264.「信頼と真実」
「まずは……王様から賜りました短剣がここにないことをお詫びいたします」
王はやや目を伏せ、黙っていた。話の大筋を聞いているならば、その理由も察してくれるだろう。
王から授かった短剣――その魔具はニコルに奪われたままだ。
「確かです」と真偽師は短く呟く。
「短剣を授かってから魔王の城までの道中は、お話しすべき異常はありませんでしたので……城に到着してからのことを話します」
ちらと真偽師を見ると、彼はやはり「確かです」と短く挟み、先を促すようにこちらを見返した。
まだ彼が信用出来るかどうかは分からない。ともあれ、ここまでは真摯に役目を全うしてくれている。
気になるのは王の背後に佇む巨大な鎧男――スヴェルだ。いつ彼が動き出してもおかしくない。それなのに、どうして王はよりにもよって自分の背後に立たせているのだろうか。さっぱり分からない。
瞬間、ある閃きがわたしを貫いた。それはいかにもありそうなことで、そして、王都にとってあまりに致命的な可能性だった。
王は、勇者の裏切りまでは知らされていないのではないか。
先ほどジークムントからおおよその話は聞いていると言っていたが、内容を取捨選択されていたらどうだろう。たとえば、魔王が生存していることのみ伝わっていたら……。それは確かに大事であり、謁見してしかるべきである。
けれど、そうする理由はどこにあるのだろう。もしジークムントがスヴェルの手に落ちており、言うなればニコルの想定通りに物事が動いているのなら、その狙いは一体なんなんだ。国王ごと王都を破滅させようとしているのは分かるが、今この場で、というのはいくらなんでも不合理である。わたしを苦しませるため、と考えるにはあまりにスケールが大き過ぎる。
「どうした。続けよ」
王は厳かに、しかし疑るような目で言った。不信感を抱かせるわけにはいかなかったが、話の順序を置き去りにしてでも先に告げるべきことがある。
「王様……失礼を申し上げるようで大変恐縮ですが……今すぐ『王の盾』に離席を命じて頂けないでしょうか? これは急を要する――」
王は手を持ち上げ、わたしの言葉を遮った。
「ならん。スヴェルは最も信頼に足る人間であり、最大の戦力だ。離席なんぞ考えられん」
思わず奥歯を噛み締め、声を張り上げた。「命にかかわることなんです! 王様! ニコルは魔王と手を組んで王都を滅ぼそうと考えているんですよ! スヴェルが彼の仲間である以上、疑う必要があります!」
自分自身の叫びが広間にこだまして、消えていった。
王は威厳のある表情を崩さず、じっとこちらを見つめている。そこには驚きも落胆も、哀れみや呆れさえもなかった。
すべてを承知して挑んでいる、そんな雰囲気。
「すでに聞きおよんでおる。それでも同席させた意味が分かるか?」
それでも同席させた意味?
王は首をゆっくりと左右に振り、背後を――スヴェルを振り仰いだ。
「スヴェル。お主はなんのためにここにいる?」
「王をお守りするためです」
漆黒の鎧の奥から響いた声は重く、使命に満ちた従者のそれだった。
次いで王は、真偽師を見つめた。「スヴェルの言葉に偽りはあるか?」
「ありません。真実です」と真偽師は顔色ひとつ変えずに言い放つ。
……すると、スヴェルは裏切っていないのだろうか。それとも、この真偽師こそがスヴェル――そしてニコルの味方をして王都を陥れようとしているのだろうか。
「ただ」と真偽師は続ける。「先ほど謁見希望者が口にしたこともまた真実です」
おや、と思った。
もし真偽師が敵ならば、それを伝える意味なんてない。すると、彼はニコルと繋がっているわけではないのだろうか。
「ふむ」と王は息をつき、目をつむった。「クロエ。お主はスヴェルを敵だと言う。ただ、先ほどの言葉通り、スヴェルは決して裏切りなどせぬ。真偽師も認めておるように、だ。思うに、この二つは矛盾しないのではないか? スヴェルはグレキランスの守護者であり――極めて信じがたいことではあるが、ニコルだけが裏切り者とも考えられる。真偽判定にかつて誤りなどなかった。ゆえに、スヴェルを信じる」
わたしがスヴェルを敵だと思っていたのは勇者一行だったという理由のみで、それ以上の確証はなにひとつない。彼が裏切っていないのなら、それは歓迎すべき事実だ。
なら、ひとつ確認しなければならないことがある。
「王様。先ほどわたしが申し上げたことも同じく事実です。ここでひとつ、確かめたいことがあるのですが……よろしいでしょうか?」
