287.「半分の血」
晩餐を終え、ノックスと魔女は早々と席をあとにした。ウィンストンとジェニーは厨房に下がっている。
わたしとシンクレールはというと、いまだ広間に残っていた。骸骨じみた不健康な男に、真剣な目付きで呼び止められたからだ。
「話ってなにかしら?」
促すと、ヨハンはグラスに残っているワインをひと口飲んだ。やたら尖った喉仏が上下する。
「今後の予定について話すべき頃合いだと思いましてね」
魔女の邸に潜伏してから一週間。まだ今後の相談はしていなかった。色々と考えてはみたのだが、どのように進んでいくのが最善か見えてこないのである。真っ直ぐ魔王の城を目指してどうにかなるとも思えないし、戦力を増やす方法だってさっぱりだ。
考えれば考えるほど、ニコルの策略にまんまとはまってしまったことになる。裏切りの告発は見事に無効化され、それどころかこっちが裏切り者扱いだ。そしてヨハンの演じたひと幕によって真偽師の信頼性も崩壊したことだろう。なにが真実かを判断する柱を失い、王都にはますます混乱が広がるに違いない。
八方塞がりだ。
「考えてみたけど、どう動くかはまだ決まってないわ」
シンクレールの顔に影が差す。本当に、彼には巨大な負担をかけてしまった。彼自身が選び取ったにせよ、その責任はわたしが負うべきだろう。すべてを終わらせて、日常に戻れるように。
ヨハンは長いまばたきをひとつして、口の端を持ち上げた。
「決まっていないのではなく、どう行動していいか分からないのでは?」
お見通しか。魔女ほどではないと思うが、ヨハンも充分に鋭い。こちらの迷いなんて簡単に見抜いてしまう。
彼の口からなにが語られようと、鵜呑みにするもんか。こちらの迷いにつけこんで物事を自分の有利な方面に進めようとするのだから。
「どう動けばベストなのかは分からないわ。もしあなたに良い知恵があるなら聞きたいけど、その通りに行くとは思わないで頂戴」
もうあなたのことは信用しない。けれど、わたしが自分で頭を捻り、悩み、決断したのなら別だ。ヨハンの扱いについては心が決まっている。有益なアイデアや情報は受け取るが、それを精査する役目はわたしとシンクレールが負う。正直、なにを言われても頭ごなしに否定したいくらいだったが、そんなことではこれから先進むことなんて出来ない。彼がしたことは絶対に忘れないし許さないけど、ニコルを討ち倒す意味で彼の作戦には耳を傾ける価値がある。
「僕も、お前のことは信用しない。それどころか――」
シンクレールは首を横に振り、言葉を切った。その先が語られることはなかったが、おおかた想像出来る。王に矢を射た相手だ。憎悪の対象でしかない。
「存分に憎んでください。私は必要な仕事をするだけです。ドライな人間ですからね。クロエお嬢さんは冷静に考えているようですが、いやはや、シンクレールさん、あなたは感情的になり過ぎていますね。煽る意味で言うわけではないですが、私を道具だと思えばいいじゃないですか。使い物にならなくなったら捨てればいいんですから」
ヨハンの口ぶりは決して投げやりではなかった。それどころか、真剣味さえある。本気でそう考えているのだろうか。確かに、ヨハンはドロップアウトしようとも報酬を受け取れる立場にあるだろうけど……。
「お前の言葉は……毒にしかならない」
シンクレールが吐き捨てるように返しても、ヨハンは顔色ひとつ変えなかった。
「お嬢さんには、毒を飲む覚悟がおありでしょうね」
「……ニコルを討ち倒して平穏を取り戻せるなら、毒なんていくらでも飲むわ」
覚悟なら出来ている。ニコルに転移させられたときにも覚悟はあったはずだが……全然足りなかった。ヨハン――メフィスト、というのが本名だったか――が自らの口で裏切りを暴露したあの晩に、一切の甘さを捨て去ると決めたのだ。
シンクレールは口を開きかけたが、声になることはなかった。そのまま、ぐっと噛み殺すように閉ざす。
「シンクレール。あらためて言っておきたんだけど……もし降りたくなったら、そうしてくれていいわ。恨んだりなんかしない。あなたのことは本当に申し訳なく思ってるし、感謝もしてるの。……だから、無理はしないで」
「……無理はしてるよ。後悔だってある。けど、こうするって決めたんだ」
素直な言葉――なのだろう。シンクレールは迷いやすく、そして頑固だ。
「ありがとう……本当に」
ひと区切りがついたと判断したのか、ヨハンが口を挟んだ。「では、今後の話をしましょうか。まず、お嬢さんはどのようなプランを練っていますか? 粗くとも結構ですので、おっしゃってください」
プランらしいプランは、たったひとつだ。それだっていくつもの分岐があってなかなか答えが出ない。
「ひとつ考えてるのは――ニコルの仲間を順番に無力化することよ」
現時点でニコルと魔王に敵うとは思えない以上、どうしても後手に回ってしまう。その間に彼が虎視眈々と王都侵攻の準備を整えているなら、その計画を壊して動きを遅らせればいい。
王都を壊滅させる方法なんて想像出来ないが、手駒は存分に動かすだろう。ニコルの戦略も分からないし、どの駒が彼にとっての急所になるかは分からなかったが、このまま指をくわえて待っているのが一番の悪手だ。
勇者一行のどのメンバーもルイーザに匹敵する実力者と考えるべきだろうが、もっとも現実的な方向性がそれなのだから仕方ない。
ヨハンは不敵な笑みを浮かべ、頷いた。
「それに関しては同感です。現状でこちら側が動かせる戦力もありませんしね。『最果て』に戻ってスパルナさんの力を借りるのも手ではありますが、船がないと海峡の先には行けませんからね」
彼の言う通りだ。『最果て』で知り合った人々の助けを借りられたらいいのだが、期待する戦力が得られるかも分からないし時間の見通しだってつかない。勝算の低い賭けだ。
「シンクレールさんは、なにかアイデアをお持ちですか?」
「……いや、ない。僕が頼れる相手なんて騎士たちくらいのものだから」
つまり、封殺されている。不相応なほどのリスクを承知で協力してくれる騎士なんていないだろう。シンクレールは例外だが。
