258.「ありがとう」
アリスはしばし真顔でこちらを見つめていたが、ふっ、と息を吐いて微笑を浮かべた。呆れているようにも、諦めているようにも見える。
「そんなことだろうと思ったよ」
ぽつり、と彼女はこぼす。
どうせアリスのことだから、わたしに同行した時点でこんな話が出るだろうと予想していたに違いない。こちらとしては大いに真剣なつもりだが、彼女がどう受け止めてくれるかは分からなかった。
「生半可な覚悟じゃ歩めない道のりだと思う。本当に、命がけじゃなきゃ……。だから、正直な答えを聞かせて頂戴。もちろん、今の時点での答えでいいわ」
一度引き受けてくれても、いざ進んでみたら心変わりすることだってあるだろう。でも、それは仕方ない。今わたしはとんでもないことを頼んでいるんだから。
勇者と魔王の討伐。そこになにが待ち受けているかは分からない。けれど確実に言えるのは、無傷のままたどり着けるわけがないということだ。多分、ハルキゲニアでの戦闘なんてちっぽけに思えるくらいの障害と絶望、あるいは痛みが待っている。
今までわたしは、自分の力で物事を解決しようとしてきた。けれど、『最果て』で嫌というほど味わった痛み――心と身体に負った深い痛み――で、その考えは消えた。たったひとりではニコルを倒すどころか、魔王の城にたどり着くことさえ困難だろう。
多くの奇妙な繋がりの果てに、王都まで進むことが出来たのだ。きっとこの先も、そうすることで突破出来る道がある……。
「まったく……とんでもない奴にかかわっちまったもんだ」とアリスはため息をついた。「あんたと戦いたくてついてきたつもりが、いつの間にかバカでかい目的に引き込まれそうになってるなんて……。一回の決闘じゃ割に合わないねぇ」
「あなたが望むなら何回でも決闘してあげる」と答えると、アリスは不敵に笑んで首を横に振った。
「一回限り、全力の殺し合いじゃなきゃ意味ないのさ。……ま、決闘についてはどうでもいい。今回の頼みとは別に、もう約束されてるんだからねぇ」
アリスの言う通り、ハルキゲニアでの協力の条件がわたしとの決闘だったはずである。そしてそれは、まだ果たされていない。
「そうね。だから、今回は別の依頼になるわ。……あなたの言う通り、どんな対価があっても割に合わないと思う。だから、正直な気持ちを教えて頂戴」
アリスは足を組み替え、困ったように自分の髪をくしゃくしゃと撫でつけた。ヨハンとノックスは黙ったまま成り行きを見守っている。
「正直なところ、か。じゃあ保留だね。今はそれどころじゃないんだよ」アリスはこちらを鋭く見据えて続けた。「あたしはあの小生意気なガキと、トンズラした女王様を叩き潰す。そのあとで、あんたに会いに行くよ。決闘の約束があるからねぇ……。そのときにもう一度、勇者だの魔王だのの話を出すといいさ。気が向いたら協力するかもしれないからねぇ」
小生意気なガキ、というのはルイーザのことだろう。ハルキゲニアで彼女と対峙したアリスは、手も足も出ずに敗北した。あとを引き取ったわたしも結局勝てなかったのだ。
勇者の仲間――つまりは討ち取るべき敵であるルイーザ。アリスにとっては、自分を負かし、ハルキゲニアを滅茶苦茶にした魔術師。奴の打倒に関しては目的が一致している。
「ルイーザを倒すならわたしも――」
言いかけたわたしを遮ってアリスは言った。「あいつはあたしが倒す。手出しするんじゃないよ。そういうのが嫌いだって知ってるだろう?」
そうだった。アリスは自分の目的を邪魔されるのがなにより嫌いなのだ。とはいえ、彼女ひとりでルイーザを倒せるだなんて……ちょっと考えられない。魔銃を強化し、強力な攻撃魔術を会得してもなお、敵うとは思えなかった。それくらいの相手なのだ。
「言いたいことは分かるよ。……それでも、邪魔しないでほしいねぇ」
アリスは余裕たっぷりな笑みを作っていたが、口調は真剣そのものだった。全部理解して、なおかつ、独りで戦うことを望んでいるのだ。
先ほど魔具職人に頭を下げた彼女の姿が脳裏に浮かぶ。覚悟のほどは彼女の態度に表れているだろう。最善を尽くして挑もうとしている。ただ、他人の力を借りるのはそこまでだと考えているに違いない。実際にルイーザと対峙するのは自分であり、そこに誰かが介入するくらいなら潔く敗北――つまり、死ぬほうがマシだと考えているはずだ。
「……分かった。でも、状況次第よ。今後ニコル――勇者がどう動くか分からないし、当然だけどルイーザの動きも予測出来ない。だから、必要な場合はルイーザと対峙するわ。……たとえあなたに恨まれたとしても」