「なんだ」
「魔王の城でなにがあったか、スヴェルに語ってもらうべきではありませんか? そこでなにが交わされ、ニコルが裏切りに至ったのか……差し出がましいようですが、王様も知っておくべき内容と思われます。勇者一行としてニコルと一年の旅路を歩んだのなら、きっとそのときのことも目にしているはずですから」
正直、賭けではあった。こうして玉座で王に何事かを要求するだけでも摘まみ出される理由にはなる。
ただ、すでに王はニコルの裏切りが真実であることを、真偽判定も含めて知ったのだ。たとえ謁見がここで終わろうとも、王に危機を報せる役目は果たしたことになる。
王はいかにも残念そうに首を横に振った。呆れているのでもなく、もちろん感心しているわけでもない、そんな具合に。
「スヴェルは魔王に倒され、意識を失ったのだ。彼が目を覚ましたのは魔王の城を出る寸前……仲間に背負われつつだった。つまり、スヴェルはお主の言う決定的瞬間とやらは見ていない。つまり、裏切ることも出来ない状況ということになる」
それならば、魔王が生きていることだって知らなかっただろう。あくまでニコルからそう伝えられていなければだが……。
真偽判定は絶対のものである。『王の盾』は『王の盾』のまま王都に戻り、こうして守護者を続けている。決して悲観すべき事実ではない。それどころか、戦力としては歓迎すべきだ。
「それならば、スヴェルさんは無実ということになりますね……。疑って申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げると、王は「面を上げよ」と呟いた。
王は厳粛な面持ちでこちらを見据えている。勇者の裏切りは確定したというのに――どこか疑いの残った様子だった。
「スヴェルは信用出来るが……お主の言葉は別物だ。だからこそ、こうして直接会っておる。有事にも対応出来るよう、スヴェルも同席させて、だ」
え?
真偽判定にかけられて、答えは出ているのにまだ疑われるとはどういうことだ。
「先ほど真偽師は真実だと仰っていたではありませんか――」
即座に真偽師が言葉を重ねる。「言葉のリードや語順によって意味が違うことも多々あります。だからこそ我々は慎重に真実を探ろうとしているのです。この段階で信用が担保出来たなどと思わないほうがいい」
彼の言っていることは正しいのかもしれないけれど、そんな悠長で勿体ぶった態度をして見せるなんてどうかしてる……。
不意に、ここまで黙っていた王子がくすくすと笑い出した。
「すっかり自分に利があると信じ込んでいるね、君。残念だけれど、信用出来るかどうかは今後の話で全然変わって来るんだよ。少し焦り過ぎてるんじゃない? まるで君が魔王の手下みたいに見えてならないよ」
汗が背を伝う。
まるで罠にかけようとでもしているみたいだ。
罠……。多分、王もそれを期待しているのかもしれない。彼はきっと、本心ではニコルを疑うなんて出来ないのだ。だからこそわたしの粗を探して、論理の穴がないかどうかを徹底的に調べるつもりに違いない。
今さらながら悔しくなった。
ニコルは王に認められ、晴れて魔王討伐の旅に出た有望な若者。そしてわたしは、騎士団で命を削って戦っただけの存在。どちらが王都を憎むかと言えば、後者の可能性が高いことくらい誰にでも分かる。
ここから信頼を積み上げていくしかないのだろう。それこそ、一から十まですべて話してでも。
「私にも口を開く機会をいただけますでしょうか?」
ヨハンの声が、静寂を切り裂いた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。
・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『スヴェル』→ニコルと共に旅をしたメンバー。近衛兵の指揮官。『王の盾』の異名をとる戦士。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『王城』~」』にて
・『真偽師』→魔術を用いて虚実を見抜く専門家。王都の自治を担う重要な役職。王への謁見前には必ず真偽師から真偽の判定をもらわねばならない。詳しくは『6.「魔術師(仮)」』『261.「真偽判定」』
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地




