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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第一章 第九話「王都グレキランス」
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270.「契約」

 氷衣(グラス・ルジレ)。対象に氷をまとわせる魔術。その範囲や強度は術者の練度(れんど)依存(いぞん)する。


 以前のシンクレールはわたしの腕ごと凍らせる程度の精度しか持たなかったし、こっちの剣術や身体能力も見習いレベルだった。だからこその大失敗である。


 今、あのときのリベンジをしているのかもしれない。無論、相手はひ弱(・・)なグールではない。騎士団ナンバー3、落涙のトリクシィだ。


 けれど――こっちだってあのときのままじゃない。シンクレールは一流の魔術師に、そしてわたしは元ナンバー4の実力を得たのだ。


 今手にしている氷の大剣は、ひと目見ただけでも練度の高さが分かる。


「ああああああああああぁぁぁ!!」


「行っけえええええぇぇぇぇぇ!!」


 わたしの咆哮(ほうこう)とシンクレールの叫びが重なり合った。


 そして、渾身(こんしん)の力で(やいば)を振り下ろす――。


 瞬間。


 腕を中心に尋常(じんじょう)でない衝撃が広がり、先ほど受けた胸の傷がズキズキと痛んだ。砕けた氷がきらきらと宙を舞う。


 易々(やすやす)と対応出来る距離と速度ではなかったはずだ。傷を()ってなお最高速度で振り下ろした大剣が、どうして一瞬で粉々(こなごな)にされるのか理解出来ない。


 ――いや、本当は分かっている。認めたくないだけだ。


 トリクシィは氷衣(グラス・ルジレ)が展開されるのを目の(はし)(とら)えた瞬間に、深窓令嬢(フロイライン)迎撃(げいげき)する準備に入ったのである。即座(そくざ)に刃を引き、大剣を砕くことの出来る衝撃と速さを計算して、見事に振り抜いたのだ。


 彼女の反射神経と刃の重さ、そしてなにより経験によって砕かれたといえるだろう。


 目の前がスローに映る。踊る氷の破片も、夜風にそよぐ木々も、そして――追撃のために(せま)るトリクシィも。


 彼女の涙が(きら)めき、そして致命的な痛みがやってきた。


「クロエ!!」


 シンクレールの声が(かす)んで聴こえる。またしても真紅(しんく)の雫が散った。まぎれもなく、わたしの身体を流れていた血だ。トリクシィは当てつけのように、今度は逆側の肩から腰にかけて切り裂いたのだろう……走った痛みと、血の向きで分かる。


 騎士団ナンバー3。上位三名は不動と言われて(ひさ)しいが、やはり、その通りだ。こうして(やいば)()わすと理解せざるをえない。どうしたって勝てるビジョンが浮かんでこないのだ。


 背に鈍い衝撃が訪れ、口から血がこぼれた。


 そんなわたしを見下ろす、涙に濡れた顔。月が逆光になって、トリクシィはまるで人ならざる存在のように思えた。


 化け物。


 違いない。


「これで本当にお別れね、クロエさん」


 深窓令嬢(フロイライン)の先端が向けられる。


 トリクシィの言うように、ここで終わりなのかもしれない。決して認めたくないけど……(くつがえ)せるような状況じゃない。


 瞬間、彼女の顔の辺りで魔力が(はじ)けた。放射状に広がる真っ白な冷気――。


 まだシンクレールは諦めていないのだ。けれど、彼の抵抗さえトリクシィには届かない。彼女は余裕たっぷりに身をかがめて回避したのだ。ほんの一瞬で魔術が展開されたはずなのに……。異様な察知(さっち)能力と、判断の的確さ。


「シンクレールさん。あたくし、心の底から残念に思ってるのよ」


「うるさい!」


 空中で次々と冷気が(はじ)ける。しかし、そのどれもトリクシィに当たることはなかった。シンクレールも回避の難しい位置に冷気を(ほとばし)らせていたのだが、彼女の回避能力はそれを軽々と上回っている。


 トリクシィのため息と嗚咽(おえつ)が、(かす)かに聴こえた。


 彼女とシンクレールとの距離はおよそ五メートル程度。


 まだ致命的な距離ではない――はずだった。


 シンクレールの(うめ)きが響く。絶叫を噛み殺すような、苦悶(くもん)(あえ)ぎ。


 トリクシィはまばたきほどの合間に、一気に距離を詰めてシンクレールを貫いたのだ。深窓令嬢(フロイライン)を持ち上げる彼女と、身を貫いた傘を掴んで荒い呼吸を繰り返すシンクレールが見える。


 わたしはなにを勘違いしていたのだろう。シンクレールと一緒ならトリクシィ相手にも善戦出来ると踏んだのが間違いだったのか? それともやっぱり、わたし自身の力が圧倒的に足りないのだろうか。


 騎士時代の夜。


 そしてここまでの旅。


 必死で実力を(みが)いてきた。


 肉体と精神を()り減らし、それでも決して歩みを止めなかったのだ。


 それでも敵わないとなると――。


「僕は――負けない!!」


 シンクレールは血を吐きながら、それでも声を張り上げた。


 ……そうだ。まだ終わってない。生きているじゃないか。わたしも、シンクレールも。そして、ノックスも。


 出来ることなんてないかもしれない。それでも、道を見つけて歩まねばならないのだ。


健気(けなげ)な人たち……。そんなに王都が憎いのかしら。哀しいわ。さあ、串刺(くしざ)しのシンクレールさん。あなたから先に――」


 直後、シンクレールの呟きが、はっきりと耳に届いた。


氷獄(コフィン)


 絶望にも、痛みにも、恐怖にも()き消されなかった彼の勇敢(ゆうかん)さの結晶……そう思わずにはいられない。


 氷獄(コフィン)


 それは本来、防御のための魔術である。対象を氷の箱で(おお)って身を守る。全身を凍らせるのだが、命を奪うような力はない。氷が破壊されるか、時間が経って魔術が解除されれば無事氷獄(コフィン)から出ることが出来る。その強度は高く、防御魔術としてはかなり上等な部類に入る。


 そして――全く別の使い方も出来るのだ。『毒食(どくじき)の魔女』がやって見せたように。


 トリクシィの全身は、今や分厚い氷に(おお)われていた。シンクレールを貫いた深窓令嬢(フロイライン)の先端だけが氷の箱から露出している。


「シンクレール――!!」


 呼びかけると同時に、彼の身体が地に落ちた。傘の先端を(みずか)ら抜いたのである。


 痛みを(こら)えつつ、彼のそばにしゃがみ込んだ。


「シンクレール……」


 彼は青白い顔で、微笑んで見せた。まだ死んでいない。出血だって、器用なことに自分の凍結魔術で止めている。ただ意識は途絶(とだ)えがちなのか、目は(うつ)ろだった。


「絶対に、死なせない……!」


 ここでシンクレールを死なせるわけにはいかない。わたしを信じ、危険を承知(しょうち)で味方してくれたのだ。そんな真似(まね)、誰が出来るだろう。わたしは王都にとっても騎士にとっても裏切り者とされているのに……。


 氷獄(コフィン)(にら)む。泣き顔のままのトリクシィは、凍っていても威圧的(いあつてき)だ。


 いずれこの魔術が解除されれば、わたしもシンクレールも、そしてノックスも皆殺しにされるだろう。


 なら、今出来ることはたったひとつだ。




 シンクレールを背負い、ノックスを抱き、夜の道を行く。月は皮肉(ひにく)なほど明るくわたしたちを照らしていた。どこにも逃げ場なんてないと言い聞かせるかのように。


 トリクシィの氷がどのタイミングで消えるかは分からない。だからこそ、一秒でも早く遠くへ行かなければ……。


 しかし半分以上、いや、九分九厘(くぶくりん)絶望していた。トリクシィの魔力察知は異常だ。それに、こっちは亀よりも遅いような歩みである。きっとすぐに追いつかれて、深窓令嬢(フロイライン)餌食(えじき)になるだろう。


 奥歯を噛み締めると、胸に激痛が走った。


 崩れ落ちそうになりながらも、決して倒れなかったのはどうしてだろう。


 シンクレールとノックスを死なせたくないから?


 自分が生きていたいから?


 それとも、ニコルに復讐するため?


 あるいは、王都を救いたいから?


