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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第二章 第二話「山岳地帯と空中散歩」
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304.「朝靄の山並み ~君さえよければ~」

 その晩も魔物は出なかった。ロジェールのことを完全に信じていたわけではないし、ヨハンの言葉も同様だったが、この地で魔物が出現しないのは本当らしい。


 ヨハンとシンクレールはまだぐっすりと寝入(ねい)っている。わたしはというと、大岩に腰かけて景色を眺めていた。おあつらえ向きに木々が(ひら)けている。朝靄(あさもや)で白く(けぶ)る山並みを見つめながら伸びをすると、背骨がポキポキと鳴った。頭がぼんやりとして、危機感が多少薄まっているような感覚がある。


 それもそうか。魔物以外の脅威(きょうい)といえば高山蜂(こうざんばち)くらいだ。まだキュラスへは距離があるので、信徒に遭遇(そうぐう)する可能性はほとんどないだろう。まあ、彼らがどういう生活をしているのか分からないけど……。


 地平の空気と比べると、早朝の山で吸うそれ(・・)は透明に()んでいるような気がする。不思議な感覚なのだが、空気が美味しい。


 立ち込める(もや)の先で輪郭だけになった景色は、幻想的な雄大(ゆうだい)さでたたずんでいる。朝鳥も幻想のなかからさえずっているような雰囲気。心が洗われていく、と言うと変だけど、まさにそんな気分だった。二日間水を浴びてない事実はげんなりしてしまうけど……。


「おはよう、クロエ」寝ぼけ(まなこ)をこすりつつ、シンクレールが隣に腰かけた。「なんだか寝ぼけてるみたいな景色だね」


 朝靄のヴェールをまとった山並みをそんなふうに表現するとは……。シンクレールは繊細(せんさい)なタイプであるのは間違いないけど、美的センスはあまりないらしい。思わず苦笑してしまった。


「おはよう、シンクレール。まだ眠そうね」


「いや、平気だよ。山全部凍らせることだって出来るくらいバッチリさ」


「あなたも冗談なんて言うのね」


「そりゃあ、ね。騎士だったときは緊張しっぱなしだったけど、今は少し楽なんだ」


 意外だ。状況からいえば、騎士だった(ころ)よりも随分(ずいぶん)と過酷なのだが。


「騎士時代から気さくだったら、もう少し友達が多かったかもね……お互い」


 騎士だった頃、わたしもシンクレールのことをあれこれ言えないくらい張り詰めていた。もちろん、共闘相手のことやほかの騎士団員のことは信頼していたけど、気楽に言葉を()わすことなんてほとんどなかったのだ。いつどちらが消えるとも分からない日々。だからこそ、深入(ふかい)りを()けていたのかもしれない。


「僕はクロエだけでいいよ」


 シンクレールはいまだにぼんやりした調子で言う。その言葉の本意が色恋じゃなければいいけど……。


 なんて答えていいか分からずに困っていると、彼は言葉を続けた。


「こんなときにこんなことを言うのは間違ってるかもしれない。けど、今しかないような気がして……。もし、君さえよければなんだけど――」


 ついに来たか、と身構(みがま)える。好意を向けられるのは嬉しいけど、はっきりさせておくべきだろう。今は恋だ愛だにうつつを抜かしていい状況じゃないし、なにより、もう二度と恋愛なんてしたくない。どう答えればシンクレールの傷が浅く済んでくれるか、それが問題だ。


 彼は意を決したように真剣な表情で――。


「僕が途中で死んだら、骨のひとかけらでもいいから王都に埋めてくれ」


 ……一瞬思考がフリーズする。色恋だのなんだのと考えていた自分が恥ずかしい。


 そうだ。シンクレールはわたしと一緒に魔王を()つと決めたんだ。それはつまり、道(なか)ばで倒れることまで(ふく)まれているのだろう。そこまでの覚悟をしてくれたのか……。


 シンクレールは王都で生まれた、と以前聞いたことがある。両親とは早くに死に別れ、王都内の孤児院で育ち、魔術訓練校を()て騎士になったらしい。『僕にとっての親は、三人いるんだ。本当の両親と、孤児院の人たち、そして魔術訓練校の先生』いつだったか彼がこぼした言葉だ。多くの王都民と同様に、彼の人生は(みやこ)にあったのである。それがこんなことになるなんて夢にも思わなかっただろう。


「……故郷だもんね」


 なんとか声を(しぼ)り出す。するとシンクレールは(はかな)(うなず)いた。白い(もや)(そそ)がれたシンクレールの眼差しは、山並みよりもずっと遠くの風景を思い(えが)いているようだった。


「うん。ずっとあの土地しか知らなかったから。最期も、出来れば王都がいいんだ。……ああ、気を悪くしないで。クロエの味方になったことをあれこれ言うつもりはないんだ」


 ただ、いつかは帰りたいな。彼はそう付け加えた。胸がしめつけられるくらい、透き通った微笑で。


 いつかは帰りたい、か。たとえ骨になったとしても、ということだろう。そんな未来はごめんだけど、彼の意思は尊重したい。


「分かったわ。約束する。けど――絶対に生きて帰りましょう。今はこんな状況だけど、いつか全部の疑いが晴れるから。胸を張って帰れる日が、絶対に……」


「ありがとう。やっぱりクロエは優しいね」


 そんなふうに言われても困る。優しいんじゃなくて、責任だと思ってるだけだ。


「空気が美味しい」とシンクレールは呟いて、目をつむった。ひとつ、胸のつかえが取れたような具合に。


 視界は幽玄(ゆうげん)な白に(おお)われ、時間はゆるやかに過ぎていく。


「おはようございます。いやあ、お二人とも早起きですなぁ」


 ふわふわと落ち着かない抑揚(よくよう)の、ヨハンの声が聴こえた。振り向くと、眠そうにゆらゆら揺れる不健康な姿がある。彼はわたしの隣に腰かけると、大きなあくびをひとつ。シンクレールが腕を組み、口を堅く結ぶのが見えた。


「『黒の血族(けつぞく)』も寝起きはぼんやりしてるのね」


「その点は人と変わらないですからねぇ。さてさて……」


 ごそごそと鞄をから取り出したのは例の地形図だった。それを広げると、彼は確かめるように指を()わせる。


「今はこの地点ですから……キュラスまでずっと登りですなぁ。どんどん標高が高くなって、いずれキュラスを(へだ)てる谷に出ます。正確には分かりませんが、今日中にたどり着けるかもしれませんね」


 なんともアバウトな計算だけど、仕方ない。


「しっかり目を覚ましたら出発しましょう。ぼんやりしたままだと危険過ぎるわ」


 注意力不足で転落、なんてことになってほしくない。


「僕は大丈夫だよ」とシンクレール。


「私も問題ありません。眠気と油断は別ですから」とヨハンは妙な主張をした。そもそも眠気と油断を分離出来るとは思えないけど、まあ、彼のことだ。転落しそうになったら妙な魔術でなんとかするだろう。


「じゃあ、出発しましょう――キュラスを目指して」


 三人が同時に立ち上がり、道なき道を進みはじめた。相変わらず左側は(ひら)けた崖になっている。ふと(のぞ)き込むと、なんだか眩暈(めまい)がした。昨日よりも崖が険しく迫っているように思える。


 歩けるスペースはぎりぎりひとり分で、風も強い。シンクレールのローブが激しくはためく音がして、少し不安になった。


「昨日よりも風があるから気を付けてね」


「大丈夫さ」


 心配ではあったが、風がやむことなんて期待出来ない。危険を跳ねのけるくらい確かな集中力で進むだけだ。




 しばし歩いていると、風音に混じって妙な音が聴こえた。小さいけど、それまで耳にすることのなかった異音。機械の(うな)りに似た――。


「気をつけて……高山蜂の羽音(はおと)がする。これ以上音が大きくなるようなら、伏せてやり過ごしましょう」


「ええ、分かりました」とヨハンはやや緊張した声で返したが、シンクレールはなにも答えなかった。見ると、心底不安そうな顔をしている。


「大丈夫よ、シンクレール。あなたなら魔術で撃退出来るし、身体を低くしていればそもそも襲われたりしないから」


「なんだか蜂って……苦手なんだよね」


 そう返す彼の声は、文字通り震えていた。心から蜂が苦手なんだろう。


 慎重に進むうちに、前方に妙なものが見えた。羽音はいつの間にか数を増している。(はる)か先――わたしたちが通過すべき箇所(かしょ)のすぐしたの崖に、こんもりと丸いものがあった。その周囲を飛び回る黒い影も……。


「あれって……」


 シンクレールが絶望的な声を上げる。


「ええ、高山蜂の巣に間違いないわ」

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。現在はナンバー4。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『黒の血族』→魔物の()と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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