259.「嘆く時間があるのなら」
アリスが出て行っても音吸い絹は解除されなかった。ヨハンを横目に見ると、彼は意味深にニヤニヤと笑っている。
なんとなくノックスの隣に移動すると、彼は肩を竦めて言った。
「さて、お嬢さん。私に話しておくべきことがあるんじゃないですか?」
「なんのことかしら?」
わざととぼけて見せると、ヨハンは苦笑した。相変わらず骸骨じみた顔である。
「謁見のことですよ。どうなりましたか?」
なんだ、そのことか。アリスに魔王討伐の協力を申し出た直後だったから、てっきり彼のほうもその打診を待っているのかと思った。もちろん、頼みたい気持ちはやまやまではある。けれども、まだ彼との契約は切れていない。謁見を無事済ませて、今後のプランを練るべきタイミングで話すべきだろう。
「明日にはなんとかしてくれるらしいわよ」
騎士団長の言葉通りならそうなるはずだ。彼には勇者の裏切りを伝えてある。緊急の内容として通してもらえるだろう。
ヨハンは満足そうに頷いた。
「明日は私も同行しますので、ご心配なきようお願いします。お嬢さんが言葉に詰まることがあれば手助けしますよ」
「ありがとう。けど、絶対に嘘はつかないで頂戴。真偽師は全部見抜くから」
言うと、ヨハンは首を傾げた。
「真偽師ってのはなんです?」
ああ、そうか。ヨハンには真偽師のことを話していなかったっけ。となると、彼の想定している謁見のプランも――彼のことだから、なにをどう披露して人心掌握するかくらい練っているのだろう――作り直す必要があるかもしれない。
「真偽師っていうのは、嘘と真を判断する職業の人たちよ。もちろん、特別な魔術で。先に言っておくけど、彼らに隠蔽魔術なんか通用しないから気を付けて頂戴。言っていいのは全部本当のことだけ。なにを聞かれても正直に話すこと。でないと、疑われて牢獄で足止めになるわ」
たとえ勇者の裏切りが真実だと分かってもらえても、そのほかの部分で疑いを買ってしまったら一旦は拘留されるに違いない。そうなればこちらの行動もどんどん遅れてしまう。
「そんな魔術があるんですねぇ。さしずめ看破魔術ってところでしょうか?」
「正確な名前は知らないけど、そういうものでしょうね。だから、嘘は禁止。疑われるような誤魔化しも禁止。いいかしら?」
ヨハンは天井を向いてため息を漏らした。
「謁見の場には、その、真偽師とやらが立ち合うんですか?」
「もちろんよ。それと、事前に真偽師の尋問があるから、それ次第で謁見出来るかどうかも変わってくるわ。詳しくは知らないけど、事前の尋問とまったく逸れた話をするのも良くないでしょうね。途中で止められても終わり。牢獄行きね」
ヨハンは額に手を当てて、わざとらしいまでに落胆して見せた。どうせ彼の想定していたプランは嘘だらけだったのだろう。そう簡単に煙に巻けるほど王都の人々は甘くないのだ。今まで『最果て』で通用してきたものがまったく通じなかったりもするだろう。
やがてヨハンは「分かりました」と呟き、顔をわたしに向けた。「それでも同行しましょう。お嬢さんだけではなにかと心配だ。私も、なにを聞かれても素直に答えることにしますよ」
「そうしてもらえると助かるわ。……ところで、もうひとつ話しておきたいことがあるんだけど……」
するとヨハンは怪訝そうな顔つきで首を傾げた。まだ話すべきことがあるのだろうか、とでも言いたげに。
絶対に伝えておかなければならないことがあるのだ。
「ねえ、あなたに伝えてたかどうか分からないけど、王の側近にひとり勇者の仲間がいるの」
「それはつまり――」
頷いて、拳を握った。「明日の謁見のときに同席するかもしれない」
沈黙が流れた。ノックスは隣でじっと話を聞いているようだったが、どこか不安気に俯いている。
「厄介なことになると踏んでいるんですか?」とヨハンは髪をかき上げて言う。
「分からないわ。ただ、『王の盾』が本当にニコルと同じ目的を持っているのなら、黙っていないでしょうね」
むしろ、すでになにかしら手を打たれている可能性だってある。それは分からなかったが、少なくとも騎士団長は異変を掴んでいないようだった。彼は決して鈍い人間ではない。
『王の盾』が敵だとしても、決定的な瞬間までは王の懐で息を潜めているつもりなのだろう。ニコルの指示が下されるか、あるいは――わたしがすべてを暴露する瞬間まで。
いずれにせよ警戒する必要がある。
「そのときに魔術で対抗しろと言いたいわけですね?」
ヨハンはすべてを理解したように念を押す。
「悪いけど、力を借りられたらありがたいわ。サーベルは騎士団長に回収されちゃったし、仮に持っていたとしても玉座には持ち込めないから。……あなただったら咄嗟のときに魔術でなんとか出来るかもしれないでしょ?」
彼はまたしてもため息を漏らした。「王には護衛の魔術師がいないんですか?」
「もちろん、近衛兵の中に魔術師はいるでしょうね。けど、一番そばで王を守ってるのは――」
「『王の盾』、とやらですか」とヨハンは引き取る。
頷くと、ヨハンはいかにも面倒そうに肩を落として俯いた。
彼の反応も理解出来る。なにせ相手は勇者一行のひとりなのだ。そして、事が起こる寸前で止めなければならない。彼にしてみれば大仕事だろうけど、少しでも足止めしてくれればあとは近衛兵の武器を借りてでもわたしが対峙するつもりだった。
勝ち目は充分にある。玉座の間は本来、王に敵対する相手を即座に鎮圧出来るような精鋭ばかりなのだから。
さすがの『王の盾』も、離反者を整えているとは考えがたい。あまりにリスキーだ。そんな無茶な動き方をしているのなら外部に話が漏れてもおかしくないだろう。
「ともかく、いざというときのための覚悟だけはしておいてほしいの」
「いざというときの覚悟ですか」と呟いて、彼は肩を落とした。単なる落胆のようにも、呆れているようにも見える。少し憂鬱そうな雰囲気までまとっていた。「……分かりました。出来る限りのことはしましょう」
「ごめんなさい……負担をかけるようなことばかり頼んで」
本心からの言葉だったが、彼は俯いて首を横に振っただけだった。
それからは音吸い絹を解除して少し雑談をした。ヨハンとノックスは案の定、二人で食事を摂ったらしい。食堂の様子を詳しく話してくれた。
ノックスがウトウトしはじめたのでそれぞれ部屋に行ったのだが、一向に眠れない。やはり、焦りが影響しているのだ。ようやく王都にたどり着き、明日には真偽師に、そして上手くいけばその日のうちに謁見出来るかもしれない。通常は何日か待たされるのだが、事情が事情だ。わたしの言葉が真実だと確認されれば、最短で通してもらえるに違いない。
なんにせよ上手くいくかどうかは明日次第だ。
眠れなくて居間に戻ると、灯りがついていた。もしやと思って覗くと、やはりヨハンは起きているらしく、バルコニーへ続く戸が開け放たれていた。
カーテンが風に揺れている。
バルコニーに出ると、柵に肘をついてこちらに背を向けるヨハンがいた。彼はわたしに気付いたのか、一瞥だけ寄越すと夜空に視線を戻した。
空には少し欠けた月が浮いている。降り注ぐ月光で、彼の横顔はますます骸骨じみて見えた。
「眠れないんですか?」
「ええ、目がさえちゃって……。あなたはどうなの?」
「お嬢さんがたを待ってる間に少し眠りましたから」
本当なのか嘘なのか分からない言葉……。わたしにも真偽師みたいな魔術が使えればいいのに。
彼の隣で、月光に染まった王都の家並みを眺める。すると、なんだかこの状況に既視感を覚えた。
ああ、そうか。確かマルメロでもこんなふうに、眠れない夜をバルコニーで過ごしたっけ。
彼も同じことを考えていたのか、ぽつりと言った。「マルメロを思い出しますね。いやはや、こうして考えると随分遠くまで来たものです。……長かった」
「本当にそうね。……あなたには色々と助けられたわ」
素直に言うと、彼はへらへらと笑った。
「そんなのお互い様でさぁ。気にするものじゃないですよ……。本当に、気にしないでください」
しんみりと、消え入りそうな口調だった。
「やけに元気がないじゃない。ナーバスになってるの?」
「ええ、少しだけですが」
憂鬱に感じるのも当然だ。彼にしてみれば王都で謁見するまでの契約だし、その最終段階に真偽師や『王の盾』が待ち構えているのだ。得意の嘘や誤魔化しは封じられ、いざ謁見となれば強敵を相手にするかもしれない。『最果て』の旅と同様、道中を助け合うという契約ではあったが随分と割に合わない。
「……嫌だったら、断っても恨まないから」
ぽつりと呟くと、ヨハンはちらとわたしを見た。
「なにを断るんです?」
「だから、謁見のこと。ハルキゲニアで契約を延長したとき言ってたでしょ? 王都で仕事を探すために同行する、って。謁見まで同行してくれる約束だけど、無理しなくていいわ。この段階でもあなたの目的は達成出来るでしょうし」
仕事探しだけなら、王都に到着した時点で充分可能だろう。しかしヨハンは、ゆっくりと首を振って否定した。
「契約は契約ですから。それに……上手くいけば都合の良い仕事を斡旋してくれるかもしれませんしね」
そう呟いたきり、彼は黙ってしまった。
ヨハンの言う都合の良い仕事とはなんだろう。もしかしたら、勇者討伐に関わるなにかかもしれない。
だとしたら、ちょっぴり嬉しい。
「さて、ひと眠りしてきます」
彼はそう言い残して、部屋へと戻っていった。
空に昇った月が、おだやかな光を注いでいる。こっちはもう少し涼んでいこう。
ふと、昔の記憶が浮かんできた。幼いわたしと、同じく幼いニコル。
――こんなことになるくらいなら、いっそ出会わないほうが良かったのかもしれない。
そう思った瞬間、景色が滲んだ。誰も見ていないのに、取り繕うようにあくびをして目を擦る。
もしこれが運命で、はじめから決まっていたことなら……嘆いている時間が勿体ない。
月光に背を向け、部屋へと戻った。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。
・『騎士団長』→王都の騎士を統括する存在。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて
・『スヴェル』→ニコルと共に旅をしたメンバー。近衛兵の指揮官。『王の盾』の異名をとる戦士。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『王城』~」』にて
・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『真偽師』→魔術を用いて虚実を見抜く専門家。王都の自治を担う重要な役職。王への謁見前には必ず真偽師から真偽の判定をもらわねばならない。初出は『6.「魔術師(仮)」』
・『近衛兵』→グレキランスの王城および王を守護する兵隊。
・『音吸い絹』→音を遮断する布状の魔術。密談に適している。詳しくは『216.「音吸い絹」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『マルメロ』→商業の盛んな街。タソガレ盗賊団のアジトから近い。詳しくは『47.「マルメロ・ショッピングストリート」』にて
・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて




