2.「元勇者様と魔王」
奴は玉座に浅く腰かけていた。両手を膝で重ねているその居住まいはまるで『人間の振り』をしているみたいだった。威圧的な黒のドレスに、紫の滑らかな肌。真紅の瞳。肩の下まである長い髪は、月光を艶やかに反射していた。
「ごきげんよう」
しっとりと艶のあるその声を聴いた瞬間、身体は動いていた。息の根を止めるなら一瞬で。それがわたしの信条である。
しかし、こちらの刃はニコルの小さなナイフで弾かれたのだ。
「……どうして」
驚きの渦に巻かれながら、ようやく口に出来たのがその言葉である。
彼は平静に答えてみせた。
「紹介が遅れたね。彼女は僕の同志であり、妻だよ。そして……ご存知の通り、君たちの憎む魔王さ」
なにも言葉を発することが出来ない。すると彼は言い聞かせるように囁いた。
「僕は勇者なんかじゃない。むしろ、今となっては君らの敵かもしれないね」
そうして彼はあいつの手の甲に接吻したのだ。
魔王は「やだぁ」とか甘えるように言ってはしゃいでいた。わたしが彼らを殺そうと明確に決めたのは、この瞬間だったと思う。
「おや、怒っているね。君に嫉妬は似合わないよ」
「……うるさい」
「まあ、待ってくれ。落ち着こう。話すべきことがいくつかあるんだ。……君だってなんにも知らないまま殺されたくないだろう?」
「……は?」
耳を疑った。
殺される?
なぜ?
「まずは君に謝りたいことがある。僕は幼馴染の君を騙して、ここまで連れてきた。理由は、彼女のためだ。魔王の城といえども、今後は人の手が入ることは避けられない。いつ誰に姿を見られるか分からないんだ。だから、外面的に妻を取ったかたちを作りたかったのさ。……ところで君は、彼女の正確な擬態能力を知っているかな」
このとき既に短剣を抜き、構えていた。
一瞬だ。隙を突いて殺す。勿論、魔王を。ニコルはきっと操られているんだ。
「彼女は君の代わりに、公然とこの城で生活する。昼間こそ魔物は活動できないが、夜になれば僕と彼女はこの土地で自由に動き回れる。……ああ、心配しないでよ。僕は決して操られてなんかいない。これは僕自身の意志さ」
「嘘だ!」
「嘘だと思うのは勝手だけれど、彼女を傷付けようなんて思わないでくれ」
全部虚言だ。でなければ、わたしの英雄はこんな台詞を吐くことなんてない。彼の真っ直ぐな、濁りのない目を直視することは出来なかった。
「君にひとつ提案があるんだ」
彼はそう言って、こちらに一歩近寄った。構えを崩さず、彼を睨む。
「一緒に王都を支配しよう。僕らは一歩ずつ、確実に進んでいく。全部終わらせるのにそう長い年数はかからないだろうね。計画は立ててあるんだ。……ところで、僕と一緒に凱旋した仲間たちが今どこでなにをしているか知っているかな」
戦慄を覚えた。魔王討伐の旅から生きて還ってきたメンバーは彼を含めて七人いたはずだ。しかも、そのうちの一人は王の側近に就いたのではなかったか。
「まず、王都に勝ち目があるかどうか。次に、君が僕を本当に慕ってくれているなら、妻にはしてあげられないが信頼出来るパートナーにはなれるだろう。……君の選択は尊重するけど、返事によっては僕も望まないことをしなければならない。――さて、君はどうする?」
嫉妬と失意が、尊崇と愛情の裏返しが、真っ赤に燃え盛る怒りに結実した。
英雄とはなんだ。勇者とは。希望とは。
わたしは決して返事をしなかった。この刃がその代わりになるだろうから。
【改稿】
・2017/11/05 口調及び地の文の調整。ルビの追加。
・2017/12/21 口調及び地の文の調整。ルビの追加。