262.「まばたき」
ニコルとの結婚生活――そんなものない。確かに城までの道中は幸せに溢れていたが、所詮刹那的なものだ。
けれど……答えなきゃ。
気持ちばかり焦って、言葉が出てこない。そうしているうちに時間ばかりが経過していく。
ジークムントは口を閉ざして、身動きひとつしない。まるで石像のようだ。
手のひらにじっとりと汗をかいている。緊張なのか、焦りなのか、それとも拒絶反応なのか……はっきりとはしない。
口にすべき言葉はたくさんある。ニコルからプロポーズされて城へ到着するまでの日々は結婚生活と呼んで良いものとは思えないし、到着したその晩に裏切られたのだから印象なんて最悪だ。憎悪ならいくらでも語れる。けれど……本当に正直に答えるなら、ひと言だけで充分だ。
一度唇を噛み締め、それから、絞り出すように呟いた。
「幸せでした……裏切られるまでは……」
ジークムントの返事はなかった。わたしが答える前も後も、一切の変化がない。ただ沈黙が部屋に流れるばかり。
やがて彼は、淡々と切り出した。
「クロエ。お前が今日ここに来た理由を話せ」
さっきの質問はなんだったのか問い詰めたいくらいだったが、ひとまず安心した。こうして話が前に進んでくれれば、ありのままの真実で勝負することが出来る。
「ここに来た理由は、勇者の裏切りを告発するためです」
「詳しく話せ」
「……魔王の城へ到着した日の晩、わたしは魔王に遭遇しました。勇者は彼女こそが自分の嫁であり、わたしは――魔王が擬態するためのフェイクとして招いたのだと、そう語りました。……はじめは殺すつもりだったようでしたが、気が変わったのか、転移魔術によって王都から遠く離れた地に転移させられました」
「遠く離れた地とは? 具体的に話せ」
やっぱり突っ込まれてしまった。『最果て』の話題は避けるべきだとは思うのだが、それでは中途半端になってしまうし、隠すなんてもってのほかだ。見抜かれれば嫌疑を招く。正直に打ち明ける以外に選択肢はない。
「『最果て』の、ダフニーという町に転移させられました」
ジークムントが問いを重ねる気配はなかった。その無言には『続けろ』という意味が籠っているように感じる。
「……それから、王都まで旅をしてきました。ここにいる二人はそのときの仲間です」
間違ってはいないはずだ。アリスの存在を伏せても話は成立するし、嘘ではない。今アリスのことをすべて話してしまったら、きっと彼女は今夜にも捕らえられてしまう。そして投獄され、裁きを受けるだろう。魔具の改造は重罪だ。
幸いにも、ジークムントはそれ以上たずねなかった。信じてもらえたのだろうか。
「ヨハン。お前はどうしてここにいる?」
わたしの番は終わってくれたようである。この先はヨハンが迂闊なことを言わなければ、謁見まで漕ぎ着けることが出来るだろう。勇者の裏切りが真実だと判断したなら、それは王都を揺るがすとんでもない事実である。
もしジークムントにニコルの息がかかっていなければ、だが――。
そう考えて、はっとした。
可能性は充分にある。そもそも王城には『王の盾』が侵入しているのだから、彼を経由してニコルが手を加えることだって不可能ではないだろう。『最果て』まで転移させるような魔術を使った男だ。わたしには想像のつかないような方法で影を落とすことも考えられる。
もしジークムントがニコルの協力者だとしたら、なにもかもここで終わってしまう。わたしたちは王都に混乱をもたらそうとした賊として処分されるかもしれない。
ヨハンの声で、思考が中断された。
「私はクロエお嬢さんの手助けをするためにここまで来ました。なにかと迂闊な人ですからねぇ、おちおち見てもいられない。だから、そばで手を貸してやろうと思っただけですよ」
まるで馬鹿にするような言葉ではあったが、じんわりと胸に温かさが広がった。
ヨハンには真偽師がどういう存在か、事前に知らせてある。この場で嘘を言うような真似はしないだろう。だとすると、今の彼の言葉は真実となる。本心からわたしを心配し、手助けをしようと思っていたのか、ヨハンは。
不安がひとつ去った。ヨハンなら、たとえジークムントがニコルの側についていようとも切り抜ける方法を考え出してくれるだろうし、いよいよとなったら一緒に戦ってくれる。
独りじゃないんだ、わたしは。
ノックスも、ヨハンも、ここにいる。
「そばで手を貸すとは、具体的になんだ?」
「すでにご推察のことと思いますが、お嬢さんはなかなかに感情的な人です。ですから、言葉に迷ったり、あるいは感情が先走って暴走したら軌道修正してやらねばならないんです」
暴走って……人をなんだと思ってるんだ。確かに感情を優先して動いてきた部分はある。けれどいつだって真剣だし、わたしなりに精一杯考えているのだ。
「軌道修正とは、真相を捻じ曲げることか?」
ジークムントは淡々と、しかし鋭く問う。一方でヨハンはリラックスした様子で肩を竦めて見せた。
「そう露悪的に取らないでください。真実を真っ直ぐ伝えるために最善の方法を取るだけです。軌道修正とは言いますが、まあ、代わりに説明するくらいのものでしょうねぇ」
一瞬沈黙が降り、それからジークムントは話頭を転じた。
「ヨハン、お前はどこの生まれだ?」
「『最果て』の生まれです」
「得意な魔術は?」
「おや、見抜いてましたか……。そうですねぇ。二重歩行者が一番でしょうな」
おや、と思った。ヨハンの答えが意外にだったわけではない。ジークムントがたった一度、まばたきをしたのだ。これまで石像のように頑なな静止を守ってきた彼が唯一見せた変化である。
そして、それ以外にも変化があった。
「なにかひとつ、嘘を言え」
そう要求したのである。これまでの質問のパターンは、事実を述べるべきもの、感情を吐露すべきもの――この二つだった。嘘を言えとはどういうことだろう。
するとヨハンはため息をついて答えた。
「私は魔物です」
どうせ嘘をつくならもう少しマシなアイデアはなかったのだろうか。よりにもよって魔物とは……。
しばしの沈黙を挟んで、ジークムントは唐突に立ち上がった。
「真偽判定は以上。間もなく謁見許可が下りるだろう。ここで待機しているといい」
それはつまり――。
「真実だと判定していただけたのですね?」
聞くと、ジークムントは口元で人さし指を立てて見せた。それがあまりに自然だったので意外に感じてしまう。そんな茶目っ気のある態度を取るとは思わなかった。それから彼はわたしを見つめ、眉尻を下げた。
「悪く思うな」
真偽判定の際、踏み込んだ質問を投げたことに対してだろう。真偽判定を受けたのははじめてだったが、あのやり口なら人の恨みを買って然るべきである。極端にプライベートなことまで持ち出し、材料としなければならないのだろう。
こちらが返事をするより先に、彼は部屋を去っていった。
隣でヨハンが、いかにも疲れたふうな雰囲気で首をボキボキと鳴らし、ノックスはしょんぼりと俯いていた。
なんだか切なくなって、彼の頭を撫でた。「気にしないでいいからね」
あんな展開になるだなんて想定していなかったし、なにより、心の準備もなしに連れて来られたノックスが気の毒である。
小さく頷いた彼は、それでも落ち込んでいるようだった。
「いよいよ謁見ですか」とヨハンが呟いた。その声は沈んでいるようにも、うんざりしているようにも聞こえる。
「ええ、そうよ。気を引き締めて挑みましょう」
王。近衛兵。真偽師。そして、『王の盾』スヴェル。
目をつむり、ニコルの姿を想像した。
あなたがなにを仕掛けているのかは分からない。けれど、絶対に打ち破って見せる――。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。
・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『スヴェル』→ニコルと共に旅をしたメンバー。近衛兵の指揮官。『王の盾』の異名をとる戦士。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『王城』~」』にて
・『真偽師』→魔術を用いて虚実を見抜く専門家。王都の自治を担う重要な役職。王への謁見前には必ず真偽師から真偽の判定をもらわねばならない。詳しくは『6.「魔術師(仮)」』『261.「真偽判定」』
・『近衛兵』→グレキランスの王城および王を守護する兵隊。
・『二重歩行者』→ヨハンの得意とする分身魔術。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『ダフニー』→クロエが転移させられた町。ネロとハルの住居がある。詳しくは『11.「夕暮れの骸骨」』にて




