256.「交渉の行方」
思わずアリスを見つめると、彼女は得意げな視線を寄越した。一体どこまで想定して動いていたのだろうか。
確か、アリスはハルキゲニアで『黒兎』と戦闘したはずだ。その際に魔力写刀を回収したのだろう。そしてルイーザに敗北し、グレキランス行きを決めた。
ルイーザに対抗するには今の魔銃では不充分である。アリスは魔銃を強化する方針に舵を切り、だからこそ魔具職人を求めていた。そのための交渉材料として魔力写刀は役に立つと踏んだのだろう。
おそらくならず者どもに魔力写刀を造った職人の居場所を聞き出したのだ。そして――とっておきのタイミングで失われたはずの魔具を見せつけたのである。愛着がないわけがない。魔力写刀の複製能力は生半可な技術では造り出せない代物だし、それをもう一本製造することがどれだけ困難なことか想像に難くない。簡単な機構であればまだしも、本体を複製するような能力を持つ魔具をポンポンと生み出すことは不可能だ。
だからこそ、カルマンの反応は妥当である。
「これを、どこで……?」
カルマンは驚きを隠さずにアリスへと詰め寄った。彼女のほうはというと、余裕たっぷりな様子である。きっと予想通りに物事が運んで上機嫌なのだろう。こんなことなら事前に教えてくれたっていいじゃないか、まったく。
「この魔具は、めぐりめぐって生意気な坊やに悪用されていたのさ。だからあたしが回収して、遥々届けに来たってわけ。――ハルキゲニアから遥々、ね」
アリスの言葉に、カルマンは首を傾げた。「ハルキゲニア……?」
「あんたら王都の人間が邪魔な奴を捨てるバカでかい山の向こうさ。知らないのかい?」
「ハルキゲニア……ああ、ハルキゲニアか。――ハルキゲニア!?」
上ずった声が部屋に響き渡る。
カルマンの反応はもっともである。『岩蜘蛛の巣』の向こうに土地が広がっていることは知られているが、『最果て』と揶揄されているように、未開の地と捉えられている。そういえば、『最果て』の正式名称はハルキゲニア地方だっけ。
彼の驚きはそればかりではない。山を越えてやってきたということは、『岩蜘蛛の巣』を突破したことと同義だ。到底ありえないことを、目の前の女性が口にしている。疑おうにも、二度とお目にかかれないと思っていた魔具が横たわっているのだから、いかに突拍子のないことでも鵜呑みにしてしまうだろう。
「奥様――それは事実ですか?」
カルマンはなぜかわたしにたずねた。
そうくるか。どうしよう、ここで認めてしまったらわたしも『最果て』から来たことになってしまう。彼の頭の中で疑問が膨らむのは間違いなしだ。
「事実かどうかは分からないわ。わたしは彼女と知り合ったばかりだもの。ただ――嘘をつくような人間じゃないから、信じるべきよ」
……アリスの視線を感じる。なに言ってるんだ、と言いたげな視線が。
やがて彼女はため息をついた。「そうさ。あたしと奥様は知り合ったばかり。でも、信頼関係はバッチリなわけ。お互い嘘はつかないし、正直でクリーンな関係性さ。ねぇ、クロエ奥様?」
ニヤニヤと言わないでほしい。
あんたの嘘に乗るから、あたしがやったことには目をつむりなよ、でないとなにもかもぶちまけちゃうかもよ――そう言っているように聞こえた。
仕方ない。
「ええ、そうよ。だから、カルマンさんも信用して頂戴」
カルマンの疑惑は氷解していなさそうだったが、一旦は信用することに決めたらしく、彼は頷いて見せた。
「……で、魔銃強化の報酬が魔力写刀なのか?」
落ち着いた口調ではあったが本心は明らかである。今すぐにでもそれを自分の手に戻したくて仕方ないはず。
「そうさ。報酬は魔力写刀。これじゃ不充分かい?」
「……なんのために強化したいんだ?」
質問を質問で返すカルマンにアリスは不快感を示すだろうと思ったが、そうではなかった。彼女は真面目な顔付きで彼を見据えると、その表情に相応しい真剣な口調で返した。
「あたしの故郷を滅茶苦茶にした奴に復讐するためさ。今のあたしじゃ――敵わないんだよ、そいつには。だから……」
そしてアリスは立ち上がり、深々と頭を下げた。「あたしの魔銃を、強化してくれ」
彼女が頭を下げるなんて、あまりにも意外だった。テーブルに足を乗せて高圧的に命令する姿ばかり思い描いていたのである。
案外こういう態度にも出るんだなあ、と感心していると、カルマンが息を吸う音がした。
「個人的な復讐のために、リスクを負って魔銃を強化しろ、と……。確かに魔力写刀は喉から手が出るほど取り戻したい。しかし……報酬に見合っていないな」
アリスは静かに椅子に腰かけ、目を伏せた。
交渉決裂。そして次の一手もないのだろう。
「ただ」とカルマンは魔力写刀を指さして続ける。「こいつを取り戻してくれたあんたの心意気を買おう。……職人とは言っても、魔銃の機構に詳しいわけでもない。出来ることなんて些細なものだ。それでもかまわないか?」
瞬間、アリスの瞳に光が差す。「もちろん。あんたに出来る限りのことをしてほしい」
言って、彼女は手を差し出した。カルマンがそれを握る。
交渉成立……でいいのだろうか。
「ただし、条件がある」と彼は加えた。「あんたとの繋がりが発覚したら大事になる。魔銃の強化が終わるまではここで過ごしてくれ」
足繁く通っていたら怪しまれることこの上ない。当然だ。
アリスはニヤリと笑いを浮かべた。「それでかまわないさ。なに、あんたが追放されるときは一緒に付き合うよ。ちゃんと抜け道を教えてやるさ」
つられてカルマンも笑い声をあげた。
なにはともあれ、おだやかに済んで良かった……。途中どうなることかとヒヤヒヤしたが、蓋を開けてみれば交渉は上手くいったとみて間違いないだろう。そしてわたしの存在も、彼は隠してくれるに違いない。なにせ、お互いに決定的な秘密を握り合っている状況なのだから。
不意に、胸がざわついた。
つまり、アリスとはここでお別れになるのだろうか。
「ねえ、一度宿に戻ってもいいかしら? アリスと一緒に。支度があるのよ。もちろん今回のことは口外しないし、あなたもそれを守ってくれるわよね?」
「ああ、当然だ。ただ……昼間になると人の目もあるし、こっちも工房に出なくちゃならん。今晩中に戻ってくると約束してくれ」とカルマンは不安げに言った。どうやら、裏切るつもりなんてなさそうである。
先ほどカルマンは心意気という言葉を使ったが、本当に感謝しているのだろう。だからこそ、目先の利益以上に協力の動機があるのだ。
「約束するわ。それじゃ、アリス。行きましょう」
促すと、彼女はすんなりと立ち上がった。それから気付いたように、もう一丁の魔銃をテーブルに置く。
「おい、魔力写刀も魔銃も預けていくのか?」
カルマンは意外そうな声をあげる。アリスはというと、相変わらず余裕たっぷりの態度で「信頼してるよ。もうパートナーだからねぇ」と返した。
戸口から外に出ると、のっぺりとした闇が広がっていた。永久魔力灯の光が街路に注がれているものの、大して光量はない。この道自体が秘密を抱えているようにも見えた。
一度宿に戻って、それからアリスだけで来られるだろうか。まあ、そこまで方向音痴じゃないだろう。
「さて。それじゃ戻ろうかねぇ、お嬢ちゃん」
アリスの上機嫌な声が、夜に溶けていった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『魔銃』→魔力を籠めた弾丸を発射出来る魔具。通常、魔術師は魔具を使用出来ないが、魔銃(大別すると魔砲)は例外的使用出来る。アリスが所有。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて
・『カルマン』→魔具職人。魔力写刀の製作者。初出は『Side Alice.「姉弟の情とアリス』
・『黒兎』→ハルキゲニアの元騎士。ナイフを複製する魔具『魔力写刀』の使い手。残忍な性格。本名はクラウス。詳しくは『127.「魔力写刀」』『Side Alice.「卑劣の街のアリス」』にて
・『魔力写刀』→『黒兎』の持つナイフの魔具。複製を創り出す能力を持つ。アリスが回収した。詳しくは『127.「魔力写刀」』『Side Alice.「姉弟の情とアリス』にて
・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と目される魔術師。高飛車な性格。エリザベートの娘。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」』参照
・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて
・『グレキランス』→クロエの一旦の目的地。通称『王都』
・『岩蜘蛛の巣』→王都を追放された者が放り込まれる洞窟。王都へ戻るために突破しなければならない場所。初出は『110.「もしもあなたがいなければ」』
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『永久魔力灯』→魔力を施した灯り。光度や色調は籠められた魔力に依存する。魔道具。詳しくは『38.「隠し部屋と親爺」』参照




