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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第二章 第一話「再訪の地、半分の血」
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271.「二重思考」

 まず目に入ったのは、薄明りに照らされてぼんやりと光る紫水晶だった。


 次に、雫の落ちる音が一定のリズムで聴こえた。


 ここは一体どこなのだろう。その疑問は頭に定着せず、ふわふわと頼りなく消えていく。意識は曖昧(あいまい)で、身体の感覚も薄い。どうやら横たわっているようだが、記憶をたどるにも頭に(もや)がかかったように判然(はんぜん)としないのだ。


 ひとつずつ整理していこう。


 月夜と冷えた風。それは明確に残っている。


 そこでわたしはなにをしていたのか。


 涙と氷。


 その断片的な記憶が蘇り、はっとした。


 トリクシィとシンクレール。その二人に追われていたのだ。


 シンクレールが途中で味方になってくれたが、トリクシィには敵わなかった。彼の氷の魔術でトリクシィの動きを一時的に奪って、そして――。


「お目覚めですか、お嬢さん」


 不愉快な声……。もう丁寧(ていねい)に記憶をたどる必要はない。すべて思い出した。


 身を起こすと、背骨がバキバキと不快な音を立てた。どうやら洞窟の中で眠っていたようである。


 こちらを眺める不健康な骸骨顔の男――ヨハンにわたしは救われたのだ。彼と契約を結んで窮状(きゅうじょう)を脱し、この洞窟まで逃げ延びたというわけだ。


 辺りを見回すと、薄い呼吸を繰り返すノックスと気絶したように眠るシンクレールが転がっている。


 トリクシィから逃げるためにはヨハンの力を借りるしかなかった。その事実は舌を噛み切りたいくらい悔しかったが、この感情は越えねばならないものである。なぜなら、彼とは魔王とニコルの討伐までの付き合いになるのだから――。


 世界の半分を渡すことを条件に、ヨハンはわたしの契約に応じてくれた。そしてトリクシィから完全に逃げ切ることが出来たのである。


「どうやってトリクシィを追い払ったの?」


 我ながらトゲのある声がでた。


 最大の敵から逃げ延びたその方法を、実はまったく知らない。ヨハンが契約に応じ、二重歩行者(ドッペルゲンガー)でシンクレールを背負い、ノックスを抱き、そして彼自身はわたしを背負ってこの洞窟までゆっくりゆっくり(・・・・・・・・)運んだのである。


 道中(どうちゅう)、彼は仕切りに「追手は来ないですから、ご安心ください」と繰り返していた。亀のような歩みで、しかも魔力を存分(ぞんぶん)にまき散らしていたにもかかわらずトリクシィに追いつかれることはなかったのだ。ヨハンがなにかしたに違いないのだが、それを聞く余力はなく、洞窟に到着するや(いな)や眠ってしまったのである。


「なに、魔術ですよ」


「そんなこと分かってる。あなたには聞きたいことがほかにもあるのよ。真偽師(トラスター)(だま)した方法もそのひとつ」


 今後彼と協力していくほかない以上、手の内を知っておく必要がある。今までのように『秘密主義者だから』という理由で追及(ついきゅう)を諦めるわけにはいかない。彼が『黒の血族(けつぞく)』の血を半分受けており、ニコルと魔王に依頼されてわたしとノックスを徹底的に追い詰めた事実がある。いくら契約を結んだといっても、また裏切らないという確証はない。


 ヨハンは肩を(すく)めて、いかにも仕方なさそうに口を開いた。


「あの泣き虫な女性を退(しりぞ)けたのと、真偽師(トラスター)(あざむ)いた手段は同じですよ」


 同じ?