「お嬢ちゃんは真面目だねぇ。わざわざそんな宣言しなくてもいいのに……。さっきの質問には答えたけど、これ以上話すことはあるかい?」
アリスはそっぽを向いて言った。
「いいえ、これで終わりよ」
「そうかい。じゃあ、これでお別れだねぇ」
一瞬の沈黙が流れた。
「寂しくなりますねぇ」とヨハン。
「嘘つけ。ヨハン、あんたは全然そんなふうに思ってないだろう?」とアリスは表情を柔らかくした。
「心外ですねぇ。これでも優しいつもりですよ、私は。それでも誤解されちまうんでさぁ……」
確かに誤解されがちだろう。彼の態度は誤解を誘発しているようにも思うけど。
「分かった分かった。あんたは親切で優しいヨハンさんだよ」と、アリスはわざと投げやりな口調で返した。そんな彼女に、ヨハンは肩を竦めて応える。
不意に、アリスはノックスへ顔を向けた。二人の視線が交差する。ノックスの背とアリスの背だと、まるで親子だ。
そして――。
意外にも、アリスはノックスの頭をくしゃくしゃと撫でた。励ますようなそんな手つきで。
「頑張るんだよ、坊や。お嬢ちゃんは無茶ばっかりするからねぇ。あんたがついてしっかり守ってやりな」
「アリス……」と呆れて声が出てしまう。ただ、ノックスははっきりと「うん」と答えた。
それから彼は、アリスをじっと見つめる。
「なんだい坊や。寂しくなったのかい?」
からかうアリスに、ノックスは真剣な口調で返した。
「アリス。ありがとう」
真摯な言葉だった。それは『関所』で自分を助けてくれたこと、『鏡の森』で守ってくれたこと、ここまでの道中で助けてくれたことに対する総合的な感謝だろう。
そして彼の言葉の意味するところは、アリスにとって――いや、ノックス以外の全員にとって救いだった。
吸収された魔術によって、命が脅かされている事実。そして、アリスの魔術を吸収したからこそビクターという悪魔の毒牙から逃れられたという事実。
彼の体質は呪いであり、そして――祝福だ。
アリスもきっと、それを意識したことだろう。
「……どういたしまして」
立ち上がるとアリスは「ひとりでのんびり歩きたいから、見送りは不要だよ。それじゃ……」と残して去っていった。
その声が震えていたことにはヨハンも気付いていただろうが、なにも言わなかった。
きっとまた会える。そのときに思う存分からかってやろう。
なんだか、しんみりした気持ちになってしまった。
「いやぁ、寂しくなりますなぁ。……なんだかんだ良い人でしたねぇ」とヨハンは首をボキボキと鳴らしながら呟いた。その口調に重さはなく、かえって清々しささえあった。
ヨハンにとって別れは日常的なものなのかもしれない。彼くらいの年齢になれば分かるのかもしれないけど、わたしもノックスも、まだその境地には達していない。
部屋に流れた沈黙は、どこか温かだった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『魔銃』→魔力を籠めた弾丸を発射出来る魔具。通常、魔術師は魔具を使用出来ないが、魔銃(大別すると魔砲)は例外的使用出来る。アリスが所有。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。
・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。故人。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』『Side Johann.「跳梁跋扈の朝月夜」』にて
・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と目される魔術師。高飛車な性格。エリザベートの娘。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」』参照
・『女王』→ここではエリザベートを指す。ハルキゲニアの元女王。高慢で華美な人間。ルイーザの母。詳しくは『174.「ハルキゲニアの女王」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地
・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『関所』→アカツキ盗賊団の重要拠点。対立組織に奪われたがクロエたちの働きで取り戻した。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『鏡の森』→ハルキゲニアの北に位置する海峡を渡った先の森。初出は『104.「ハルキゲニア今昔物語」』