 ……どれも本当だ。色々な理由がわたしを()っているのだ。


「なんだ、まだ生きていたのか。しかし、時間の問題だな」


 不意に声が聴こえ、足を止めた。辺りを見回しても人の姿はない。ただ――それが誰の声なのかはよく分かっていた。


「ヨハン……」


「ヨハンじゃない。メフィストだ」


 そんな違いはどうでもいい。本当はメフィストだろうと、わたしにとってはヨハンなのだ。


「ねえ、ヨハン。今どんな気分? わたしを地獄に蹴落(けお)とすのは(たの)しい?」


 返事はなかった。答える価値もない質問ということだろう。


「あなたはニコルとの契約でこうして……わたしを裏切ったのよね?」


「そうだ」


 契約。ああ、まったく。


 人を苦しめることになんの抵抗も感じさせない彼の口調が腹立たしい。契約なら、なにをやっても許されると思っているのだろうか。思い切り殴ってやりたい。


「それで、あなたは仕事の報酬としてなにを受け取るのかしら?」


「もうすでに受け取っている。お前が死ねば晴れて自由の身になれるのさ。馬鹿げた契約を繰り返して命を無駄に(おびや)かすこともなくなる」


 なにを受け取っているのか、についてはあまり関心がなかった。それ以上に、彼が口にした自由(・・)という言葉が引っかかる。


 もうすぐトリクシィが自由になるだろう。そうなれば一巻の終わりだ。


 今、わたしに出来ることはなんだ。


 この、憎んでも憎んでも()てがない裏切り者に怨嗟(えんさ)の言葉をぶつけるのが精一杯だろうか。


 二人を生かすために、そして、ニコルと魔王を討つためにわたしが出来るのはそんなことなのか?


 ――違う。


「ねえ、ヨハン。ひとついいかしら?」


「何度言ったら理解する? 俺はメフィストだ。……まあいい。なんだ。(うら)(ごと)なら聞き流すだけだぞ」


 そうに違いない。


 恨み言なんて、まったく、くだらないじゃないか。


 わたしはこれから、とんでもない強敵を相手に立ち回らなければならない。生き延びるということはそういうことだ。正しさだけで、果たして勝てるのか。その答えは今の状況が雄弁(ゆうべん)に物語っている。


 けれどわたしは、感情や衝動をなくすことなんて出来ないし、倫理(りんり)を無視するなんてもってのほかだ。


 それでも……踏み越えなければならない。


 黒く(ゆが)んだ道であっても、冷酷に、正義を押し殺して歩むべきときはある。


「ヨハン――わたしと契約しなさい」


 静寂が広がる。木々のざわめきが耳に痛い。


 やがて、嘲笑(あざわら)うような声が返ってきた。


「契約? 馬鹿な。俺になんのメリットが――」


「魔王とニコルを討ち倒したら、報酬としてあなたに渡したいものがある」


「なんだ?」


 彼が本当に望んでいるものはなにか。そんなものは分からない。


 けれど……。


 ハルキゲニアで彼はなにを口にしたか。望んでいるにせよ、いないにせよ、考えなしに出てくる言葉ではなかったはず。


 それなら、その一点に()けるべきだろう。


「世界の半分をあなたにあげる」


 また一瞬の静寂が訪れ、直後、けたたましい笑いが響いた。


 それは地の底から響くような、心底(しんそこ)不気味な声だった。


「馬鹿馬鹿しい! なんの権限があってそんなことを口に出来るんだ。狂ってる!」


「あなたほど狂ってないわ。ヨハン――わたしは必ず約束を守る。いや、守らせるでしょう? あなたなら。さあ、返事を聞かせて」


 生きるか死ぬか。そのすべてが彼に(ゆだ)ねられているように思えた。


 やがて風が()ぎ、夜のしじまの中心で悪魔のような声が響いた。


「お断りです。今のお嬢さんにニコルや魔王を倒す力なんてありゃしませんからねぇ」


 ――氷の(はじ)ける音が、(はる)か後方で鳴った。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙(じゅうりん)する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。傘の魔具「深窓令嬢(フロイライン)」の使い手。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』にて


・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。現在はナンバー4。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。詳しくは『169.「生の実感」』にて


・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食(どくじき)の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。


・『メフィスト』→ニコルおよび魔王に協力する存在。ヨハンの本名。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』


・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐


・『毒食(どくじき)の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照


・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地

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