278.「卓上の陰謀論」
食堂に戻ると、皿はすっかり空っぽになっていた。ちょうどすべて平らげたらしく、ウィンストンは粛々と、ジェニーは危なっかしく片づけをしている。
席に座ると、目の前には深紅の液体が入ったグラスが置かれていた。ヨハンとシンクレールは、思い思いのペースでそれを呑んでいる。魔女は優雅な手付きでグラスを揺らし、中身を波立たせていた。
「これ……ワイン?」
魔女のほうを向いてたずねると、彼女は薄っすらと笑みを浮かべて否定した。「お嬢ちゃんのはブドウジュースさァ。酔わせるのも一興だけど、大泣きされたら始末に困るからねェ」
なんでもお見通しか。わたしがお酒に弱いことも、今の不安定な気持ちも。なんだか情けない気分になってしまう。
ため息をついてグラスを口につけ、ほんの少し舐めた。確かにアルコールの味はしない。ブドウの豊かな酸味が鼻を抜けていく。
こんな優雅な晩餐を楽しんでいるのが、どうしようもなく間違っているように思えてならない。『最果て』で旅をしていたときもそうだったが、わたしは焦りがちなのだろうか。以前よりは落ち着けるようになっていたが、そのぶん、もやもやとした悩ましさが濃くなっていくようだった。
ニコルのことは気がかりだが、ノックスがなにより心配だった。昏睡状態の彼を放って、自分だけ舌を喜ばす。そんなことをぐだぐだと考えたって仕方ないのは百も承知だけれど、罪悪感に似た感情が胸を曇らせていくのだ。
「僕はっ!」
とシンクレールがいきなり叫んだ。彼の頬は紅潮しており、目がギラギラと怪しく輝いている。いくらなんでも酔うのが早過ぎやしないだろうか。
シンクレールはびっくりするわたしにかまうことなく続けた。
「僕は、お前が信用出来ない!」
バッ、と突き出した指がヨハンを示している。
「奇遇だねェ。あたしもそこのペテン師は嫌いさァ」と魔女は落ち着いた口調で返した。
ヨハンはというと、へらへらと余裕な笑みを浮かべてワイングラスを傾けている。
「魔女さんも同じでしたか! そりゃいい!」
と喜ぶシンクレールに、魔女は淡々と言葉を重ねる。
「坊やとは違う理由さァ。同じにしてもらっちゃ困る。あたしはそいつのやり口が嫌いなのさァ。血は憎んじゃいないよ。同族だしねェ」
同族、という言葉にシンクレールは首を傾げる。薄く唇を開いて、なんのことやら分からないといった具合だ。
そういえば、シンクレールは知らないのか。『毒食の魔女』にはヨハン同様、半分は人外の血が流れていることを。
魔女は素っ気なく言ってのけた。
「あたしはペテン師と同じく『黒の血族』さァ。半分だけ、ねェ」
シンクレールの顔に浮かんだのは、まず唖然。次に、嫌悪感たっぷりな憎しみの表情。最後に、きつく目をつむって顔を覆った。
こうして『黒の血族』二人と呑気に食事をしていた事実が彼を苛んでいるのだろうか。それとも、あのときわたしの側についたことを激しく後悔しているのだろうか。
「クロエ」と、彼は沈んだ口調で呟いた。「やっぱり君は、魔王の味方なんだね」
シンクレールは顔を覆ったままで、どんな表情をしているのか分からない。
彼の言葉は間違っていたが、いたしかたない考え方ではあった。『黒の血族』は魔王の類縁者と言われている。そんな存在を頼っている以上、わたしが魔王の味方だと認識されるのは自然なことだ。
けれど、そう誤解されたままだと今後に響くし、誠実な態度ともいえない。彼は勇気を振りしぼってわたしの味方になることを選んだのだ。言葉を尽くして真実を伝えるのが正しい。
「シンクレール。一度話したかもしれないけど、わたしは魔王の味方なんかじゃない。……あなたにとって今の状況は異常に思えるかもしれないけど、わたしは間違いだなんて思ってないわ。魔王と――裏切り者の勇者を倒すためならどんな手段でも使うしかないの。それこそ、血族の力を借りても」
はたして自分が手段を選ばないほど冷徹になれているかどうかはさておき、覚悟としては間違いなかった。こうでもしなければ連中に対抗なんて出来ない。
シンクレールは腕をだらりと下げ、けれども顔はこちらへ向けた。その目は真剣で、なんの偽りも感じない。
「どっちでも、いいんだ。君の言葉が嘘でも本当でも。……僕はね、クロエ。君が魔王の手先だったとしても、そばにいたい。騙されていることを薄々理解しながら、貫くような寂しさに身を震わせながら、それでも君の信念を否定したくないんだ」
ならわたしの言葉を信じてよ、と言いたかったが、今の彼にぶつけるべきだとは思わなかった。
わたしが何者であろうとも、ついていく。その宣言をありがたく思わないわけがない。
「ありがとう、シンクレール」
彼はニッコリと微笑んで、それから天井を仰いで首を傾げた。まだ酔っている様子である。
「それにしてもどうして真偽師を騙せたんだろう」
そうか。彼は二重思考のことを聞いていないのか。わたしとヨハンが洞窟で話している間、ぐったりと眠っていたのだから。
「「それは」」
わたしとヨハンの声が重なる。
そして、沈黙。まったくもって気まずい。
「ヨハン、あなたが話して」
それが一番に決まっている。ちょうどここには、真偽師よりも厄介者であろう魔女がいる。嘘や飾りで誤魔化そうとはしないだろう。
ヨハンは軽く頷いて語りはじめた。
「――とまあ、こんなところです」
ひと通り話し終えると、ヨハンはワインを喉に流し込んだ。空になったグラスにウィンストンが追加を注ぐ。ニヤニヤと会釈を返すヨハンは、どこまでも余裕たっぷりだ。
話を聞いたシンクレールはというと、眉間に皺を寄せて腕組みしている。
信じたくない。そんな思いが表れている。
「それが本当なら、魔具制御局はやりたい放題やってることになるじゃないか。真実を捻じ曲げられるのと同じなんだから」
確かにそうである。真偽師は絶対の存在とされてきたのだ。魔具制御局が二重思考での突破方法を知っているとすると、とんでもない不正があってもおかしくない。
しかし……わざわざ不正をする必要があるだろうか。そもそもの話、制御局は王城の統治から完全に独立した組織である。王城は騎士団含め王都全域の自治を、制御局は魔術と魔具の統制をそれぞれ担っており、互いに干渉することはない。それが『良き統治』とされていた。権力を分散するためだとかなんとか……詳しいことは知らない。
いずれにせよ、そうやって互いの影響範囲が決まっているなら制御局側が好き放題出来るはずもないし、その必要性も見出せない。
シンクレールは陰謀論が好きらしく、考え込むような表情で口元に手をやり「そうだ、間違いない」なんてぼそぼそ言っている。
「魔具制御局長が表に姿を現さないのも、それが関係しているのかもしれない」
なにがどう関係しているというのだ。まったくもって論理の筋が通っていない。局長の姿はわたしも一度だって目にしたことはないが、そもそも制御局自体が拠点を秘匿しているのだ。
理由は、ならず者からの襲撃を避けるため。そんな地下組織のリーダーがおいそれと人前に出るはずがないし、もし会っていたとしても局長だとは分からないだろう。
「シンクレール……酔うと滅茶苦茶なこと言うのね」
「失敬な!」と彼はカラカラ笑う。わたしに呆れられることが愉快でたまらない、といった感じである。
「さて、愉しい晩餐もお開きにしようかァ。その坊やにこれ以上飲ませても、床を汚されそうだしねェ」
クスクスと笑う魔女と、その背後に佇むウィンストン。ジェニーは酒瓶を両手に抱えて奥へ引っ込んだままだ。
立ち上がりかけて、ぞわり、と異様な気配を感じた。
魔力ではない。
魔物の気配でもない。
なにか、悪い予感――殺気とでも言うような感覚。
刹那――ウィンストンがナイフを取り出し、魔女の首筋に振り下ろした。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。現在はナンバー4。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。詳しくは『169.「生の実感」』にて
・『ジェニー』→『毒食の魔女』の邸にメイドとして住み込む少女。愛嬌たっぷりで天真爛漫。語尾に「にゃ」を付けて喋る。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『ウィンストン』→『毒食の魔女』の邸の執事。丁寧な口調の壮年男性。ジェニーとは犬猿の仲。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『真偽師』→魔術を用いて虚実を見抜く専門家。王都の自治を担う重要な役職。王への謁見前には必ず真偽師から真偽の判定をもらわねばならない。ある事件により、真偽師の重要度は地に落ちた。詳しくは『6.「魔術師(仮)」』『261.「真偽判定」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて
・『魔具制御局』→魔具を統括する機関。詳しくは『6.「魔術師(仮)」』『196.「魔具制御局」』にて
・『二重思考』→魔具職人のコーティング技術が外部に出回らないように使用されている魔術。あくまでも噂であり、全貌は不明。記憶の一部を思い出せなくする魔術、とされている。詳しくは『26.「アカツキの見る世界」』『257.「すべては因果の糸に」』『271.「二重思考」』にて
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




