280.「物騒なピクニック」
嵐は一過性のものだったらしく、夜が深まる頃にはすっかりやんで雲ひとつなかった。
空に浮かぶ星と月が宝石のように煌めいているが――草原を行く魔女も負けないほどの宝石を身に着けていた。揺れる彼女の片手が、きらりきらりと光を反射する。
「なんでまた……」とため息をつき、魔女はこちらを振り向いた。「こんな大所帯になっちまったのかねェ。百鬼夜行じゃないんだよ」
わたしが魔女に同行するのを察したシンクレール。「お嬢さんがただけじゃ不安」というわけの分からない理由でついてきたヨハン。「面白そうだにゃ」と目を輝かせてわたしのそばから離れないジェニー。
ウィンストンだけは邸でノックスのそばにいてくれるらしいが、それにしても物騒なメンバーである。本来なら魔女ひとりでどうとでもなるのに。
「『毒食の魔女』さんがどんな魔術を使うのか興味があって……」とシンクレールは控えめな口調で呟く。
そんな彼に、魔女は呆れ顔でため息を吐き出すのみだった。
「勝手にしなよ……。ただし、死にかけても助けやしないからねェ。全部自己責任だよ」
「分かってるわ」
もとよりそのつもりだ。なにが起きても魔女の助力は期待していない。そもそも、そんな覚悟で夜に踏み出しているわけではないのだ。
わたしは丸腰だったが、幸いなことにシンクレールがいる。彼と協力すればグール程度は何十体いようが問題にならない。トリクシィには通用しなかったが、氷衣は決して貧弱な攻撃手段ではないのだから。
「せっかくだから……一緒に戦う練習でもしようか」とシンクレールは素っ気ない振りをして言う。彼の浮ついた気持ちはなんとも先が思いやられるが、言っていることは正しい。今後彼と共闘する機会は多くなるだろう。今のうちに息を合わせておいて損はない。
「そうね。今のままじゃトリクシィに偶然会ったら終わりだもの」
彼女を圧倒出来るほどの力はすぐに得られるものではない。だが、少しでも傷を与えられるレベルには高められるだろう。わたしもシンクレールも、騎士として腕を磨いてきたのだ。
「さァ、着いたよ」
魔女は足を止めるや否や、前方――窪地のほうに手をかざした。
瞬時に大規模な防御魔術が展開される。それは窪地全体を覆い、住民を夜の恐怖から遠ざけた。
シンクレールはわたしの隣で、口をぱくぱくとさせている。なにか言おうとしているけれど言葉が出てこない、そんな様子である。
やはり魔女の防御魔術は異常なのだろう。理論で説明することが不可能に思えるほどに。
「なんだ、これ」
ようやく口にした言葉がこれである。シンクレールの驚きはなかなか消えそうになかった。
魔女も、それをどうこう説明したりするつもりはないらしい。シンクレールを無視して月を仰いでいる。
と、不意に魔物の気配がぼこぼこと周囲に涌き出た。ぞわぞわと、身体の表面を寒気が這う。気配はグールのそれだったが、数が異常だ。連中は秒間十体ほどの早さで次々と涌き出る。
「あたしは半分だけ相手にするよ。せっかくピクニックに来たんだ。客人にも楽しんでもらわないとねェ」
「そうだにゃ」とジェニーが同調する。
そんな彼女に、魔女は怪しい目付きで呟いた。「ジェニー。お前はお客と一緒に戦うんだよ。邪魔しないように――全力で」
ジェニーは目を丸くして、首を傾げた。
「本気出していいにゃ?」
そうたずねる彼女の瞳は、普段の和やかな様子とは打って変わって獣じみていた。
獲物を前にした狩人。そんな風情である。
「ああ、かまわないよ。思い切り楽しんどいで」
魔女の口調は淡白だったが、ジェニーはふるふると身体を震わせ、それから両手を夜空に伸ばした。「やったにゃ!」
なにが嬉しいのやら……。本当にジェニーという人がよく分からない。戦闘狂には見えないし、かといって理性的なわけでも、策略を持てるようなタイプでもない。頼られるのが嬉しいのだろうか。
グールの群がよろよろと接近してくる。魔女は余裕たっぷりに微笑を浮かべ、それを眺めていた。
「シンクレール」と腕を前に突き出して呼びかけると、彼は軽く頷いた。
「氷衣!」
その声とともに、手に硬い感触が広がる。そして――トリクシィ戦で目にした大剣が瞬時に形成された。持ち手は冷たいものの、凍りつくほどではない。シンクレールの魔術はどこまでも繊細で、適切だった。
氷の大剣を両手にかまえると、ずっしりとした重さが腕に伝わる。片手で振り回すことは出来そうにない。
「シンクレール。やっぱり大剣じゃないと駄目かしら?」
「お望みならどんな武器でも作れるけど、大剣じゃないと脆いんだ」
いたしかたない。今は彼の作った即席の武器に慣れておくべきだろう。細かな注文をするのはそのあとだ。
グールへと駆け、その身を両断した。
ヒビもなければ刃こぼれもない。グール相手なら問題なさそうだ。ただ……やはり重い。全身で振らなければ威力の面でも腕の負担の面でも駄目だろう。
グールの身を裂いていると、隣にジェニーがやってきた。そしてこちらにニッコリと笑いかけて、グールの身体を豪快に蹴り上げる。見事に十メートルほど真上に飛んだ敵へ追い打ちをかけるように、彼女は跳び上がった。
「にゃにゃにゃ!」
ジェニーが拳を引く。その腕に力が籠るのが見えた。
――空震。グールは木っ端微塵に消し飛び、ジェニーはというと得意気に口の端を上げていた。
本当に、彼女は何者なんだ。その身には魔術を使用出来るほどの魔力などない。唯一の武器といえば空中を闊歩出来る、靴の魔具のみ。しかし、振り下ろされた拳は怪物じみた威力だった。
グールを拳だけで消し飛ばせるような人間は、ハル以外に知らない。今の空震を聴く限り、ハルよりも強力な攻撃かもしれない。
すとん、と着地したジェニーはニコニコと微笑んだ。なんとなく、褒められるのを待っているような雰囲気である。
「驚いた……すごいわね、ジェニー」
「にぇへへ」
彼女は口元をゆるゆるにして、嬉しそうに自分の頭を掻いた。
分かりやすい人だ。この態度と先ほどの攻撃の差にも驚いてしまう。
「いやはや、お見事ですなぁ」とヨハンは手を叩いた。
「そんにゃに褒めると、ふにゃふにゃになっちゃうにゃ」
すでにふにゃふにゃでしょうに。
彼女は迫るグールに向き直り、次々と打ち倒していった。こちらの出る幕がないほどである。しかも、蹴りと殴打しか使わないのだから圧倒的だ。身体能力が高い、というだけでは説明がつかないくらいに。
ジェニーからやや離れて、別のグールを相手にする。袈裟斬り、逆袈裟、横薙ぎ、刺突、足払い。あらゆるパターンを試して、シンクレールの大剣を手に馴染ませていく。
慣れるまで時間がかかりそうだが、この程度の敵ならば造作なく討伐出来る。
――敵の身体を真っ二つにした瞬間、大剣にヒビが入った。まだそれほどの数は相手にしていないはずだが、割とすぐに限界がきてしまうのか。
「そのまま攻撃し続けてくれ!」
シンクレールの叫びが聴こえ、わたしは手をゆるめずに大剣を振った。すると、大剣が粉々に砕け――。
「氷弾!」
破片が猛スピードで散り、周囲の魔物の身体を裂いていった。四方八方に散ったはずなのだが、わたしには傷ひとつついていない。
本当に器用な魔術師だ。
「氷衣!」という叫びとともに、再度大剣が練り上げられる。砕けても何度だって生成出来るわけか。それこそ、シンクレールの魔力が尽きない限りは。
これなら今後の戦闘も随分とやりやすくなる。状況によっては、ひとりで戦うよりもずっと上手く立ち回れるだろう。
武器の重量はハンデだったが、戦闘の幅が広がった。トリクシィを突破出来るかは怪しいけど、こうして二人での戦闘を重ねていけば彼女に匹敵する強さは手に入れられるかも――。
不意に、寒気が全身を走った。シンクレールの魔術の影響ではない。
グールではない強力な魔物の気配がするのだ。
「おや、妙なのが寄せられてきたねェ」
魔女が悠々と呟く。彼女の視線の先には、黒々とした巨体が出現していた。
家屋ほどもある丸みを帯びた全身には、いかにも強靭なトゲが生えている。
地を這うその姿は、巨大なアルマジロに見えた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。現在はナンバー4。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。詳しくは『169.「生の実感」』にて
・『氷衣』→氷を成形し、武器や鎧として扱う魔術。詳しくは『269.「後悔よりも強く」』にて
・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。傘の魔具「深窓令嬢」の使い手。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』『幕間.「王位継承」』にて
・『ジェニー』→『毒食の魔女』の邸にメイドとして住み込む少女。愛嬌たっぷりで天真爛漫。語尾に「にゃ」を付けて喋る。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『ウィンストン』→『毒食の魔女』の邸の執事。丁寧な口調の壮年男性。ジェニーとは犬猿の仲。昔から魔女の命を狙って暗殺を繰り返している。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『279.「物好きな主人」』参照
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『ハル』→ネロの死霊術によって蘇った少女。メイド人形を演じている。元々はアカツキ盗賊団に所属。生前の名前はアイシャ。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照
・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて




