26.「アカツキの見る世界」
岩山に取り付けられたドアからなかに入ると、ソファで項垂れているミイナが目に映った。やけに消沈している。間違いなく昨日の影響だろう。
彼女はわたしたちに一瞥を投げただけで、後は俯くばかりだった。
「どうぞ。座るッス」
ジンはミイナの隣に腰を下ろして言った。ソファの片側は昨日の一撃で潰れている。わたしは無事な側に座った。ヨハンは少しでも潰れていない場所に座るべく、わたしの真横に腰を下ろした。
「近いんだけど」
「仕方ないでしょうよ。我慢してください、騎士様なんだから」
わたしはヨハンを無視してジンを見やる。彼は困ったように目を泳がせていた。なるほど、団長の気分が回復してから会わせたかったというところだろう。気持ちは分からないでもなかったが、尊重するだけの時間的余裕はない。
「団長――ミイナ。昨日の一件でわたしの話は信じてもらえたかしら」
わたしが口火を切ると、ミイナは沈んだ眼差しをわたしに向けた。
「……信じるよ。クロエ、オマエは強い。騎士なんだろうよ、きっと」
「なら、わたしが王都へ急いでいることも理解してくれる?」
「ああ、そうだろうな」
ミイナは心底どうでもいいというような表情をしている。もどかしくなってわたしは立ち上がった。「魔王と勇者が手を組んで国を滅ぼそうとしているのよ。一刻も早くなんとかしなきゃならな――」
「座れよ、クロエ」
ジンはわたしの言葉を遮った。その顔は、団長と同じく無関心が表れていた。仕方なしに腰を下ろすと、ジンは語り始めた。
「なあ、クロエ。あんたがグレキランスに拘るのは構わねえッスけど、それを俺たちに押しつけないでくれ。頼むから」
「どうして!」
ジンは仰向いて「アー」と唸った。
「……知らねえんスよ。俺たちは魔王だの勇者だの、そんな話は一切聞いたこともない。この一帯でそんなこと言ってる奴はひとりもいないんスよ。生まれたときから魔物が存在していて、今の今まで消えたこともない。勇者と魔王が手を組んだからって、俺たちの生活が変わるわけじゃない」
わたしは愕然とした。もしかすると、この地方の人間はひとり残らず魔王の話すら知らないのではないか。魔物がいるのが当たり前で、それは永久に変わらないと諦めている。魔王についてなにも知らないから。
「魔王がいなくなれば、全ての魔物が徐々に力を失って、人間だけの世界が来るのよ?」
「それを信じられるだけの生きかたはしてこなかった。悪いけど、俺にはあんたがヒーローごっこをしているようにしか見えないッス」
ばっさりと、切り捨てるような否定だった。
「まあ、クロエがそれを信じるのは自由ッスけど、俺たちは俺たちに信じられるもんだけを信じるッス」
「ジンは」思わず声が震えてしまう。「魔物のいない世界を望まないの?」
彼は困惑したようにミイナを見やる。彼女は俯いてなにも言わなかった。
「そうなるに越したことはないッスよ。でもよお、俺たちは夢を見たくないんだ。もう二度と裏切られたくねえんだよ。……アカツキ盗賊団は孤児の集まりなんス。実の親に捨てられるか死なれるかして、誰も助けてくれないところを親爺だけが拾ってくれた」
そうだ。彼らは無差別に他人を信頼したり、夢を見たり、そんなことができないのだ。王都にも、そういう連中はいた。たとえ魔王が打ち倒されても魔物は消えず、夜毎の戦いは生きている限り永遠に続くと考えている奴らだ。しかし、ジンやミイナをはじめとするアカツキ盗賊団のメンバーは、王都の皮肉屋と同一視できない。然るべき理由があり、血なまぐさい現実と向き合っているのだ。そこに夢や希望を持ち込んだら、途端に影が差してしまうのかもしれない。
わたしは彼らの親代わりであろう『親爺』という人物を想像する。行き場なく、虚ろな目をした少年少女を育て、家族である盗賊団の維持に貢献させる。わたしの価値観でいえば、それは悪党でしかない。しかしながら、『親爺』の子供である彼らにそれを宣言する気は微塵も起こらなかった。
「その親爺さんは今どこに?」
「『関所』の秘密の部屋にいるッス。ひと月前に倒れちまったんスよ。もう結構な歳だから」
ぽつぽつと語るジンを、ミイナはどろりとした目つきで睨んだ。「歳とか言うんじゃねえよ」
「すんません」
ジンの謝罪を無視して、ミイナは足をソファの上に乗せて三角座りをした。そうして膝頭に額をつけ「ああぁ」と大きなため息をついた。
昨日の威圧的な姿とは対照的である。感情のアップダウンが激しい性格なのだろう。あるいは、互角に戦ったという事実が彼女を素直にしているのかもしれない。
「ジンよお……アイシャのこと、アタシの代わりに伝えてきてくれよ」
「勘弁してくださいッス。今の団長はミイナさんなんだから」
そしてまた「ああぁ」と呟く。
ハルを捕らえられなかったことに関しての報告だろうか。場合によってはハルの身に危険が及ぶかもしれない。
「どういうこと?」
ジンは沈黙していた。あくまでこの件については団長に聞け、という意味だろうか。
「ミイナ、教えてくれないかしら?」
「……死霊術師の魔具を盗ったことで、アイシャが自殺したことだよ。そんな報告、今の親爺にはできねえ。親爺はアイシャを気に入ってたし、いなくなってからも心配してたんだ。アタシらにはアイシャのことは調べるな、って厳しく言っていたけど。……うちの盗賊団はさ、抜けていった奴らのことを追うのも、見かけたからって話しかけるのも禁止されてんだ。親爺が言うには、マトモな道を歩き始めた奴を邪魔すんな、ってさ」
『親爺』には矜持があるのだろう。自分たちのやっていることが道を外れていることくらい知っていて、けれど、そうしなければ生きていけない人間のための居場所になっているのかもしれない。
「殺しをさせない、っていうのも親爺さんの言いつけかしら?」
「……そうだよ。殺しは駄目だ。盗みや騙しだって、親爺が指定した相手以外は禁止。アタシたちのシノギはほとんど武器の売買だったよ。親爺が作る魔具はよく売れたんだ」
魔具。その『親爺』がどういった存在であれ、まず間違いなくモグリの職人だろう。王都の魔具制御局には登録はされていないに違いない。正規の魔具職人であれば、魔具の売買は制御局を通してしか行えないのだから。
「アタシの執行獣 や、ジンの弓矢も親爺の作った魔具だ」
なるほど、と思う。モグリの職人ゆえ、魔具製造に長けていないのだ。本来魔具は製造過程で魔力を織り込みつつ、仕上げの際に魔力の全体バランスを整えるコーティングが必須である。しかし、コーティング技術は世に出回っていない。王都に流れていた噂だが、魔具職人は工房内でのみコーティング技術を思い出せるよう、二重思考という魔術を制御局の人間にかけられるのだという。工房内でのみコーティング技術は継がれていき、いくら職人を増やそうとも外部に広まることは決してない。そしてコーティングされていない魔具は、どんなに強力なものであろうとも魔具登録時に制御局の手によって処分されてしまう。
王都では闇市など開くことは自殺行為だったが、ここではモグリの職人も活躍できるようだ。それがどんなに粗悪な品であろうとも、人々に判断する材料はない。魔物に困る市民は喜んでそれを買い求めるだろう。おそらく『親爺』は、人々を騙す気などなかったに違いない。ミイナの武器を見ればよく分かる。次期団長にただの金棒を、副団長には矢と矢筒だけの魔具をそれぞれ与えたりはしないはずだ。『親爺』には魔力察知の能力はなく、ただ闇雲に魔具を作り、魔物の討伐に役立てようとしたのかもしれない。
わたしはやりきれない気持ちで次の言葉を待った。