「なら、敵側の戦力を減らす方向で考えましょう。ニコルの仲間――彼とともに魔王の城を目指したメンバーは六人でしたね。元騎士のシフォン、魔術師ルイーザ、王の盾スヴェル、教祖テレジア、獣化のゾラ」
あとひとりの名前を、わたしは知らない。凱旋式でもフードを深くかぶっており、顔立ちもよく分からなかった。魔力は感じたのだが、そいつが魔術師なのか魔具使いなのかも判断出来なかったのだ。
「あとひとりは名前も素性も知らないわ。まあ、ゾラについても素性は知らないけど」
ヨハンはワインに目を落とし、小さく答えた。
「あとひとりは、ジーザスという名です。彼のことはよく知っていますが、手を出すのは最後にしたほうがいいでしょうね」
「どうして?」
ヨハンは抑揚のない声で「『黒の血族』のひとり、夜会卿ことヴラドに仕えていますから」とだけ答えた。
血族との戦闘も覚悟してはいたが、勇者一行とセットで戦わなければならない状況は避けたい。確かに、後回しにすべきだろう。
「あなたの提案は分かったわ。だけど、信用は出来ない。人間が血族に仕えるなんて話は聞いたことがないし、なにか事情があってかばっているようにも見えるわ」
ヨハンを揺さぶる目的が大きいけど、言葉に偽りはない。『黒の血族』に仕える人間なんて普通は存在しないはずだ。魔女は例外だろう。魔女を殺すため、というウィンストンの目的もそうだが、彼女本人も常識では計れない性格と行動をしている。そこに気を取られて納得するのは甘い。
「事情があってかばってる、ですか。そうですねぇ……正直に言いますと、事情はあります。しかし、かばうつもりは毛頭ないですよ」
ヨハンはニコルと関係しているのだから、勇者一行とも面識があるだろう。特別な事情があっても不思議ではない。ただ――。
「なら、その事情を言うのが筋よ。なにもなしに納得するなんて思わないで頂戴」
ヨハンは、無表情でワインを見つめていた。いつものように肩を竦める仕草もなければ、こちらの追及に呆れるため息もない。
やがてヨハンは、小さく口を開いた。視線が交差する。その瞳は、澄んでもいなければ濁ってもいなかった。感情の読み切れない色。表情は凍り付いているというより、諦めが混じっているようだった。なにに対する諦めなのかまでは想像がおよばないけど。
「おっしゃる通り、人間が血族に従うなんて本来ないでしょう。ただ、ジーザスは違います。私同様、半分はあちら側の血を受けていますから」
ぞわり、と悪寒が背を走った。
勇者一行のひとり――ジーザスも『黒の血族』と人間のハーフなのか。魔女といいヨハンといい、常識はずれの存在が多すぎる。
「そして」と彼は続けた。「私の兄です」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。現在はナンバー4。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ジェニー』→『毒食の魔女』の邸にメイドとして住み込む少女。愛嬌たっぷりで天真爛漫。語尾に「にゃ」を付けて喋る。『ケットシー』と呼ばれる獣人の一種。興奮すると耳と尻尾が出てしまう。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『ウィンストン』→『毒食の魔女』の邸の執事。丁寧な口調の壮年男性。ジェニーとは犬猿の仲。昔から魔女の命を狙って暗殺を繰り返している。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『279.「物好きな主人」』参照
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『スパルナ』→人型魔物。英雄を目指す律儀な青年。一時的にシェリーを保護していた。本名はボリス。詳しくは『第三話「軛を越えて~③英雄志望者と生贄少女~」』『178.「白銀の翼」』にて
・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『メフィスト』→ニコルおよび魔王に協力する存在。ヨハンの本名。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』
・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と目される魔術師。高飛車な性格。エリザベートの娘。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」』参照
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて
・『スヴェル』→ニコルと共に旅をしたメンバー。王の側近であり、近衛兵の指揮官。『王の盾』の異名をとる戦士。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『王城』~」』にて
・『夜会卿』→『黒の血族』のひとり。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』にて
・『転移魔術』→物体を一定距離、移動させる魔術。術者の能力によって距離や精度は変化するものの、おおむね数メートルから数百メートル程度。人間を移動させるのは困難だが、不可能ではない。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『真偽師』→魔術を用いて虚実を見抜く専門家。王都の自治を担う重要な役職。王への謁見前には必ず真偽師から真偽の判定をもらわねばならない。ある事件により、真偽師の重要度は地に落ちた。詳しくは『6.「魔術師(仮)」』『261.「真偽判定」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて




