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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第一章 第九話「王都グレキランス」
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268.「深窓令嬢」

 落涙のトリクシィ。その戦闘方法は知っている。話にも聞いていたし、実際共同任務で目にしたこともある。


 傘の形状をした彼女の魔具――深窓令嬢(フロイライン)は三つの攻撃方法を持つ。そのひとつは――。


 トリクシィの(はな)った刺突(しとつ)を、サーベルで受け流した。鋭く、そして重い。(やいば)が激突した瞬間、火花が散る。


 トリクシィはそのまま流れるように斬撃(・・)を繰り出した。


 深窓令嬢(フロイライン)の力のひとつ。傘の周囲を魔力で(おお)い、さながら剣のような鋭い刃を(まと)わせる。傘自体のリーチも延長されるのでサーベルと同程度の有効範囲を持っているが、それ自体は決して強力な能力ではない。すべては使用者の剣術に(ゆだ)ねられるからだ。


 彼女の連撃を受け流し続ける。決して速くはない攻撃だが、一撃一撃が異様に重い。このまま剣戟(けんげき)を続けていて武器がもつのか心配になるくらいに。


 集中しろ。速さだけならわたしのほうが上だ。隙を見つけて高速の(やいば)を繰り出せばいい。


 しかし、状況はそれを許してくれなかった。トリクシィの刃はあまりに重く、そして回避の困難な箇所(かしょ)に集中している。(どう)への横薙(よこな)ぎ、袈裟(けさ)斬り、逆袈裟――身体の中心を(とら)えるような攻撃ばかり。加えて、次の斬撃までの()がほとんどない。踊るように繰り出される攻撃に隙は見られなかった。


 後ろに退()いて距離を開けようものなら、ノックスが奴の餌食(えじき)になることは目に見えている。なんとかこの強靭(きょうじん)な斬撃を大きく(はじ)ければ反撃のチャンスを掴めそうなものだが……難しい。まともに刃を受けることは出来ず、受け流すことしか出来ていない。


 このまま押し切られるか、それとも傷を()う覚悟で先手に回るか――いや、無謀(むぼう)だ。彼女の攻撃を一度でも受ければ致命傷は(まぬか)れない。


嗚呼(ああ)、哀しい。魔物に退治するための魔具で貴女を攻撃しなきゃならないなんて!」


 重たい金属音を裂くように、涙声が響き渡った。


「なら今すぐ攻撃をやめて頂戴(ちょうだい)


「駄目よ、任務だもの。嗚呼、なんて残酷なのかしら!」


 トリクシィが手心(てごころ)を加えるとは思っていなかったが、こうして容赦(ようしゃ)ない斬撃を受けていると心底(しんそこ)息苦しい気分になる。言葉とは裏腹に、致命傷を()わすために繰り出される攻撃ばかりなのだ。そのギャップが不愉快極まりない。


 今のところシンクレールに動きはないが、彼もいつ攻撃をしてくるか分からない。氷の魔術なんて使われたら対処は難しいし、なによりノックスまで巻き込まれてしまうのは明らかだ。今のうちにトリクシィだけでも無力化しなければ勝ち目はなくなる。これは焦りじゃない。妥当(だとう)な判断のはずだ。


 トリクシィの斬撃を受け流し、次の攻撃がくるまでのわずかな合間に集中力を一気に高めた。そして、サーベルを両手に持ち替える。


 彼女の袈裟斬りが放たれるのが見えた。その一撃に力が乗る前に、一気に――。


 トリクシィの袈裟斬り。そして、わたしの逆袈裟。彼女の斬撃は力が乗り切る前で、わたしは渾身(こんしん)の力を()めた一撃だった。


 二つの刃が(にご)った金属音を響かせる。これで(はじ)けなければ、勝ち目なんてない。


 トリクシィの刃は、力が乗る前にもかかわらずとんでもない重さだった。腕が悲鳴を上げる。骨が(きし)む。それでも、ここを突破口にしなきゃ駄目なんだ――。


 奥歯を噛み締めてサーベルを振り抜き――トリクシィの腕が大きく跳ね上がった。


 腕に痺れが広がった。だけど、今しかない。


 一歩踏み込むと同時に、サーベルを片手に持ち替えた。


 わたしの目は彼女の涙を(とら)えていたが、その周囲では現実には存在しない深紅(しんく)花弁(かべん)が舞っている。それは激しく踊り散って、(やいば)とリンクした。


 呼吸を止めると、腕の躍動(やくどう)と斬撃の軌跡(きせき)が一切の誤差なく一致する。


風華(かざはな)』。過集中による高速の斬撃。


 刹那(せつな)、トリクシィが一歩後退し――深窓令嬢(フロイライン)が開くのが見えた。


 ――火花が視界を(いろど)る。腕に広がるのは堅固(けんご)な手応えで、彼女の肌を裂くような感触は一切ない。


 深窓令嬢(フロイライン)の第二の力。傘を開くことによる防御壁の展開。いかに強力な魔物の攻撃であっても打ち破られたことはなかったはずだ。傘自体が半透明の素材なので、視界を(さえぎ)ることもない。


 つくづく、良く出来た魔具だ。


 防御壁を展開される前に傷を与えることが出来ると踏んでいたのだが……甘かった。こちらがトリクシィの手の内を知っているように、彼女もわたしの速さを把握(はあく)しているのだろう。即座(そくざ)に退いて防御壁を展開させた一瞬の判断力には、その事実が表れている。


 こうなると、次に来る攻撃は想定出来る。腕に負担をかけてまで作り出したチャンスを(ほう)り出してでも対処すべき攻撃が。


 トリクシィの傘が(ゆる)やかな回転をはじめたのを確認し、ノックスの前まで後退した。過集中を維持したままに。


 回転を速める深窓令嬢(フロイライン)に、防御壁とは別種の魔力がぽつぽつと凝固(ぎょうこ)する。そして――閃光(せんこう)とともに数えきれないほどの火の球が放たれた。


 ひとつひとつは小さいが、魔力の凝縮(ぎょうしゅく)度は高い。普通の魔物なら肉に食い込み、そのまま身を焼く灼熱(しゃくねつ)の魔球である。


 曲線を描いてこちらへと(はな)たれた火球。――ひとつたりとも回避してはいけない。わたしの背後にはノックスがいるのだから。


 舞い散る花弁(かべん)と火球の赤が重なり合う。腕の負担や呼吸の問題は度外視(どがいし)して(やいば)を振るい続けた。




「クロエさん、しぶといのね」


 トリクシィはボロボロと涙をこぼしながら呟いた。火球をすべて(はじ)き、彼女の攻撃が止まるとともに『風華(かざはな)』を解除する。呼吸は乱れきっており、ひと息ごとに肺が悲鳴を上げていた。


 何秒間トリクシィの火球を(はじ)き続けただろう。分からないが、それほど長い時間ではないはずだ。ただ、疲労は大きい。


 こんな状態のわたしとは打って変わって、トリクシィは余裕たっぷりに涙を流している。


 騎士団ナンバー3とナンバー4。その差は雲泥(うんでい)と言われていたことは知っていたし、わたし自身もある程度認めてはいた。非正規のサーベルを使っているとはいえ、これほどの実力差を味わうとは……。


「これ以上は可哀想だし、すぐに終わらせてしまいましょう」


 トリクシィの呟きが聴こえ、身構(みがま)える。彼女が一歩踏み出すとともに、袈裟(けさ)斬りが繰り出されるのが見えた――。


 対処が遅れたわけではない。疲労も腕への負担もあったが、全力で受け流したはずだ。最初の剣戟(けんげき)と同様に。


 それなのに。


 なんで――。


 目の前に、(やいば)の破片が(おど)った。


 肩から斜めに熱い痛みが広がり、深紅(しんく)の液体が舞う。


 サーベルを砕かれ、そのままの勢いで斬られたのだろう。寒気が全身に広がり、もはや形をなしていないサーベルが手のひらから落ちた。


 砕けるような前兆(ぜんちょう)はなかった。刃の(きし)みも、妙な剣戟音(けんげきおん)も一切ない。


 ただ、トリクシィの斬撃を受け流そうと刃を(まじ)えた瞬間、今までよりも重い衝撃が広がったのだ。


 ――彼女は本気で(やいば)を振るっていなかった。砕けたサーベルは、その事実を雄弁(ゆうべん)に語っている。


「残念ね、クロエさん。もうお別れの時間よ」


 トリクシィは嗚咽(おえつ)交じりに言う。


 きっと、そうなんだろう。ここですべてが終わってしまう。武器はなく、魔術だって使えないし、体術でなんとかなる相手ではない。殴りかかったら、拳が届く前に腕を切断されるだろう。


 今わたしに出来ることはなんだ。


 痛みに揺れる意識をなんとか繋ぎ止め、自分自身に問いかける。


 わたしに出来ることはなんだ。


 ここでなにもかも終わらせてしまわないために、出来ること――。


 トリクシィに背を向け、ノックスの身体を抱き上げた。それと同時に、すべての力を込めて地を()る。


 今は逃げて、ノックスの命だけでも繋がなければ――。


「シンクレールさん、貴方の出番よ」


 その声が聴こえた直後、足が動かなくなった。ノックスをかばうように身を(ひね)って、地面へ激突する。


 異常な冷たさを感じて足を見ると、薄い氷に(おお)われていた。


 振り返ると、シンクレールの突き出した手のひらに魔術の残滓(ざんし)があった。わたしの足を(こお)らせて動きを止めたということか。


 彼くらい器用な魔術師なら、動く相手でも正確に氷の魔術をかけることが出来る。そんなことくらいよく知ってるのに……。


 多分、期待していたんだ。心のどこかで、シンクレールだけは味方になってくれるんじゃないかと。


 これだけ手痛く裏切られたのに……馬鹿だ、わたしは。


 二人がゆっくりと()を進める。


 トリクシィの涙はいまだに止まらない。ひと晩中だって泣ける奴なのだ。


 シンクレールはというと、やはり苦々(にがにが)しい表情で目を()らしていた。


 トリクシィは歩みを止めると、なにか思いついたように手を打った。


「ねぇ、シンクレールさん。あたくしが終わらせても良いのでしょうけど、ここはやっぱり、一番のお友達だった貴方が(とむら)ってやるべきだと思うの。――それが良いわ! クロエさんのためにも、きっとそれが一番よ」


 視界が(にじ)んだ。


 情けない。ズタズタにされて涙を流すなんて。


 わたしの涙とトリクシィの涙。どちらも質的には同じなんだろうけど、意味はまったく違う。


 (うなが)されたシンクレールは、こちらに手のひらを向けた。


「シンクレール……わたしは殺してもいいけど、この子は……ノックスはなにも悪くないの……お願い」


 わたしの声は彼に届いただろうか。それすら(さだ)かではない。深い切り傷が、意識を朦朧(もうろう)とさせるのだ。


「クロエ。僕は君のことを信じていた。こんなことになってしまって、酷く残念な気分だよ……」


 シンクレールの手に魔力が(あふ)れ、わたしの胸に冷気が広がる。パキパキと、徐々(じょじょ)体表(たいひょう)が凍り付いていく音がした。


 彼の目には憂鬱(ゆううつ)な色が(しず)んでいた。


 シンクレールは今、どんな気持ちだろう。


 きっと最低な気分に違いない。だって、彼はこんなにも苦しげな表情をしているのだから。


「僕は優柔不断なところはあるけれど、物事は適切に判断出来るつもりでいたんだ。けれど――君のせいで全部台無しだ。なにを信じていいか分からない!」


 シンクレールが声を荒げるとともに、冷気が強まる。なにか言おうと口を開いたが、声は出なかった。


「君は王都を裏切って、僕も裏切った。全部事実だ! 全部、全部! これ以上ないくらい失望したんだよ! 僕が君に言った言葉――クロエを信じると言ったことも――なんて馬鹿馬鹿しいんだ!」


 シンクレールの叫びに、トリクシィが同調する。彼の背後に回り、その肩に手を()えて。「可哀想なシンクレールさん。貴方はなにも悪くないのよ」


「いいや、僕は――自分自身が一番許せない! なにを信じていいか分からないくせに、責任ばかりほかに求めようとする自分が、心底(しんそこ)嫌いだ! だから――僕は僕自身が口にしたことくらいは、責任を持たなきゃいけないんだよ!」


 シンクレールが(ほどこ)した氷の魔術は、実に奇妙だった。それは攻撃のはずなのに、わたしの傷口だけを凍結させたのだ。


 それから――シンクレールは振り向き、手のひらをトリクシィに向けた。


 彼女の瞳が大きく見開かれ、言葉が漏れる。「シンクレ――」


氷の息吹(グラス・スフル)!」


 彼の声とともに、トリクシィの身体が大きく吹き飛ばされた。


 呆気(あっけ)に取られ、言葉がぽつりと、無意識にこぼれ出る。「シンクレール……どうして」


 こちらに背を向けたまま、シンクレールは涙混じりに叫んだ。


「分からない! 自分でもどうかしてると思うさ! けど――君を信じると決めたんだ! 決めたんだよ!」


 自然と涙が流れる。それは先ほどまでの屈辱(くつじょく)と敗北の涙ではない。


 (ほお)を伝う熱の意味は、すでに変わっていた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙(じゅうりん)する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。傘の魔具「深窓令嬢(フロイライン)」の使い手。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』にて


・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。現在はナンバー4。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。詳しくは『169.「生の実感」』にて


・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食(どくじき)の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。


・『風華(かざはな)』→花弁の舞う脳内世界。集中力が一定以上に達するとクロエの眼前に展開される。この状態になれば、普段以上の速度と的確さで斬撃を繰り出せる。詳しくは『53.「せめて後悔しないように」』『92.「水中の風花」』『172.「風華」』にて

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