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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第一章 第九話「王都グレキランス」
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269.「後悔よりも強く」

 わたしを(かば)うように立つ、その背。脅威(きょうい)退(しりぞ)けるべく伸ばされた腕と、その先から(ほとばし)った氷と風の魔術。シンクレールの身体は、ほんの少しだけ震えていた。


「シンクレール……」


 呼ぶと、彼はくしゃくしゃと髪を()き上げた。荒い息づかいが聴こえる。


「どうかしてるよ、本当に……! きっと後悔するに決まってる!」


 まるで自分に言い聞かせるような言葉だった。彼の中で感情がせめぎ合っているのだろう。


 わたしは……シンクレールが助けてくれることを期待していた。それは事実だ。


 けれど、こうして混乱の渦中(かちゅう)に立つ彼を見て、ずきん、と胸が痛む。


 感謝と罪悪感。そのふたつが心を突き刺している。


「シンクレール――ありがとう」


「もうトリクシィの言いなりになるのも、君を疑うのも、嫌なだけだ! 自分自身から目を()らして生きていくくらいなら――どんなに馬鹿げていても、君と一緒にどこまでも落ちてやる!!」


 シンクレールの叫びが夜を裂く。それは勇敢(ゆうかん)な言葉には違いなかったが、投げやりと紙一重(かみひとえ)なのではないだろうか。


 いや、それでも、いい。


 こうして途方(とほう)もない危険を()って――きっと、騎士という立場を失う覚悟で――立ってくれている。


 (はる)か先で、純白のワンピースが揺れた。夜に溶けるような藍色(あいいろ)の髪が踊る。


「シンクレールさん。ご自分がなにをしているか理解しているの?」


 甘ったるく、間延(まの)びした涙声(なみだごえ)。それまでの雰囲気とは少し違っている。シンクレールの攻撃が、彼女の中にあるなにか(・・・)のスイッチを押したのかもしれない。


「今なら許してあげるわ。戻って頂戴(ちょうだい)、シンクレールさん。ねぇ、今ならこのことは内緒にしてあげる。……もちろん、お仕置き(・・・・)はしなきゃならないけど」


 彼女の言うお仕置き(・・・・)がなにを意味しているのか……考えるのも嫌だった。苦悶(くもん)の絶叫の中心で、せっせと拷問(ごうもん)にいそしむトリクシィの姿が目に浮かぶ。


 シンクレールは一瞬だけ()を置いて、()えた。


「誰が戻るか! 僕はもう後戻りなんてしない!」


「馬鹿ねぇ。可哀想な子」


「そうさ! 馬鹿で、可哀想で、ちっぽけで、弱虫で、無力だ! けど、トリクシィ――君と戦うくらいなら出来る」


 ぞっとするほど冷たい沈黙が降りた。トリクシィは十メートルほど先で(たたず)み、無言で涙を流している。無表情の顔を(しずく)が濡らしてやまない。


 こんな状況になることをトリクシィは想定していただろうか。いや、きっとそんなイメージはなかったはず。彼女は自分の思い通りに周囲をコントロールして生きていくタイプの人間だ。そして彼女にとってシンクレールは、決して逆らわない忠実な奴隷……。


 トリクシィの不快感を想像し、嫌な予感が背筋を(おお)った。


「……シンクレール。勝算は?」


 小声でたずねると、彼は短く首を振った。


「あるわけないじゃないか。相手はあのトリクシィだぞ。勝てるだなんて思ってないさ……けど、これでいい」言って、シンクレールはこちらを振り向く。


 てっきり噛み締めるような苦しげな表情だと思ったのだが、そうではなかった。秋空(あきぞら)のような、晴れきった笑顔がそこに広がっている。


「クロエ。僕を置いて逃げてくれ」


 そして彼は、照れ臭そうに笑って続けた。「一回言ってみたかったんだ。さあ、あとは僕に任せていいからさ」


 風が吹き、彼が凍らせた傷口が内側でじんじんと痛んだ。


 シンクレールは覚悟を見せてくれた。武器を破壊された以上、すべてを彼に任せて逃げるのがベストだろう。彼ひとりの犠牲(ぎせい)でわたしとノックスはこのピンチを脱することが出来るのだから。運良く生き延びたら、それこそニコルと魔王を打倒するチャンスも作り出せるだろう。


 それが一番だ。


「クロエ?」


 シンクレールの隣に立ち、にっこりと笑いかけた。痛みでちょっと引きつってしまったけど。


「わたしも、言ってみたい台詞(せりふ)があるの――あなたをひとりには出来ない」


 瞬間、シンクレールの頬がパッと赤くなった。


「そ、それって――」


「ごめん、そういう意味(・・・・・・)じゃないの。ただ、仲間として置き去りには出来ないってこと」


 そう。元仲間として。そして、すべての危険を引き受けてここに立ってくれている彼をひとりにするなんて出来ない。


 逃げるのは一番賢い選択で、けれど、一番したくない。そしてわたしは、いつだって感情を優先して生きてきた。それで散々な目にも()って来たけど、後悔なんてしない。


 シンクレールはちょっぴり残念そうに微笑んで、それから鋭くトリクシィを(にら)んだ。


「僕はもう、君の言いなりになんてならない。自分で……選び取ったんだ!」


 トリクシィは静かに涙を流していた。なにも知らない人間が見たら、彼女は可哀想な淑女(しゅくじょ)として映るかもしれない。けれど彼女は恐ろしいまでの実力者であり、その(ほお)を濡らす雫は惨劇の前触れだ。


「そう……ご自分の意志で、王都を、騎士団を、そして――あたくしを裏切るのね」


「そうさ。それでかまわない」


嗚呼(ああ)、哀しくてたまらない……。仲間から二度も裏切られるなんて、あたくし……涙が止まらないわ」


 トリクシィはぼろぼろと涙をこぼしながら、傘をかまえた。


 シンクレールに大見得(おおみえ)を切ったものの、わたしにだって勝算はない。


 けれど――絶望なんてしない。隣には仲間がいて、後ろには守るべき子供がいる。


 しゃがみ込んで、サーベルの(つか)の部分だけ拾い上げた。そしてなるべく口元を動かさないように(ささや)く。


「シンクレール……あなたって記憶力は良いほう?」


「暗記は得意だよ」


「なら、思い出してほしいことがあるの。――魔物と戦ってる最中(さいちゅう)にわたしの手を凍らせたときのことを」


 シンクレールは、くすり、と(ひか)えめに笑った。そして大きく息を吐く。「まったく……君ってやつは」


 そしてわたしたちは(うなず)きを()わした。


「ひそひそとなんの相談をしてるのかしら。……まあ、いいわ。なにもかも許してあげましょう。だって、これから粛清(しゅくせい)しなきゃならないんだもの。憎んだり(うら)んだりするのは寂しいわ」


 一歩、二歩、と彼女は足を踏み出した。それに呼応するように、シンクレールの前に出る。そして、随分(ずいぶん)と短くなったサーベルを彼女に向けた。


「そんな破片でなにが出来るのかしら。クロエさん、貴女って本当に健気(けなげ)な人ね」


「丸腰よりはマシよ。それに、今はシンクレールがいる。あなたが手下みたいに(あご)で使って(たの)しんでた彼が、ね」


「あら、(ひん)のない言葉は嫌いよ」


 そう口にした直後、トリクシィが深窓令嬢(フロイライン)を引いた。そして前傾(ぜんけい)姿勢になる。


 ――来る。


氷の大地(グラス・ピトン)!」


 シンクレールの叫びが背後ですると同時に、トリクシィとわたしとを(へだ)てる地面にぽつぽつと魔力が輝いた。地面が次々と凍りついていく――。




 柄をかまえながら、昔のことを思い出した。


 確かあれは、わたしもシンクレールも見習い騎士だった時代のことだ。夜間の戦闘訓練を前にして、彼と作戦会議をしたのである。彼が後方で魔術を使い、わたしが前衛で敵を倒す。彼の氷の魔術はサポートにうってつけだったのだ。


 まず彼が、地面を凍らせてグールを転ばせる――。




 トリクシィは凍結していく大地の、まだ無事な部分を器用に選んで接近してくる。


「あたくしに氷の大地(グラス・ピトン)だなんて……随分(ずいぶん)と可愛らしい攻撃なのね、シンクレールさん。手加減してくださってるの?」


氷の矢(グラス・フレス)!!」


 またもシンクレールの叫びが響き渡り、今度はわたしの眼前に鋭い氷柱(つらら)が創られた。それらは息つく()もなくトリクシィへと(はな)たれる――。




 ――グールが上手く転んでも転ばなくとも、シンクレールの氷の矢(グラス・フレス)で弱らせる。




 トリクシィは傘を広げて防御壁を展開し、氷の矢(グラス・フレス)(しの)いだ。その歩みは決して止まらないどころか、すでにわたしを斬り裂ける範囲まで侵入していた。


「クロエさん――さようなら」


 防御壁が(たた)まれるや(いな)や、深窓令嬢(フロイライン)で斬撃を繰り出す。流れるような動きだった。防御から攻撃。(あざ)やかと言うしかない。


 だけど、見えてる。


 わたしは彼女の横薙(よこな)ぎを、跳び上がってかわした。そして、握った(つか)に力を込める。


「だから、そんな破片でなにが出来るというの?」


 涙に濡れたトリクシィの顔に、勝ち誇ったような微笑が浮かぶ。


 なにが出来るのか。


 決まってる。


 勝つための攻撃をするだけだ――。




 最後は、わたしの武器に氷をまとわせて攻撃する。


 ……完璧な作戦だと思ったのだが、結果は散々だった。武器に氷をまとわせる意味なんてなく、シンクレールの魔術練度(れんど)の影響で腕ごと凍らされてしまったのである。グールと、ほかの騎士たちに醜態(しゅうたい)をさらしたのだ。


 かじかんだ手を暖炉(だんろ)にかざした日を思い出す。二度とこんな馬鹿げた作戦はやるもんか、と誓ったのだ。




 あのときは後悔したのだが、今になって思うと――壮大(そうだい)な前振りだったのかもしれない。


 シンクレールの声が、夜を震わした。「氷衣(グラス・ルジレ)!!」


 トリクシィの目が見開かれる。


 その瞳には、巨大な氷の剣を振り下ろすわたしの姿が映っていた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙(じゅうりん)する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。傘の魔具「深窓令嬢(フロイライン)」の使い手。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』にて


・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。現在はナンバー4。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。詳しくは『169.「生の実感」』にて


・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食(どくじき)の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。


・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐


・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地

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