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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第二章 第二話「山岳地帯と空中散歩」
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306.「拡大鏡」

 そびえる岩山。到底(とうてい)街とは思えないが、どうやらここがキュラスと見て間違いないだろう。目標を前にすると、ぐっと心が引きしまる。


 ここに勇者一行のひとり、『教祖』テレジアがいる――かもしれない。しかし、教団に戻っている可能性は大きいはず。ニコルがなにを目論(もくろ)んでいるのかはっきりしないが、王都を(おびや)かすのなら教団の勢力を無視するとは思えない。彼ら全員がテレジアへの忠誠心を(いだ)いているなら、充分に利用出来るだろう。


「さて……どうやって潜入するか、ですね」


 ヨハンは地形図に目を落として呟く。


 横から覗き込むと、やはり出入り出来そうな箇所(かしょ)(しる)されていなかった。谷によって丸く囲われた土地であり、規模はイフェイオンよりもいくらか広い程度ということしか分からない。


「確か、街道は右手の方角よね。そっちなら橋くらいあると思うけど……」


 目を凝らしても、厚くかかった夕靄(ゆうもや)ではっきりとはしない。


「気は進みませんが、見やすく(・・・・)しましょうか」


 言うや(いな)や、ヨハンは前方に手をかざした。すると空中に魔力が凝縮(ぎょうしゅく)され、景色が(ゆが)む。――いや、一部分だけ見え方が違っているのだ。風景の縮尺(しゅくしゃく)がピンポイントでおかしくなっている。


拡大鏡(コグニシオン)ね」


「ご名答」


 隠密(おんみつ)魔術のひとつ、拡大鏡(コグニシオン)。空間の一面を歪めて拡大させる魔術である。虫眼鏡や望遠鏡に地位を(ゆず)ったといわれていたが、まだ継承(けいしょう)されていたのか。


「消滅した魔術だと思ってたけど、地方では使われてるんだな」


 シンクレールがぼそりと呟く。


 技術は簡単には行き渡らないし、したがって簡単に消えたりもしない。王都とそれ以外の地域では随分(ずいぶん)格差(かくさ)があるのだ。ずっと(みやこ)で暮らしていたら決して気付けなかった事実である。


「それにしても、拡大鏡(コグニシオン)はもっと小規模な魔術じゃないの?」


 ヨハンの拡大鏡(コグニシオン)は随分と大袈裟(おおげさ)に見える。人の顔くらいの円形の空間が丸ごと拡大されていた。普通はもっとささやかなはず。王都の書物では、親指と人さし指で円を作り、そこにだけ拡大鏡(コグニシオン)(ほどこ)している魔術師のイラストが載っていたっけ。


「もっと小さくも出来ますが、私ひとりでは気付かないことだって多いはずです。だからこうして、シェア出来る大きさで作ったというわけでさぁ」


 なるほど。確かにこのサイズなら三人で共有出来る。それに、ヨハンの指で(ふち)どられた空間を(のぞ)き込むのはちょっと抵抗があるし……。


「それでは、動かしてみましょう」


 ヨハンの腕の動きに合わせて、拡大鏡(コグニシオン)がゆっくりと移動する。谷と谷とを繋ぐ通路のようなものは見当たらない。


「底までは見えないのね」


「随分と拡大しているんですが、それだけ深いということでしょう。これ以上拡大率を上げても暗闇と霧でなにも見えませんし」


 それもそうだ。ともあれ、ロジェールを救出した谷とは段違いに深い。ここを落下していったら、と考えるとぞっとした。拡大鏡(コグニシオン)一旦(いったん)街道の反対側――わたしたちから向かって左側を大写(おおうつ)しにしていく。街道からキュラスが繋がっているのは当然だろうから、まずはそれ以外のルートを、というわけだ。しかしながら、それらしい道は見えない。


「確認出来る範囲に道はなさそうですね。それこそ、もう一日かけて反対側も見るか、あるいは谷底を降りるか……」


「念のため街道のほうも見せて頂戴(ちょうだい)


「はいはい」


 拡大鏡(コグニシオン)がゆっくりと移動する。崖の様子がぼんやりと確認出来るのだが、かなり切り立っていた。


 と、不意に違和感のある物が映り込み、シンクレールが短い悲鳴を上げた。


「大丈夫よ、拡大されてるだけだから。……分かってると思うけど」


 高山蜂(こうざんばち)の巣だった。その周囲を飛び回る蜂まで見える。


 シンクレールは、深呼吸を繰り返し、自分自身に言い聞かせるように呟いた。「うん、大丈夫。羽音もないし、危険もない。ちょっとびっくりしただけさ」


「本当に苦手なんですねぇ」とヨハンが愉快(ゆかい)そうに言う。まったく、性格の悪い男だ。


「苦手のひとつくらいあったっていいだろ。お前だってあるだろ、苦手くらい」


 ヨハンは苦笑を浮かべただけで返事はしなかった。


 思えば、彼が恐がったり逃げたりした場面はほとんど見たことがない。()いていえば、はじめて魔女に会ったときくらいか。けれどあれも、ニコルとの契約が明るみに出ることを危惧(きぐ)しての態度だったはず。現に再会したときは気楽そうに過ごしていたから。


 彼が恐れるとしたら、やはり、契約がご破算(はさん)になるような出来事だろうか。


 そんなことを考えつつ拡大鏡(コグニシオン)を覗き込んでいると、不意に橋が映り込んだ。


「やはり、街道からの道は続いているようですね。見る限り頑丈(がんじょう)そうですが、大型の馬車は通れないでしょうなぁ」


 谷間に渡された何本もの太い(つな)と、分厚い板。手作りの橋にしてはかなりしっかりしている。細部までは分からなかったが、さすがに手入れくらいはされているだろう。この橋が唯一(ゆいいつ)の道ならなおさらだ。


 拡大鏡(コグニシオン)を何往復かさせたのだが、結局見つかったのは街道からの橋だけだった。


「ロジェールさんがいれば気球でキュラスに入れるかもしれませんけどね」とヨハンはニヤニヤと言う。


「確実に()ち落とされるでしょうね。橋で入るよりももっと目立つし……。それに、この標高(ひょうこう)だとどの方角に風が吹くかも分からないわ。どこかにぶつかって、谷底まで一直線かもね」


「冗談ですよ」


「分かってるわ」


 こんな軽口を言ってしまうくらい、アイデアがないのだ。正面からキュラスに入ってなんとかなるだろうか。いや、リスクが大きすぎる。そもそも街の構造や教団のシステムもよく理解出来ていないのだ。


「まいったな……僕の魔術で道を作ることなんて出来ないし……」シンクレールは腕組みをしてああでもないこうでもないと(うな)っている。「天の階段(ステラ・ステップ)ならなんとかなるか? いや、この風で三人を無事にたどり着かせることなんて出来ないか。それに、天の階段(ステラ・ステップ)自体が使えないし……光の翼(ルス・アーラ)ならなんとかなりそうだけど……」


 シンクレールがじっとりとヨハンを(にら)む。


「残念ながら、そんな高度な魔術は使えません」


 光の翼(ルス・アーラ)か。一流の魔術師でも習得するのに何年もかかると言われている。そして、結局身につけても上手く使いこなした者はいないらしい。


 谷沿()いに反対側まで進んで拡大鏡(コグニシオン)で確認することも出来たが、望み(うす)だろう。街道の向かいともなれば、そもそも村も街も存在しない土地だ。魔王の城に近くなるので、魔物の脅威(きょうい)も加速度的に増すと言われている。そんな方面にルートを作っておくメリットがない。


「正面突破しかないかしら」


「ですねぇ」とヨハンは気乗りしないように続けた。「ひとつアイデアがあるのですが、聞いていただけますか?」


「言ってみて」


 (うなが)すと、ヨハンは拡大鏡(コグニシオン)を橋に向けた。


端的(たんてき)に言うと、一旦(いったん)別行動を取ってはどうかと。……詳しく説明すると、こうです。先に誰かがキュラスに入り、街の構造や『教祖』の居所(いどころ)、そして教団の仕組みなんかについて調査します。信徒希望、ということにすれば問題ないでしょう。開かれた宗教という()れ込みですから」


「なるほどね。先に調べを()くして、その上でテレジア討伐のプランを()るってことかしら?」


 ヨハンは(うなず)きを返し、それからばつの悪そうな表情を浮かべた。


「ただ、問題があります。その調査を私がするわけにはいかない、という点です」


「なんでだ」とシンクレールがすかさず追及(ついきゅう)する。


「私はテレジアに顔が割れていますし、気配を隠しているとはいえ『黒の血族(けつぞく)』の血を引いています。きっと『教祖』には気付かれてしまうでしょうな」


 それはそうだと思うが、ヨハンなら別のアプローチが出来るだろう。


「なら、開き直ってニコルの味方みたいな立場で取り入ればいいんじゃないの?」


「……気が進みませんな。たぶん、失敗するでしょう。(かん)のいい人なんですよ、彼女は。特に悪意や裏切りには敏感(びんかん)だ」


 なら、このプランは使えないというわけか。


「そもそもこいつに単独行動を取らせることに反対だ」とシンクレールが強い口調で言った。


 そう、実はわたしも同じ懸念(けねん)(いだ)いてはいる。ヨハンひとりに行動させることのリスクがどれほど大きいか……(はか)り知れないのだ。契約の範疇(はんちゅう)なら、きっとどんなことでもやってのけるだろう。それこそ、恐ろしく邪道なことまで。


 彼との契約には、最終目的だけが設定されている。つまり、裏切ることによってヨハンが(こうむ)る害はないのだ。最後に魔王を()ち取ればそれでいいのだから……。


「なら、お嬢さんが単独でキュラスに入るかシンクレールさんが入るか、です」


 当然そうなるだろう。


「じゃあわたしが――」


 言いかけた言葉は、シンクレールに(さえぎ)られた。


「僕が行く」彼は真剣な眼差(まなざ)しで岩山を睨んで続ける。「クロエは丸腰だ。なにかあったときに対処出来る人間が行くべきだろ? それに、僕はテレジアとは無縁(むえん)だから、(かえ)って信徒に向いてるはずさ」


 沈黙が流れる。シンクレールに(まか)せることに不安はなかったが、万が一のことがあったら……。


 ヨハンは(うなず)き、微笑した。


「分かりました。確かに、シンクレールさんが適任(てきにん)です」

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐


・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。現在はナンバー4。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳(ぎゅうじ)る女性。奇跡と(あが)められる治癒(ちゆ)魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』にて


・『毒食(どくじき)の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照


・『天の階段(ステラ・ステップ)』→空中に透明な足場を作る魔術。初出は『112.「ツイン・ラビット」』


・『光の翼(ルス・アーラ)』→翼を得ることによって飛翔する魔術。会得した者が少ないので、判明している情報にも限りがある。五体とは別の感覚を得るので操作は非常に困難と言われている。ニコルが使用。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』


・『黒の血族』→魔物の()と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて


・『イフェイオン』→窪地(くぼち)の底に広がる豊かな町。王都に近く、特産品の『和音(わおん)ブドウ』を交易の材としている。『毒食(どくじき)の魔女』によって魔物の被害から逃れているものの、住民一同、彼女を快く思っていない。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照

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