276.「その目が覚めるまで」
一連の顛末を、嘘偽りなく語った。
邸を出てからのこと。
謁見の様子。
そしてヨハンの裏切りと、彼との契約。
ノックスの回復と、わたしの死が定着するまでの間かくまってもらうことを期待してこの場所を目指したことまで、すべて。
魔女は一度も口を挟まず、静かに聞いてくれた。その態度が影響しているのかは分からないが、不思議と素直に打ち明けることが出来たのだ。
語り終えると、紅茶はすっかり温くなっていた。けれども、この温度のほうが飲みやすい。
「これで全部。言い残した部分はないわ」
魔女の未来視は、『黒の血族』が関わると不明瞭になると聞いている。多少脚色しても見抜かれることはないだろうけど、全部を語った。
「それで、後悔してるかい? あの子を連れて行って」
「後悔してるけど……同じ場面に直面したら、同じことをすると思う」
魔女は薄く笑い、窓の外を見つめた。陽はまだ傾いていない。
「ひどい保護者だねェ……。まァ、あの子がそう望んだんだから、お嬢ちゃんばかり責めたってしょうがないねェ。それにしても、やっぱりアイツはクズだったってわけだ」
アイツ、とはヨハンのことだろう。
「あなたはヨハンの正体を見抜いていたの?」
「見抜いてたさァ。アイツがこれからどんな地獄を展開するのかも、ぼんやりとは分かってたよ。――あたしを責めるかい?」
真っ直ぐこちらに顔を向けた魔女に、首を振って否定した。「いいえ。だってあなたは言ったじゃない。『自分は誰の味方でも敵でもない』って。あなたの態度を責めるのはエゴよ」
彼女は彼女の利害にもとづいて行動するのだ。それに、あのときわたしにヨハンの正体を打ち明けていたとしたら、彼はきっと黙っていなかっただろう。ニコルとの契約を果たせなくなる可能性だって出てきたに違いない。そうなったら命がけで魔女と対峙し、ろくでもない戦闘が繰り広げられたかもしれないのだ。そんな面倒、魔女にとってもごめんだろう。
「ヨハンが、ノックスをこの邸に置いていくように勧めたのって……」
ふと思い浮かんだままを口にした。あのときのヨハンの提案は、ノックスを殺したくなかったからかもしれない。
魔女は鼻で笑い、紅茶をひと口だけ飲んだ。
「さァ、知らないねェ。あたしは心まで読めるわけじゃない。あのペテン師が子供を殺したくなかったのかもしれないし、単純に標的を減らしたかっただけかもしれない。いずれにせよ、事実を見るべきさァ」
結果としてヨハンの転移魔術はノックスに危機をもたらした。
そうなることを知って、転移させたのだ。
「あの子は大丈夫さァ。死にはしないよ。ただ……かなり危険な状態だったのは事実だねェ」
ぎゅっと唇を噛んで、頭を下げた。「……ありがとう」
「礼がほしくてやってるわけじゃない。勘違いしないでほしいねェ。言ったろう? あたしは珍しい物が好きなだけさァ。この世からあの子が消えたらつまらない。それだけの理由」
本当にそうなのだろうか。魔女は決して嘘をつかないと以前言ったが、別の本心があるのかもしれない。
二重思考ではないが、それに近い感覚になることだってあるだろう。ひとつの物事に単一の感情だけを抱くなんて稀なのだから。
「それで、お嬢ちゃんはこれから例のペテン師と手を組んで悪党退治をするわけかい」
「ええ」
「ふぅん」と魔女はあまり関心なさそうに返した。
魔女は、自分の利害のみを追求する。それは理解していた。
けれど――やっぱり期待してしまう。
その強大な魔力と未来を見通す力があれば、ニコルと対等か、もしかしたらそれ以上になれるかもしれない。
「お嬢ちゃんがなにを目論んでるかは分かるよ。……いいかい。あたしはあのペテン師の汚らしい契約に付き合うつもりはないねェ。つまり、どういうことか分かるだろう?」
魔女は鋭い目付きでこちらを見据えた。射抜くような眼光である。
「ええ……分かったわ」
魔女には、ヨハンの契約に関しても打ち明けたばかりだ。彼との契約条件に、秘密を持つことは含まれていない。
魔女がわたしの協力者になれば、契約は彼女にも伝染するだろう。彼女はそれを拒絶しているのだ。
かといって、契約がなければ協力してくれたかどうかは怪しいものである。考えても仕方のないことだけれども。
「……そう気落ちするもんじゃないよ。困ったら頼ればいいじゃないか。入り口が開いているかどうかは保証しないけどねェ」
場合によっては、今回のように迎えを送ることなく黙殺するというわけだ。
残酷だとは思わない。あまりにも特殊な事情なのだから。
「そう言ってくれるだけで嬉しいわ」
