幕間.「王都グレキランス ~追放処分~」
自宅に戻ると、ジークムントはばったりと床に倒れ込んだ。
もう指一本動かす気力がない。天井から注ぐ橙の灯りがぐらぐら揺れている。彼はきつく瞼を閉じ、これまでのことを苦々しく振り返るのだった。
王が射られてからというもの、真偽師の価値は地に落ちた。実質王都の最高権力者となった王子は、今回の失態の原因は真偽師の無能にあると糾弾したのである。虚偽を見抜けず、とんでもない曲者を玉座にまで招いてしまった、と。裏切り者の暴挙を止めることが出来なかった近衛兵がお咎めなしだったのも、ひとえに、真偽師の能力を絶対視していたからだと王子は論じた。
城の広間に真偽師全員が集められ、王子による論説が繰り広げられたのである。聴き手は大臣やら近衛兵やら、果ては単なる富豪までいた。
すでに結論の出ている裁判。そんな印象だった。
ジークムントに、王子の言葉を否定する力はなかった。なにより悔しく思っているのは自分自身だからである。王都に混乱を招いたあの三人――元騎士の娘に、無表情な少年。そして王を射たという不気味な男。連中の企みを見抜けなかった罪はあまりに重い。
しかしながらジークムントは、今でも自分の出した判定が誤っているとは思えなかった。奴らの言葉に嘘は感じられなかったのである。疚しい仕草やわずかな声色の変化さえ、緊張の振れ幅に収まっていた。特に元騎士の娘には顕著に表れていた。例の男に関しては――奇妙なことだが――揺らぎひとつなかった。偽りなんて影もかたちもない。潔白そのもの。
まるきり無能だ、とジークムントは自嘲気味に笑う。こうして悲劇に見舞われてなお、判定の正しさを信じることしか出来ないとは……。
弁明の機会が与えられても、ジークムントはそれまでとなんら変わらぬ言葉を返した。「吾輩には、連中の言動に嘘や疑いを感じることなど出来ませんでした」と。彼はあくまでも正直に、自分自身の見たまま感じたままを語ったのである。
一方で彼の友人――玉座での真偽判定を任されていたカールは、ひたすらに自分の正しさを主張していた。「私に見抜けない嘘があるとするなら、それは未知の高度な魔術――いや、呪術によって作り上げられたものでしょう。それを判別することなど誰にも出来ません。なにせ、今の今まで真偽師を騙せるような術なんてありえなかったのですから。言い訳をするつもりはありませんが、この一件で真偽師全員を処罰するような真似はおやめになったほうがいい。我々が王都の財産であることは変わらないのです。確信を持って、そう言い切れます」
ジークムントは彼の言葉を聞いている間中、胸が圧し潰されるような苦しみを味わった。真偽師がどれだけ正当な存在であるかを自覚していたからだ。
カールの言葉は正しい。しかし、それが認められようはずがないのだ。結末が見えてなお、叫ばずにはいられない友人の声が全身を刺し貫くようだった。
結果は、すでに決まっていたようなものである。
王子は例の一件以来――いや、もしかするとずっと以前から――真偽師に疑念を抱いていたのだ。吐き捨てるように裁きが告げられると、カールもジークムント、そして広間に集められた全員の真偽師が虚ろな表情になった。
追放処分。
あまりにも重い判決である。『岩蜘蛛の巣』へ放り込まれる場面を想像したが、王子の言う追放は意味が違っていた。王都から放り出し、以降、二度と壁の内側へ入ることが出来ない、というものである。『岩蜘蛛の巣』への追放よりはずっと良い内容ではあったが、ショックが消えたわけではない。
ジークムントはじめ、真偽師は王城の敷地内で生活していた。
理由はひとつ。真偽判定によって買った多大なる恨みから真偽師を守るためである。
これからは王都の外――秩序のおよばぬ場所で生きていかねばならない。噴出する怨嗟をかわして……。
遠まわしな死刑ではないだろうか。真偽師全員がそう思ったに違いない、とジークムントは確信した。
たった一度の――しかし、きわめて重大な――失態ですべてを失ってしまった。自らの命さえそこに含まれているとなると、ぐったりと脱力してしまいそうになるのも無理からぬことだろう。
三日。それが真偽師の追放までに与えられた期間である。王子の情けなのだろうが、あっという間に過ぎてしまうような日数だ。こうして絶望的なまばたきを繰り返すだけで終わってしまうではないか、とジークムントは乾いた笑いを漏らす。
荷物もなければ伴侶もいない。外の世界にツテがあるわけでもない。無能の称号と、ありあまる恨みと、魔物に傷ひとつ与えられない非力さ。それがすべてだった。ジークムントに限らず、どの真偽師も似たようなものである。
これから王都は怒涛のごとく変わるだろう。ジークムントはため息を吐き出し、瞼を開いた。
権力者が変われば、それまでの構造も大きく変化する。大臣が制御出来ないほど自我の強い人間がトップに立つのだからなおさらだ。むしろ、今王都を離れることが出来て幸いかもしれない。……そんなふうに思わなければやっていけなかった。
あと三日でなにが出来るだろうか、と彼は弱々しく考える。頭に浮かぶのは、月並みな身支度や真偽師同士の結託でしかなかった。いずれもこの先を生き延びていくだけの拠り所にはなりそうにない。すべての行為が徒労に感じてならなかった。
弱った心に、これ以上の物事は考えられそうにない。
やがてジークムントは、ふっつりと唐突な眠りに呑まれていった。
本項の詳細は『第一章 第九話「王都グレキランス」』参照。




