29.「夜をゆく鬼」
夜を切って、わたしたちは進む。風は髪を乱していく。薄い月明かりの下で蹄鉄の音が絶え間なく鳴っていた。
魔物の気配がじわじわと強くなっていく。どうやら、ヨハンの魔力は存分に魔物を引き寄せているようだ。
はぐれたグールがちらほらいるようで、奴らの爪の攻撃圏内に入らないよう注意して避けていった。いちいち相手にしている暇がないのと、あえて放置することで多少の遅れはあっても『関所』襲撃の魔物に合流することを期待して、だ。
わたしは馬の操縦を盗賊の男に任せ、魔物の気配に神経を集中していた。
「姐さん、俺たちのために戦ってくれてありがとう。……俺も、刺し違える覚悟で戦う」
同乗した男はそんなことを時折口にしていた。
先頭にはミイナが、それに続くようにジン、間に盗賊たちを置いて、わたしは後方で彼らの背と一定の距離を置いて駆けていた。わたしのずっと後ろにはヨハンがいて、魔物を寄せつつ馬を走らせていることだろう。ヨハンが裏切らないだろうかと心配していたのだが、着実に集まりつつある魔物の気配は彼の仕事振りを物語っていた。
ギブ・アンド・テイク。出発前、並々ならぬ疑いを向けたわたしに対し、ヨハンはそう言った。然るべき報酬には然るべき働きで。後払いであっても契約した以上は奉仕する、とも。わたしは彼の言葉の九割は虚言だと思っているのだが、どうも、それを見直す必要があるかもしれない。しかしそれも、次の太陽が昇ってからだ。
出発してからおよそ三十分。『関所』への道も残り半分といったところで魔物の気配が鋭くなった。わたしはじっとりと背に汗が滲むのを感じた。ヨハンはこれも予想していたのだろうか。
土煙を上げて後ろへ駆ける小さな赤い影がちらほら見えた。
子鬼。小型魔物だが、グールよりはずっと面倒な奴らだ。馬には及ばないが足は速く、数十体の群で行動する習性がある。右腕は刃物になっており、個体ごとに形や長さは異なる。一体一体は大したことないが、集団で協力しながら人を襲う。馬の足を切りつけられ、転倒でもしようものなら格好の餌食だ。
「うわあ、子鬼がいやがる!」
ようやく気付いた同乗の男は情けない声を出した。まあ、怯える気持ちは分かる。連中の襲いかたはグールとは比較にならないぐらい気味が悪いのだ。群がターゲットを決め、一直線に襲い掛かる。小型ゆえに一体ずつ仕留めるのは相当器用でなければ難しい。倒し損ねた子鬼は鋭い牙を獲物の身体に突き立て、同時に右腕の刃で肉を削ぐ。そして群は食事を始めるのだ。グールは人間を爪で切り裂くのみで、肉を喰ったりはしない。だからこそ、その相違はおぞましい印象を与える。
前方の盗賊たちがそれぞれの間隔を大幅にひらく。視界を確保して、なるべく余裕を持って子鬼を避けるためだろう。すると、盗賊は子鬼について知っているわけだ。奴らの厄介な俊敏さも含めて。
わたしは後方を一瞥した。
ヨハンはきっと、その先のことも知っているに違いない。大量の子鬼が集まるとどうなるか。
生物全般がそうであるように、魔物のなかにも弱肉強食がある。一番のご馳走は人間に違いないのだろうが、魔物同士の食い合いも何度見たか分からない。
いつだったか、子鬼が大量に発生したことがあった。王都壁外の森は奴らの体表で赤々と染まっていた。騎士団は討伐に乗り出したのだが、途中から子鬼ではなく大型の魔物の討伐にシフトしていた。子鬼の存在を嗅ぎつけて捕食するべく集まった、ろくでもない大型魔物。
子鬼は、大型の魔物にとってはいい栄養分なのだろう。気分の悪い話だが、子鬼自体がよく人間を捕食しているからかもしれない。
『関所』を壊滅させるつもりだろうか、ヨハンは。それとも、子鬼の大量発生は予想外だとでも言うのだろうか。
子鬼はわたしたちを襲うことなく、後方へと一直線に向かっている。やはり、ヨハンはなにか企んでいる。それも、とびきり不快な作戦を。目の前の餌を無視してまで子鬼が惹きつけられるような小細工をしてまで。
本来子鬼は目前の敵に向かっていく習性があるはずなのだ。すると、ヨハンは確信的な方法で強制的に魔物を集合させているに違いない。敵に回したくはないが、味方であっても安易に背を向けられない。一番関わり合いになりたくないタイプだ。
やがて前方に、切り立った崖が見えた。考えようによっては、巨大な岩山といえるかもしれない。なかでも最も幅広なテーブル状の岩山が二つ、道をせき止めるように並んでいる。その隙間が『関所』と言われる場所らしい。
進めば進むほど道は狭くなり、しまいには家一軒分程度までの幅になる。左右に広がる岩山を刳り抜いて、天然の要塞として活用しているらしい。崖の両側から睨みを利かせている、というわけだ。
『関所』を通る旅人は金品の半分を差し出す必要がある、とはヨハンの言葉である。そこが落とされた以上、奪還するわたしたちが差し出すのは命の半分だろうか、などと考えてしまう。
薄ぼんやりと月光を受けた岩山は、なんとも不吉な雰囲気を纏っていた。




