目を丸くした。「そう、その男が旅人さんの仲間なんだよ! 『教祖』様が言ってたから間違いねえさ! だから、早く会って安心してくれ」
「ええと……」要領を得ない長話のせいか、頭がぼんやりしている。「整理させて。昨日の晩に、『教祖』様がその男をキュラスに運んだの?」
「そうだあ」
「で、その男は倒れてた……。どこに?」
「山の中に倒れてたって、偉い人が言ってたぞ」
「偉い人って?」
ハルツは記憶を探るように宙を見つめて唸った。「あー、と。えー、と。なんだっけなあ。きゅう、きゅう、きゅうせい、救世なんとかだっけか」
『救世隊』も出てこないのか。あなたのお仲間でしょ? と説教したくなったがなんとかこらえた。
それにしても、聞く限り随分と物騒な状況である。
山中に倒れていたシンクレールを、テレジアがキュラスまで運び入れた。肝心の倒れている姿を目撃したのは『救世隊』だけで、一般の信者は目にしていない。
なるほど。疑うべき材料は揃っている。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。現在はナンバー4。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