錯覚(さっかく)魔術でも使ったのかしら。でも、真偽師(トラスター)を欺けるような錯覚魔術なんて聞いたことがないわ」


「そうでしょうね。かなり珍しい魔術をブレンドしてますから」


「珍しい魔術?」


 ヨハンは(うなず)いて続けた。


二重思考(ダブル・シンク)。聞いたことくらいはあるでしょうね?」


 その名が彼の口から出るとは思ってもいなかった。


 二重思考(ダブル・シンク)という魔術について、わたしも知らないわけではない。ただ、実際にどういったものかは分からなかった。あくまでも噂の(いき)を出ない知識しかない。


 二重思考(ダブル・シンク)――魔具制御局が(ひそ)かに使用している魔術であり、主に魔具職人相手に使われる洗脳魔術であるらしい(・・・)


 職人はその性質上、重要な技術を握っている。それが外部に漏れ出たらそれこそ革命だのなんだの、物騒なことに結びついてしまう。なかでも特に、魔具の出力を安定させるコーティング技術は細心の注意を払って(あつか)われていた。


 魔具制御局は工房から一歩外に出た職人にコーティング技術を思い出せなくするために、二重思考(ダブル・シンク)(ほどこ)しているという噂だ。その魔術自体は読んで字のごとく、思考を二重化する魔術である。


 コーティング技術に置き換えると、こうだ。


 その技術を知っている自分と、知らない自分の両方を頭の中に作り上げる(・・・・・・・・・)。そしてそれらは、あるきっかけで切り替わるのだ。工房への出入りが、コーティング技術を知る思考と知らない思考を切り替えるスイッチとして機能している。一旦(いったん)切り替わった思考は、魔術を(ほどこ)す際に決定されたきっかけを()ないと永久に切り替わることはない……らしい。自覚的に思い出そうとしても不可能というわけだ。拷問にかけられても、決して思い出せない。


 そんな魔術である。


 本来は禁止魔術に指定すべき(たぐい)のものだが、魔術の規定を決定するのも制御局である以上、実質都合よく使えるというわけだ。その魔術の用法やかけ方は誰も知らない――はずだった。


「どこでその魔術を知ったの?」


 ヨハンはため息を漏らした。きっとわたしの態度がきつ過ぎるのだろう。自業自得だろうに。


「私は『黒の血族(けつぞく)』ですよ? 王都のルールには縛られちゃいません。しかしながら、あまりポピュラーな魔術でもないのでご安心を。実際、かなり負担のかかるものなんですよ」


「あなたの苦労なんて知らないわ。いいから、先を話して」


「はいはい……。二重思考(ダブル・シンク)真偽師(トラスター)を突破した原理は分かるでしょうね?」


 無言で頷く。


 もしヨハンが自分自身に二重思考(ダブル・シンク)をかけていたのなら真偽師(トラスター)にだって見抜くことは不可能だ。たとえば、自身が『黒の血族』であることを知らない思考に切り替わっていたのならどれだけ追求しようとも事実にはたどり着けない。


 しかし、疑問がひとつあった。


二重思考(ダブル・シンク)は、あるきっかけで自分の思考を切り替える魔術よね? だったら王を射抜いたときに真偽師(トラスター)が判断を誤ったのはおかしいんじゃない?」


 彼が真偽師(トラスター)の問いに答えてから矢を放つまで、ほとんど()はなかった。


「お嬢さんは二重思考(ダブル・シンク)を良く知らないようですね。いいでしょう、詳しく話しますよ。一応、仲間ですからね……」


 今の彼から語られる『仲間』という言葉には、どうしても嫌悪感を(いだ)いてしまう。


 ただ、(さえぎ)ってアレコレ言ったって仕方がない。無言で先を(うなが)した。


二重思考(ダブル・シンク)はその名の通り、二重の思考を持つ魔術です。両者が自分の内部に存在する状態ですね。他者からかけられた場合はお嬢さんのおっしゃる通り、きっかけがなければ切り替わりません。……ただ、自分で(ほどこ)した場合は別なんですよ。つまり自分自身が、決して暴かれない心の奥底で、もうひとつの思考に対して(ささや)きかけている状態です。片側の思考を忘れることはありませんし、だからといって表に出ている半分が嘘というわけでもありません。二重思考(ダブル・シンク)とは、二者の真実を本心から両立させる魔術、と言って伝わりますか?」


「……分かるわけないじゃない」


 ぐだぐだと話したと思えば、要領(ようりょう)を得ない内容である。


「まあつまり、嘘をついていることにはならないんですよ」


 こいつ、説明を投げたな。まったく……。


真偽師(トラスター)を突破した方法は分かったけど、トリクシィのほうはどうなのよ。彼女にわたしたちを殺したと思い込ませたの?」


「半分正解です。ただ、それだけでは不十分だ。あらゆる洗脳魔術がそうであるように、二重思考(ダブル・シンク)も景色や経験の捏造(ねつぞう)には限界があります。どうしたって(あら)が出てしまいますからね。もし帰還したトリクシィさんが厳密な真偽(しんぎ)判定にかけられたら生存の疑いが残るでしょう。……私はそんな手落ちはしません」


 一旦(いったん)言葉を切って、ヨハンは不気味な笑みを浮かべて続けた。


「だから、錯覚魔術と組み合わせたんですよ。トリクシィさんはお嬢さんや坊ちゃん、そしてその青年を殺した光景を確かに見たわけです。疑いのない事実として――錯覚ではありますが――()り込み、二重思考(ダブル・シンク)で錯覚の強度を上げたわけです。鍵を二重にかけたと言えば分かりやすいですか?」


 まあ、なんとなくイメージはつく。


「トリクシィを出し抜いた理由は分かったわ。ほかにも気になることがあるから聞くわね。……ちゃんと答えなさいよ?」


 ヨハンはがっくりと肩を落として先を(うなが)した。そんな演技をしても、もう(だま)されない。


「あなたは魔王と契約していたのよね? わたしと……その仲間を殺すようにって」


「ええ、そうです」


血族(けつぞく)の力を使った契約が履行(りこう)されなかった場合、あなたは命を落とすはずじゃないの?」


 彼がこうして生きていることが不正の証にしか見えない。だって、わたしもノックスも、そしてシンクレールも生きているのだから。


「それは、賭けでした」


 言って、ヨハンは(はかな)げに笑った。「勝てる賭けだったから乗っただけですよ」


 そして彼は、魔王の契約を超越したロジックを語り出した。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。現在はナンバー4。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。詳しくは『169.「生の実感」』にて


・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙(じゅうりん)する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。傘の魔具「深窓令嬢(フロイライン)」の使い手。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』にて


・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食(どくじき)の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。


・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐


・『真偽師(トラスター)』→魔術を(もち)いて虚実を見抜く専門家。王都の自治を(にな)う重要な役職。王への謁見(えっけん)前には必ず真偽師(トラスター)から真偽の判定をもらわねばならない。ある事件により、真偽師(トラスター)の重要度は地に落ちた。詳しくは『6.「魔術師(仮)」』『261.「真偽判定」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『黒の血族』→魔物の()と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて


・『魔具制御局』→魔具を統括する機関。詳しくは『6.「魔術師(仮)」』『196.「魔具制御局」』にて


・『二重歩行者(ドッペルゲンガー)』→ヨハンの得意とする分身魔術。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて


・『二重思考(ダブル・シンク)』→魔具職人のコーティング技術が外部に出回らないように使用されている魔術。あくまでも噂であり、全貌は不明。記憶の一部を思い出せなくする魔術、とされている。詳しくは『26.「アカツキの見る世界」』『257.「すべては因果の糸に」』にて


・『禁止魔術』→使用の禁止された魔術。王都で定められ、王都の周辺地域にのみ浸透しているルール。


・『コーティング』→魔具の出力を整えるための技術。王都では魔具工房のみで継承されている門外不出の技術とされている。詳しくは『26.「アカツキの見る世界」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。

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