263.「玉座と鎧」
「しかし、良く分からない人でしたね」
近衛兵がいるにもかかわらず、ヨハンは平然と言ってのけた。思わず兵士を見回したが、別段変わったところもないし苛立った様子もない。あくまで無反応を貫いている。
「ええ、ほんとに……」
微動だにしないその姿と、真偽判定が終わった後のあの表情……。仕事人にもほどがある。
「それだけ真面目な人なんでしょうね」とヨハンは達観したようにこぼした。
「そうね。危険な目にも遭ってるはずなのに、手加減なしって感じね」
真偽師は、跳ね橋の内側――つまり王城の敷地内に住居をかまえている。その理由はよく知られていた。
真偽判定にかけられる人間のほとんどは罪人である。その多くは投獄されるが、なかには資産を取り上げられるだけで済む者もいた。ならず者と手を組んだ有力者だったりするのだが、彼らは当然のごとく報復に出る。暗殺や拷問……そういった魔の手から逃れるために真偽師は王城のそばでささやかに暮らすらしい。街に出ることもほとんどなく、跳ね橋の内側で粛々と仕事をこなしていく……。
彼が去り際に口にした「悪く思うな」という言葉は、最大限の慰藉だったのだろう。他者の精神を切り開き、ときには踏みつけねばならないことを良く知っているからこその言葉だ。
ジークムントという真偽師の人生を想い、なんだか切なくなった。籠の鳥とまでは言わないが、不自由で苦しい生き方だろう。人に憎まれて生きていくというのが半端な覚悟では務まらないことくらい想像出来る。
そういえば、わたしも少し前まで似たような立場だった。騎士団として夜を切り抜け、決して王都の外に出ることなく一生を戦いに捧げるものとばかりに思っていたのだ。それがこうして、憎むべき因果で外の世界を旅してきた。
我が事ながら奇妙である。
「しかし……なんだか寂しいですなぁ」
ぽつり、とヨハンが呟いた。彼の横顔には憂いが満ちている。
「……契約が終わるのが?」
おそるおそるたずねると、彼は曖昧に頷いた。
これ以上わたしに協力するつもりはないということだろうか。もちろん、それは否定すべきではない。ここまで多くの危機を彼の力で乗り切れたことは事実だが、だからといってこれからも力を貸してくれるとは限らないのだ。
期待していなかった、と言えば嘘になるけど……。なんとなくだが、これからも隣には飄々と笑う不健康な骸骨顔があるのだと思っていた。
彼の意志を無視するほど傲慢ではない。けれど、もしこの先があるのなら――わたしはどんなに助かるだろう。
急に胸が苦しくなって、口を開いた。
「もしあなたがこれからも――」
扉が開かれて、言葉が遮られる。
「お迎えに上がりました。玉座まで案内します」
重厚な鎧姿の近衛兵は、よく通る声で言う。
話は後にしよう。もし『王の盾』と戦闘にならなければ、いや、なったとしても……きっと話は出来る。
幅広な廊下に出てすぐに階段へ向かい、城内を上へ上へと進んでいく。
踊り場のステンドグラスから射し込む午後の陽射しが温かい。銀の手すりも、頭上にかかるランプも、染みひとつないように見えた。
やがて、街道ほどの幅の廊下に出た。真紅の絨毯が敷かれ、左右には等間隔に巨大な窓が並んでおり、そこからの眺望は見事だった。城下の町並みが、外壁までずらりと見渡せる。街路を縫って流れるささやかな川も見えた。
今、この大都市には多くの人々が生きており、それぞれの幸福や笑み、悲哀や苦痛がある。それを丸ごと消し飛ばすことがどれだけ罪深いだろう。
大好きな人や、あまり好ましくない人。大切な思い出や、忘れ去りたい記憶。わたしにとって決して失いたくない青い時代を過ごしたこの場所――。
それはニコルにとっても同じではないのだろうか。
「お嬢さん」
ヨハンに呼ばれて、窓際で足を止めていたことに気が付いた。
小走りで追いつき、首を横に振る。
ニコルがどう思おうとわたしは王都を守りたいし、それに賛同してくれる人がここにはたくさんいるだろう。充分だ。それで充分。
廊下の両脇に近衛兵が整列し、その先に金縁の大扉が控えていた。
この先に王がいて、一旦の決着がつく。もちろん、上手くいけばだ。
王の隣に佇んでいるであろう鎧の大男を思い描き、拳を握りしめた。
やがて大扉が開き、煌びやかな光が降り注いだ――。
廊下より一段質の高い同色の絨毯が敷かれた部屋。左右には、両手持ちにした剣を胸の前で真っ直ぐ天に向けた近衛兵がずらりと並んでいる。
その奥――玉座に王がいた。
もう老人と言っていい年齢だったがその眼光は鋭く、威厳に満ちた顔付きである。王冠は戴いていなかったが、主義の問題だろうか。
がっしりとした体つきと見事な白の短髪、そして整った髭は同じく真っ白だった。
質実剛健。そんな姿である。
彼の右隣にはふわふわしたマントを羽織った少年がむっつりと口を尖らせて立っている。確か、王子だったはず。あまり人前に出ないので印象は薄いが、幼いながら次期国王として囁かれている人物である。見る限り、ノックスと同じくらいの歳だろう。
そして王の左隣にいるのは紫のローブを纏い、髪を左右に撫でつけた有能そうな男である。わたしよりもひと回り年上といったところか。彼の身体に溢れる魔力から鑑みるに、謁見の場を取り仕切る真偽師に違いない。ジークムントと同じく、動揺や混乱とは真逆の人間に思えた。
そして玉座の真後ろに――奴がいた。
二メートルを超す巨躯。漆黒の鎧と、同じく黒の大斧。
『王の盾』スヴェル。
勇者一行のひとりであり、最も王に近く、そして嫌疑をかけられてしかるべき人間……。
王の耳にニコルの裏切りは伝えられているのだろうか、と不安になる。さすがに事前情報なしに謁見するとは思えないが、だとしたらスヴェルを同席させる意味はどこにあるのだろう。
玉座の前まで歩み出ると、片膝をついて頭を下げた。ヨハンとノックスもそれに倣う。
さて……王にどう語るべきか。そして、スヴェルをどうすべきか。奴の動向はもちろん、真偽師にまで注意を払う必要がある。彼の判定次第で物事は大きく変わってしまうのだから。
「この度は謁見の機会を頂き、恐悦に存じます」
こんな感じでいいのかな、と不安に思いつつ慣れない言葉を口にした。
すると、真偽師が薄く口を開いた。
「敬意はあるようですが『恐悦』と言うにはほど遠いですね。なにか別のことを気にしているに違いありません」
正確な判断ではあった。とはいえ、いちいち彼が判定し、それを伝えた上で話が進んでいくとなると悠長過ぎる。今すぐにでもニコルの裏切りを叫び、スヴェルから離れさせなければならないのに……。
一拍置いて、低く、朗々とした声が響く。「面を上げよ。跪かなくとも良い」
王の言葉でわたしたちは立ち上がった。
「ジークムントから話は聞いておる。随分と大きな話を持ってきたな……。軽々に信じるわけにはいかないほど大きな話だ」
信じて送り出し、見事に役目を全うしたはずの勇者の裏切り。そして彼が王都を壊滅させようとしているとなれば、大事なんて簡単には言えない。王都を、いや、世界を揺るがす大事件だ。
「存じております。恐縮ですが、王様に報せる必要があると確信し、馳せ参じた次第でございます」
我ながらむず痒い口調だ。慣れない感じが全面に出てしまっていることだろう。こんな状況だからかヨハンは黙って真面目な顔をしていたが、内心では面白おかしく思っているに違いない。
「道中の苦労をねぎらう前に、すべてを話してくれんか?」
無論、そのつもりでここまで来たのだ。
心を落ち着かせ、王を真っ直ぐに見据えて息を吸った。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『スヴェル』→ニコルと共に旅をしたメンバー。近衛兵の指揮官。『王の盾』の異名をとる戦士。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『王城』~」』にて
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。
・『近衛兵』→グレキランスの王城および王を守護する兵隊。
・『真偽師』→魔術を用いて虚実を見抜く専門家。王都の自治を担う重要な役職。王への謁見前には必ず真偽師から真偽の判定をもらわねばならない。詳しくは『6.「魔術師(仮)」』『261.「真偽判定」』
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地