魔女は長いまばたきをひとつして立ち上がった。そしてこちらに背を向ける。
「ついておいで。あの子を見ておきたいだろう? あたしが八つ裂きにしてないかどうか知りたくないかい?」
「ええ、そうね」
八つ裂きだなんて、魔女も冗談を言うのか。
彼女のあとについて、別室へのドアをくぐった。
そこは魔女の寝室らしい。彼女の体躯に合った大きめのベッドにノックスが寝かされていた。
ベッドサイドには小ぶりのランプが、橙色の光をこぼしている。窓はあるようだが鎧戸を下ろしているらしく、夜のように薄暗い。
ノックスは洞窟にいたときより、確かな呼吸をしていた。寝顔も安らかである。
「あたしはまだなにもしていないさァ。ただベッドに寝かせただけ。魔力を抜くのも目覚めるのも、全部この子が自力でしなきゃならないのさァ。起きていれば手伝いは出来るけどねェ……この状態じゃ無理だ」
魔女の顔は、明かりの届かない暗闇に沈んでいる。彼女がどんな表情でそれを口にしているのかは分からなかったが、決してこの状況を喜んでいるわけではあるまい。
「迷惑をかけてごめんなさい」
「いいさァ。それを期待して来たんだろう? あたしだって嫌なら無視するよ。そこまでお人好しじゃないんでねェ。……まァ、この子が目覚めるまではゆっくり過ごすといいさァ。その傷だって完全に治っちゃいないだろう?」
「ええ……お世話になります」
頭を下げて見せると、魔女は小さく笑った。「ジェニーと一緒に雑用でもするといいさァ」
「そうさせてもらうわ」
前に会ったときから思っていたけれど、やっぱりこの人には敵わない。
魔女の部屋を出ると、廊下を掃いているジェニーを見つけた。
「ジェニーは働き者でおしとやかにゃ」なんて独り言を呟いてニコニコしている。本当に、不思議なほどふわふわした人だ。
「ジェニー」と呼びかけると、彼女はピン、と背筋を伸ばして会釈した。そしてまんまるな目をこちらに向ける。
「そうかしこまらなくていいのよ。誰だって失敗はあるんだし」
「でも、ジェニーはちゃんとするって決めたにゃ」
「そう? 今までだって働き者の頑張り屋さんだったんじゃないの?」
するとジェニーは「にゃにゃにゃ」と漏らして頭を抱えた。
「確かに、ジェニーは頑張り屋さんにゃ」
彼女の単純さに、思わず頬がゆるんでしまう。
「これからしばらくお世話になるかもしれないから、またよろしくね。手伝うことがあったらいつでも言って頂戴」
そう言って手を差し出すと、彼女は首を傾げた。
「その手はなんにゃ?」
「握手よ」
「悪臭? お掃除足りなかったにゃ?」
思わず笑ってしまった。「違う違う」
どうやらジェニーは本当に握手を知らないようだ。
彼女の手を取って、しっかりと握る。そして軽く上下に振ってみせた。
彼女は目を丸くして、されるがままになっている。
「これが握手。これからもよろしく、って意味」
「んにゃぁ」と鳴いてジェニーはほどけるような笑顔を見せた。「握手! 素敵にゃ!」
握手を知らない文化圏があるなんて知らなかった。やっぱり世界は広い。
ジェニーと別れてゲストルームに戻ると、ベッドに直行した。そして目を閉じる。理由はひとつだ。
夜が来れば、魔物が出る。魔女に任せたほうがいいのだろうけれど、役立たずでいたくはなかった。
それに、少しでも彼女の魔術を間近で観察し、得られるものがあれば、とも。
いまだ目覚めないノックスを想いつつ、まどろみに身を任せた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『ジェニー』→『毒食の魔女』の邸にメイドとして住み込む少女。愛嬌たっぷりで天真爛漫。語尾に「にゃ」を付けて喋る。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『転移魔術』→物体を一定距離、移動させる魔術。術者の能力によって距離や精度は変化するものの、おおむね数メートルから数百メートル程度。人間を移動させるのは困難だが、不可能ではない。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『二重思考』→魔具職人のコーティング技術が外部に出回らないように使用されている魔術。あくまでも噂であり、全貌は不明。記憶の一部を思い出せなくする魔術、とされている。詳しくは『26.「アカツキの見る世界」』『257.「すべては因果の糸に」』『271.「二重思考」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて




