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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第二章 第一話「再訪の地、半分の血」
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283.「目覚めの雫」

 ウィンストンの報告を聞いてから魔女の部屋へと駆ける間、なにも考えられなかった。ノックスが目を覚ましたというその言葉だけが頭をぐるぐるとめぐる。


 心臓は高鳴り、夜間戦闘の疲れなんて少しも感じない。焦りも、呼吸の乱れも、なにひとつ(おさ)えきれなかった。


 ノックもせずに魔女の部屋を開け(はな)ち、ベッドルームへと向かう。


 薄暗闇の中、壁にもたれて(あき)れた表情を浮かべる魔女。


 そして――。


「ノックス!!」


 彼はぼんやりとこちらを見つめ、それから、口の(はし)()っすらと笑みが広がった。


 ああ、生きている。青白い顔をしているけど、確かに生きている。


 ノックスは身を起こして、夢見心地のように頭をゆらゆらさせていた。まだ覚醒しきっていないのだろう。


 全身の震えが止まらない。感情はたが(・・)が外れたように(たかぶ)っていた。目尻(めじり)(うるお)いを感じたが、押しとどめることなんて出来そうにない。


 (ほお)を流れる熱いひと(すじ)をきっかけに、ノックスを抱きしめた。


 きっと回復すると信じていた。けれど涙が止まらない。決して考えないようにしていた悲劇を、どれだけ恐れていたのだろう。


 良かった、本当に。


 バタバタと足音が聴こえ、ヨハンやシンクレール、ジェニーやウィンストンが口々になにかを叫ぶ声が聴こえたが、それどころじゃなかった。もしかしたら失っていたかもしれない生命。それを抱きしめることに精一杯だったのだ。


 ヨハンの――ひいてはニコルと魔王の――仕掛けた罠にかかってなお、無事でいる。


「どこ行くのさァ、ペテン師」と魔女が呼びかける声が聴こえた。


「感動の再会ですから、邪魔者は退散しますよ」


 答えたヨハンの声は、ほんの少しだけ震えているような気がした。


 ノックスにはすべて説明すべきだろう。少しずつでもいいから、ゆっくりと。きっと彼の記憶は、謁見(えっけん)の光景を最後に途切(とぎ)れているだろう。目覚めたら魔女の(やしき)に戻っていたなんて、混乱するどころの話じゃない。


 身を離してノックスと顔を見合わせる。彼は随分(ずいぶん)と不安定な、もはや無表情ともいえないような顔をしていた。


「……ノックス。体調はどう?」


「大丈夫」


 普段通りの声とはいえなかった。そこに(ふく)まれる震えと呆然(ぼうぜん)とした口調には、(もろ)さを感じさせるものがある。


「なにがあったかは、あとでゆっくり話してあげる。だから今はゆっくり休んでね」


 けれども彼は、ゆっくりと首を左右に振った。その(ほお)一滴(いってき)、涙が伝う。


「全部知ってる」


 涙と同じように、こらえきれず(あふ)れ出したかのような声だった。


 彼の口にした『全部』という意味を確かめるのは、一瞬ためらわれた。危ういバランスで(たも)たれているその表情が、あらゆる経過を知っていると示しているように思えたから。


 自分が魔女の(やしき)に運び込まれたことも、洞窟に潜伏(せんぷく)していたことも、わたしがシンクレールと協力してトリクシィと戦い敗北したことも。そして――ヨハンの裏切りも、全部知っているのかもしれない。


「全部って……どこまで?」


「全部は、全部。ヨハンのしたことも、ここまでの道のりも」


 ノックスは(そで)で自分の目をごしごしと(ぬぐ)い、それから真っ直ぐこちらを見つめた。彼の瞳は先ほどのようにぼんやりとはしていない。決然とした意志が(こも)っている。


 しかし、それは一瞬だけだった。


 ノックスはすぐに、くたり、とベッドに横になってしまったのである。


 思わず近寄ると魔女にたしなめられた。


「そこまでにしなよ、お嬢ちゃん。まだ本調子じゃないんだ。これから魔力を抜かなきゃならないからねェ。しばらくかかるだろうよ。この子の回復を遅らせたいならべったりと付きっきりで喋ればいいさァ。おすすめはしないけどねェ」


 ノックスは薄目でわたしを見つめていた。


 今は回復しているけど、完全ではない。それに、いつ症状が悪化するかも分からないのだ。


 魔女の言葉を否定するだけの根拠(こんきょ)なんて持ち合わせていない。


「……分かった。世話になってばかりで申し訳ないけど――」深く、頭を下げる。「ノックスを、助けてあげて下さい」


 あからさまなため息の直後「頭なんて下げるんじゃないよ」と(あき)れ声が聴こえた。


「まァ、邸をうろつくなり眠るなり好きにしなよ。ウィンストン。客人を()め出しな」




 ウィンストンに(うなが)されて部屋をあとにする。廊下に出るとなぜか、ぐらり、と身体が崩れそうになった。


「クロエ……!」


 心配そうな声を出すシンクレールを、ぼんやりと見た。


 安心したのだろうか。それとも、ノックスが全部承知(しょうち)していたのがショックだったのだろうか。……分からない。きっと、どっちもだ。事実というのはいつも唐突(とうとつ)に、そして乱暴に心と身体を揺さぶっていく。


「きっと疲労でしょう。ひと晩の戦闘と、精神的な疲れもありそうですね。一旦(いったん)はゲストルームで休むのが良いかと思います。肩をお貸ししましょうか?」


 そう告げるウィンストンと張り合うように、ジェニーがわたしを無理やり背負った。


 少し抵抗したのだが、ものともしない。


「クロエはジェニーが責任もって連れて行くにゃ!」


「お前に任せるわけには――」


 そう言いかけた声が遠ざかっていく。ジェニーはウィンストンの返事を聞かないうちに走り出したのである。


 猛スピードで過ぎ去る(やしき)の壁を眺め、なんとも不思議な気持ちになった。ジェニーの不器用な心遣(こころづか)いを嬉しく思う反面、そこに気を回すことが出来ない自分がいる。


 頭の中では、ノックスの言葉が何度も反響していた。


 全部知ってる。


 どこまで?


 全部。


 ヨハンは今、どこにいるのだろう。会ったら引っぱたいてやりたい。泣きながら、その(ほお)を思い切り張ってやりたい。……絶対にそんなことはしないけど。


「到着だにゃ!」


「ありがとう、ジェニー」


 礼を言ってベッドに腰かけると、ぽすん、と身体が倒れてしまった。なんだか力が入らない。


 そんなわたしを見てジェニーは「おやすみだにゃ~」なんて笑っている。すっかり元気になったようで安心だ。


 ノックスは……と、気が付けば彼のことばかりを考えている。


 ノックスは、一連の出来事をどのように(とら)えただろうか。きっとショックだったろう。今まで信頼してきた旅の同行者に、命を(おびや)かされるような目に()ったのだから。そしてその悪魔と再び手を結んでいるわたしを、どう思うだろうか。不誠実で、正義など捨て去った人間だと感じるかもしれない。そんなふうに判断されるのは決して気分の良いことではなかったが、けれども、仕方ないだろう。


 先に進むためには、こうするしかなかった。生きて、未来を繋ぐためには……。


 不意に脳裏(のうり)を、ぼさぼさ頭の白衣の男がよぎった。ビクター。ハルキゲニアを(おとしい)れ、邪悪な実験を繰り返した最低の科学者。あの男と今のわたしは、もしかすると同じなのかもしれない。目的のためなら手段を選ばないだなんて……。


 唇を噛みしめ、こみ上げてくる様々な感情を(おさ)え込んだ。


 疑うな。わたしは、出来る限りを()くすんだ。最終目的はニコルと魔王の討伐で、そのための手段を選んでいられる余裕なんてない。


 けれど、最低限のラインは(たも)っているはずだ。わたしは――それこそビクターのように――いたずらに誰かを犠牲にしたりなんてしない。その一線を守り続ければ、きっと折れずに進める。


 やがて、目を開けているのがつらくなった。少し眠ろう。なにもかも忘れて、夢の世界に身を(ゆだ)ねるんだ。


 ジェニーはいつの間にか消えていて、部屋は静寂に包まれていた。朝の陽射しが、しっとりと床を照らしている。


 シーツにくるまって何度か寝返りを打つと、意識がぼんやりとしてきた。訪れたまどろみを(むか)え入れるように、頭のなかを透明にしていく。


 そしてなにもかも分からなくなった。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食(どくじき)の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。


・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。現在はナンバー4。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙(じゅうりん)する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。傘の魔具「深窓令嬢(フロイライン)」の使い手。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』『幕間.「王位継承」』にて


・『ジェニー』→『毒食(どくじき)の魔女』の邸にメイドとして住み込む少女。愛嬌たっぷりで天真爛漫。語尾に「にゃ」を付けて喋る。『ケットシー』と呼ばれる獣人の一種。興奮すると耳と尻尾が出てしまう。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照


・『ウィンストン』→『毒食(どくじき)の魔女』の邸の執事。丁寧な口調の壮年男性。ジェニーとは犬猿の仲。昔から魔女の命を狙って暗殺を繰り返している。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『279.「物好きな主人」』参照


・『毒食(どくじき)の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照


・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐


・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。故人。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』『Side Johann.「跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)朝月夜(あさづくよ)」』にて


・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて

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