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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第二章 第二話「山岳地帯と空中散歩」
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292.「真昼の月」

 やがて下草(したくさ)は腰までの高さになり、テーブルのような岩がごろごろと転がる草原に変わっていった。


 誰が言うともなく休憩を取ることになり、手頃(てごろ)な岩に腰かける。今まで歩んできた道をぼんやりと眺めながら、ウィンストンから受け取った袋を開いた。


「これまた豪勢(ごうせい)ですなぁ」


 ヨハンが感心すると同時に、わたしとシンクレールも目を丸くした。袋の中には丸パンが二つに、干し肉が五枚ほど。そして、これでもかと言わんばかりの和音(わおん)ブドウが入っていた。ひと(つぶ)(はじ)けさせると、口いっぱいに瑞々(みずみず)しい甘酸っぱさが広がる。


 すでにイフェイオンは見えなくなっていた。ただひたすらに草原が続いている。(はる)か左側に伸びる街道は、随分(ずいぶん)と細く見えた。


 晴天の下、和音ブドウの弾ける小気味(こぎみ)よいリズムがこだまする。


「のどかですねぇ」


 ヨハンの不健康な顔付きから漏れた言葉は、いかにもミスマッチである。状況的にもそうだ。


「のんびり出来る立場じゃないけどね」


 そう返すと、ヨハンは苦笑した。


「常に気を張ってると疲れてしまいますよ。メリハリが大事です」


「……分かってるわよ」


 とは言ったものの、気分は落ち着かない。これから待っているのは過酷な道のりだ。二回か三回の野営(やえい)。魔物との戦闘。そして――強敵との対峙(たいじ)


「やっぱり、テレジアさんも敵なのかな」


 シンクレールの不安げな声が、ぽつり、と宙に浮く。そうあってほしくない、という気持ちで(あふ)れた口調だった。


「敵じゃなければいいけれど、望み(うす)よ。それに、彼女が口にする言葉だって信用に(あたい)しないわ。……ニコルと一緒に魔王の城まで行ったんだもの。魔王が生きていることも、ニコルの裏切りも、全部知ってるはずよ」


「でしょうね。その上で口を閉ざしているわけです。黒と見て間違いないでしょう」とヨハンが同調する。


 するとシンクレールはがっくりと肩を落とし、首を横に振った。彼にとっては信じられないようなことの連続だろう。今まで盤石(ばんじゃく)だと思い込んでいた地面が、さながら(もろ)い板だったような感覚か。事実を認めれば途轍(とてつ)もない不安に襲われる。だからこそ目を()らしたくなるのだ。


「そんな人には見えなかった……。凱旋式(がいせんしき)でも一番落ち着いている感じだったし……」


 それはシンクレールの言う通りだ。テレジアは微笑を()やさず、ゆったりと落ち着いた振る舞いを見せていた。


「人は見かけによらないものですよ」とヨハンが呟くと、シンクレールは聞えよがしなため息をついた。


 空にはまるで他人事(ひとごと)のように平和な青が広がっている。吹く風も、下草のそよぎも、おだやかで優雅(ゆうが)だ。


 人は見かけによらないというのは、今まで存分(ぞんぶん)に味わってきた。ルイーザしかり、トリクシィしかり。シンクレールだってそんなことくらい理解しているだろう。けれど、あまりに大きな思い込みはなかなか修正がきかないものだ。それこそ、強烈な出来事に直面しない限り。わたしだって、手酷い裏切りを受けなければ今でもヨハンを信頼していたかもしれない。


 丸パン半分と干し肉半切れ、和音ブドウをいくつか(たい)らげ、残りは今後の食事に回すことにした。目的地にたどり着くまで数日かかるだろうし、キュラスで満足な食事にありつけるかも(あや)しい。最低限の消費で進むべきだろう。


 誰が言うともなく、わたしたちはほとんど同時に立ち上がり、山並みへと歩き出した。急勾配(きゅうこうばい)な岩山を登るわけではないものの、楽な道とはいえない。ヨハンの言う通り気を引きしめ過ぎないようにしなければ余計に体力を使ってしまう。


 ゆるみ過ぎず、しめ過ぎず。なかなかどうして難しい。


「夜間防衛はどうしようか」


 がっくりと落ち込んだままの口調でシンクレールは言う。


 わたしが戦うから二人は寝てて――とは言えなかった。本心ではそうしたかったが、まず間違いなく(しの)ぎ切れない。ただでさえヨハンもシンクレールも魔術師だ。余計に魔物を寄せてしまう。そして肝心(かんじん)の武器がない。グールごときなら体術だけでもなんとかなるが、眠る二人を守るとなると少し厳しいか。


「プランが二つあります」言って、ヨハンは憂鬱(ゆううつ)そうに続けた。「ひとつは交代で眠ること。ひとりが眠って、あとは戦うようにするってわけです。もうひとつは全員で戦って、明け方に仮眠を取る方法……どちらがいいでしょうかねぇ」


 ほかにやり方はないかと考えてはみたが、いいプランなんて見つからなかった。


「時間的には前者がベストかしら」


 シンクレールをちらりと見ると、彼はきつく口を結んで小さく(うなず)いた。なにを考えているかはなんとなく分かる。交代で眠るとなれば、ヨハンとシンクレールだけで戦う時間帯も出てくるだろう。夜間防衛なら協調せずともなんとかなるだろうけど、場合による。強力な魔物が現れればどうしたって手を合わせる必要があるだろう。


 不安はあった。けれど、のんびりしてる時間なんてない。


「それが一番の方法なら、僕はかまわない」


 本心では()けたいけれど、理解はする。そんな口調だった。


「ご理解いただけて嬉しいですよ。なに、二度も裏切るつもりはありません。私は役目を()たすつもりですから」


 そんなヨハンを横目に眺めたシンクレールが拳を握った。()めがたい(みぞ)が広がっている……。


 不意に、シンクレールはきょとんとした表情を浮かべて薄く唇を開いた。そして、山並みを(ゆび)さす。


「……あれ、なんだろう」


 彼の()した方角を見ると、山間(やまあい)に丸いものが浮かんでいた。低く昇った月のような具合である。くすんだ茶色で、周囲の景色からは違和感のある色と形。


「妙な形ですね。それに、宙に浮いているようですなぁ……。空を飛ぶような技術を知っていますか?」


「さあ、聞いたこともないわ」


 空中を飛ぶ技術なんて聞いたこともない。ルイーザの(ほうき)くらいのものだが、それも機構(きこう)はさっぱりだ。おおかた彼女の膨大(ぼうだい)な魔力に依存(いぞん)した魔道具だろうから、汎用性(はんようせい)なんてないだろう。


 それ以外となると『天の階段(ステラ・ステップ)』が思い浮かんだが、あれも高度が上がるほど負担が大きくなる魔術である。山間に球体を浮かべられるような魔術ではない。


 すると、未知の魔術か、それともわたしの知らない技術だろうか。浮かんだ球体は、もしかするとテレジアの(ほどこ)した魔術かもしれない。随分(ずいぶん)と離れているせいか魔力の有無までは判断出来なかった。


「なんにせよ、警戒したほうがいいわね」


「ええ。君子(くんし)危うきに近寄らず、です」


 と、球体がわずかに揺らいだように見えた。それは見る見るうちに高度を下げて、山裾(やますそ)に広がる森の中に消えていった。


「……なんだったのかしら」


「さあ……なんにせよ注意は(おこた)らないほうがいいですね」


 ちょうど進行方向にある森に消えた以上、その正体と遭遇(そうぐう)してしまう可能性はある。あの球体が消えた地点を迂回(うかい)するにも、これだけ離れていたら見当もつかない。


「……たとえばあれに人が乗っていて、僕らを観察していたとしたら……」


 シンクレールは不安そうに言う。


「いえ、それはないんじゃないかしら。観察するだけならあんな方法を取る必要もないし、今消えるのもおかしな話よ。それに、宙に物を浮かべるような技術があるとも思えないわ」


 船によって海路(かいろ)は開け、馬車によって陸路(りくろ)は拡大した。けれどもいまだ、空に関しては未発達である。知恵の断片こそ王都にもあったが、()(むす)んだという報告はひとつもない。それも当然で、空中の魔物は危険な奴ばかりなのだ。ルフしかり、ハルピュイアしかり。目にする機会は滅多(めった)にないとされており、わたし自身も見たことはなかったが、ドラゴンなんていう有隣(ゆうりん)の巨大な魔物も空を()けるらしい。


 そんな連中に襲われれば、空中を行く技術なんて()()微塵(みじん)だ。


「ならいったい、なんなんだろう……」


 シンクレールのこぼした言葉には、わたしもヨハンも答えを返すことが出来なかった。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐


・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳(ぎゅうじ)る女性。奇跡と(あが)められる治癒(ちゆ)魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』にて


・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と(もく)される魔術師。高飛車な性格。エリザベートの娘。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」』参照


・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。現在はナンバー4。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙(じゅうりん)する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。傘の魔具「深窓令嬢(フロイライン)」の使い手。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』『幕間.「王位継承」』にて


・『ウィンストン』→『毒食(どくじき)の魔女』の邸の執事。丁寧な口調の壮年男性。ジェニーとは犬猿の仲。昔から魔女の命を狙って暗殺を繰り返している。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『279.「物好きな主人」』参照


・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて


・『ルフ』→鳥型の大型魔物。詳しくは『37.「暁の怪鳥」』にて


・『ハルピュイア』→半人半鳥の魔物。狡猾。詳しくは『43.「無感情の面影」』にて


・『天の階段(ステラ・ステップ)』→空中に透明な足場を作る魔術。初出は『112.「ツイン・ラビット」』


・『和音(わおん)ブドウ』→イフェイオンの特産品。皮から果肉を出す際に独特の音が鳴ることから名付けられた。詳しくは『230.「和音ブドウと夜の守護」』にて


・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』にて


・『イフェイオン』→窪地(くぼち)の底に広がる豊かな町。王都に近く、特産品の『和音(わおん)ブドウ』を交易の材としている。『毒食(どくじき)の魔女』によって魔物の被害から逃れているものの、住民一同、彼女を快く思っていない。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照


・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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