257.「すべては因果の糸に」
宿屋まではアリスが率先して案内してくれた。別に場所は分かるからいいのに、彼女は上機嫌な様子で先を行くのだ。
まあ、気持ちは分からなくもない。カルマンの答えはアリスにとって、なによりも望んでいたものだろうから。策略をめぐらしていたとはいえ、彼の返事次第の部分はあったのだ。
けれど……本当にカルマンが力になれるのだろうか、と疑ってしまう。裏切りを懸念しているのではなく、魔具職人という性質の問題だ。彼らは二重思考と呼ばれる魔術によって、魔具製作の肝にあたるコーティング技術を奪い去られている――という噂がある。工房にいる間はコーティング技術も頭と腕に宿っているが、そこを一歩でも出るとたちまち忘れてしまい、思い出すことさえ出来なくなる。その仕組みを作り出したのは、もっぱら魔具全般を取り仕切る魔具制御局との話だが……。
まあ、妥当な戦略ではある。魔具の出力を決するコーティング技術さえ封じてしまえば、離反した職人によって質の高い魔具が出回る危険性を摘み取れるのだから。
ようはカルマンがコーティング技術なしにアリスの魔銃をどこまで強化出来るのか、という問題である。ともあれ、なにひとつ手出しが出来ないわけではなかろう。魔力写刀を作り上げたほどの職人だ。
魔物が出現するにはまだ早く、街路は人通りがぽつぽつとあった。宿屋に近付くにつれ、人の姿は増えていく。それにつれて店の看板もちらほら見えた。酒場、食料品店、食堂……。道行く人のなかには、荷車を引く行商人や、大きな箱を背負った薬師もいる。引き上げ時だろうに、彼らは周囲に注意深く目をやり、客になりそうな相手には次々と声をかけていた。商魂たくましい限りである。
「お嬢ちゃん、夕食は済ませたのかい?」とアリスが唐突にたずねた。
そういえば日が暮れてからというもの、トリクシィが用意したクッキーしか口にしていない。それほど空腹を感じていないのは、焦りと緊張からだろう。
「夕飯は食べてないけど、あんまりお腹が減らないわ。アリスはなにか食べたの?」
「いや、それどころじゃなくてねぇ」と彼女は苦笑する。「ヨハンに誘われたんだけど、断ったさ。すぐに動かなきゃいけなかったからね」
こっちが騎士団本部にいる間に彼女はならず者を見つけ出し、カルマンの居場所と地図まで手に入れたのだ。そして偶然わたしに出くわし、引き込んだ。……偶然とは思えないくらいの扱われ方をしたけど。
ともかく、アリスも食事の暇なんてなかったろう。ヨハンはきっとノックスと二人で美味しい物でも食べたに違いない。律儀に待つような男ではないはずだ。マルメロでも二人でスイーツを食べに行ったらしいし。
「まあ、一旦宿屋に戻ろう。あんまり時間もないだろうしねぇ――お嬢ちゃんがさっき言ってた『支度がある』って、なんのことだい?」
アリスはこちらを一瞥して言った。その顔には不敵な笑みが広がっている。
「ノックスにお別れしないと、寂しがるわよ」
もちろん、そんな理由ではない。話しておくべきことがあるのだ。それも、大っぴらには話せない内容が。
アリスはまるでこちらの嘘を見抜いているかのように、クスクスと笑った。
「ああ、そうだねぇ。本当にお嬢ちゃんは坊やにべったりだ。ふふ……理由はそれだけじゃないんだろうけど」
ああ、やっぱり気付いてたか。
「詳しいことは宿で話すわ。……ところで――」
言いかけて、辺りを見回した。特に警戒すべき人間はいない。住民や出稼ぎらしき人ばかりだ。
「なんだい、お嬢ちゃん」
アリスは不思議そうにたずねる。宿屋で全部話すんじゃないのか、と言わんばかりに。そうしたいのはやまやまだが、逆に宿では出来ない話もあるのだ。決して聴かれてはならない話が。
「ノックスのこと、魔女に聞いた?」
無論、『毒食の魔女』のことである。彼女が語った特殊体質について、アリスはどこまで知っているのだろう。魔女からノックスに関する注意を受けたときには大人しく頷いていたが、実際のところは確認出来ていなかった。いい機会だし、これでアリスともお別れとなれば、詳しく話すべきだろう。決して無関係ではないのだから。
アリスはぽつりと返した。「知ってるよ。全部、あのムカつく女から教えてもらったさ」
なんだ、やっぱり知ってたのか。
「じゃあ、ノックスがあなたの魔術を身体に溜めてることも――」
「ああ、知ってる」
アリスを責めているつもりはなかったが、どうも彼女はそう感じているらしく、悔しげに口を尖らせた。
「アリス。誤解してるといけないから言うけど――あなたに感謝してるのよ」
すると彼女は、怪訝そうに眉をひそめた。
「どうしてさ? あたしのせいで危険な目に遭ったのは事実じゃないか」
確かに、それはそうだ。知らなかったとはいえ、アリスの魔術はノックスの肉体に影響をおよぼしている。その溜め込まれた魔力によって彼は破裂の道をたどるかもしれなかったのだ。
けれど――。
「それでも、あなたが『関所』で魔術をかけてくれて良かったと思ってる。ノックスがビクターの実験から助かったのはあなたのおかげなのよ」
そう告げると、アリスは考え込むように沈黙した。彼女の魔術――おそらくは魔物の目から存在を隠す目隠しによって、ノックスは魔物の血を射ち込まれてもその影響を受けなかったのである。
すべて察したのか、アリスは「ああ」と息を漏らした。そしてひと言。「妙な因果だねぇ」
本当に、奇跡的な繋がりだ。あのときあの瞬間、アリスがノックスを救おうとしなければ、のちの決定的な邪悪から逃れることは出来なかったのである。
ノックスは決して知りえないし、自身の体質を認知してはいけない以上、知ってはいけないことだったが、彼にとってアリスは命を二度も救った相手なのだ。なにも出来ないわたしとはわけが違う。
「ちゃんとお別れしてほしいと思ってるのよ、本当に。それだけじゃないのは白状するけどね」
アリスはただ黙って歩いていた。その表情にはどこか、思いを馳せるような憂いが感じられる。アリスはどうしようもない戦闘狂で、功利的で、打算的だ。けれど、当たり前に持つべき温かな感情はある。少なくとも、わたしはそう思っていた。
やがて宿の部屋にたどり着くと、ヨハンが肘掛け椅子に座ってぼんやりと中空を眺めている姿を見てしまった。その骸骨顔でそんな姿を見せるなんて……死んだふりのつもりだろうか。
「ああ、お嬢さんとアリスさん。お帰りなさい」
ノックスは机に座って瞑想していたが、すぐに顔をあげて「おかえり」と言った。
「ただいま」
部屋は思ったよりも広々としている。家具も一式揃っているし、デザインもシックで好感が持てた。全体的に木目調のその部屋は、照明もおだやかな色調でリラックス出来そうだ。
「いい部屋でしょう? 奥に三部屋ありますから、プライバシーもばっちりです。おまけに湯だって出ますからね」
思わず苦笑してしまう。王都では湯が出るのが当たり前なのである。とはいえ、ヨハンらしく気の利いた部屋だ。
「ありがとう。金貨何枚だった?」
聞くと、ヨハンは首を横に振った。「ああ、いいですよ気にしないで。色々と大変だったでしょうから、たまには下世話なことは忘れましょう」
ヨハンからそう言うなんて珍しい。
「なにか裏でもあるんじゃないの?」
すると彼は、からからと乾いた笑い声を立てた。
「お嬢さんは私のことをなんだと思ってるんですか。親切心の欠片くらいはありますよ」
「そうだといいけど」とつられて笑うと、彼は肩を竦めた。
アリスはソファに腰を下ろし「さて」と呟いた。それを合図に、わたしとヨハンは対面のソファに、ノックスはアリスの隣に腰かけた。
彼女は短く息を吸って切り出す。
「グレキランスに到着したねぇ。約束通り、同行はここまで。あたしは自由に動かせてもらうよ。つまり、ここでお別れってことさ」
改まって切り出されると、なんだか妙な気分になってしまう。寂しいと思うには少し足りないけど、なんとも思わないわけがない。
いけない。感情に足を取られている場合じゃなかった。話すべきことを話さなくちゃ。
「音吸い絹を使ってもらってもいいかしら」
そうヨハンにたずねると、彼は短く頷いて手で空を撫でた。
薄い膜がソファに降りて、わたしたちを包み込む。
「これでなにを話しても外には漏れません」
「ありがとう」
感謝もそこそこに、アリスを見据えた。彼女もじっとこちらを見つめている。
言うべきことを、言わねばならない。
「アリス――あなたに頼みがあるの」一旦言葉を切り、深呼吸をした。「勇者と魔王を倒すために、あなたの力を貸して」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『カルマン』→魔具職人。魔力写刀の製作者。初出は『Side Alice.「姉弟の情とアリス』
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。
・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』にて
・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。故人。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』『Side Johann.「跳梁跋扈の朝月夜」』にて
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『魔銃』→魔力を籠めた弾丸を発射出来る魔具。通常、魔術師は魔具を使用出来ないが、魔銃(大別すると魔砲)は例外的使用出来る。アリスが所有。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて
・『魔力写刀』→『黒兎』の持つナイフの魔具。複製を創り出す能力を持つ。アリスが回収した。詳しくは『127.「魔力写刀」』『Side Alice.「姉弟の情とアリス』にて
・『魔具制御局』→魔具を統括する機関。詳しくは『6.「魔術師(仮)」』『196.「魔具制御局」』にて
・『二重思考』→魔具職人のコーティング技術が外部に出回らないように使用されている魔術。あくまでも噂であり、全貌は不明。記憶の一部を思い出せなくする魔術、とされている。詳しくは『26.「アカツキの見る世界」』にて
・『目隠し』→対象を魔物から感知されなくする魔術。詳しくは『238.「たとえばワイングラスのように」』にて
・『音吸い絹』→音を遮断する布状の魔術。密談に適している。詳しくは『216.「音吸い絹」』にて
・『コーティング』→魔具の出力を整えるための技術。王都では魔具工房のみで継承されている門外不出の技術とされている。詳しくは『26.「アカツキの見る世界」』にて
・『マルメロ』→商業の盛んな街。タソガレ盗賊団のアジトから近い。詳しくは『47.「マルメロ・ショッピングストリート」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地
・『関所』→アカツキ盗賊団の重要拠点。対立組織に奪われたがクロエたちの働きで取り戻した。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて




